青年の翼:展『コート上の対話』

 体育館の空気は、まだ試合の熱気を帯びていた。鶫高校のミーティングルーム。歴代の輝かしい戦績を示す優勝旗が壁に飾られ、監督の厳しい視線が部員たちを見下ろしている。勝利は手にしたものの、その内容は王者として許されるものではなかった。


「……羽立」

監督の低く静かな声が、部屋に張り詰めた緊張を震わせる。翔斗は俯き、拳を握りしめた。震える手の中で、彼の葛藤が形になっている。


「第二セットのプレー、なぜ周りを使わなかった。君は中学時代からの癖が抜けていない」


その言葉に、翔斗は心の奥底で反発した。負けたわけじゃない、勝ったじゃないか。だが、声には出せない。勝利だけでは、この空間の重圧は消せなかった。監督の言葉は、常勝を義務付けられた者の論理。理屈は正しい。しかし、翔斗の胸の中に生まれた焦燥は、理性では抑えられなかった。


キャプテンが咄嗟に口を開いた。

「ですが監督、試合には……」

監督は手を振り、制止する。「勝てばいい、という問題ではない。我々の目標は県優勝、そして全国だ。今日のようなバレーでは到底届かん」


沈黙が続く。チームメイトたちは息を殺し、翔斗の苛立ちと監督の厳しさの板挟みに耐えた。翔斗は、喉まで出かかった反論を飲み込み、静かに立ち上がる。


「……頭、冷やしてきます」


言葉少なに立ち去る背中に、海輝が呼びかける。だが、声は届かない。部屋に残された仲間は、ぽつりと呟く。

「まただよ。でも、あいつがいなきゃ、第一セットだって取られてたんだ。俺たちじゃ、どうしようもない」


一方、金鋼鉄高校のミーティングルームは活気に満ちていた。惜敗にも関わらず、王者相手に互角の戦いを見せたことで、部員たちは確かな手応えを胸に抱く。


「悔しい!でも次は絶対勝てる!」

「羽立のスパイク、すごかったけど、玲央の指示通りに動いたら拾えそうだった」


エースの轟も、悔しさを滲ませつつも、力強い表情を見せる。監督はあえて厳しい声をかける。

「浮かれるな。今日の戦い方は相手に分析されている。課題は山積みだ」


その緊張感の中で、玲央は決意を固める。

「先生、少しだけ時間をください。話したい相手がいます」


彼の視線の先には、翔斗がいることを、監督は理解して黙認した。


翔斗は体育館の裏手、通路に立っていた。西日に照らされ、壁に背を預け、スポーツドリンクを口にする。頭痛と心の締め付けが混ざる。自分の力だけでは限界があることを、彼は初めて実感していた。


そのとき、静かに声がかかる。

「あの、すみません」


振り返ると、そこに立つのは神聖玲央だった。試合中の鋭い闘志は消え、穏やかで人懐こい表情をしている。


「羽立くん、少しだけ話せる?」

その目には、疑いや駆け引きはなく、純粋な探究心の光が宿っていた。翔斗は目を逸らすことができなかった。


「単刀直入に言う。なぜ、一人で戦おうとするんだ?」


翔斗は眉をひそめる。馴れ合いバレーで善戦しただけの男に、何がわかるというのか。

「……お前には関係ない」


玲央は首を振り、静かに笑った。

「関係ないことはない。君のプレーを見て、羨ましいと思った。あんな風に跳べて、あんなに強いボールを打てる。それは誰にでもできることじゃない」


その言葉が、翔斗の胸に重く刺さる。「羨ましい」――才能を持ちながらも孤独に戦う自分を、理解された瞬間だった。


「でも、君はその才能を自分を罰するために使っているように見えた。仲間を信じられないからだ」


翔斗の怒りと苛立ちは頂点に達する。

「……お前に何がわか」


玲央は少し寂しそうに笑い、自分の髪に触れた。

「中学時代、髪の色でいじめられ、一人で戦っていた。誰も信じられなかった。孤独だった」


翔斗は言葉を失う。太陽のように輝く笑顔の裏に、同じ孤独があったとは信じられなかった。


「でも、バレーが教えてくれた。一人より、仲間と見る景色の方が遠くまで見えると。信じることが怖くても、誰かと一緒に戦うことの意味を知った」


翔斗の胸に小さな何かが芽生える。仲間を信じること――それは、恐怖と同時に、希望でもあった。


「君の隣には、必死に理解しようとしてくれる仲間がいるじゃないか」


その言葉は、翔斗の胸にではなく、海輝の心に届いた。自分は、親友の孤独に目を背けていたのではないか――その気づきに、海輝は唇を噛み締める。


翔斗はそれ以上、言葉を返さなかった。ただ背を向けて歩き始める。しかし、その歩みには、初めて鎧に亀裂が入り、わずかな光が差し込むような感覚があった。


玲央は静かに微笑む。

「余計なことを言ったかもしれない」


海輝は力なく座り込み、顔を上げた。

「いや……今日のこと、俺は理解できた。翔斗の孤独と、俺が見ようとしていなかったことを」


二人の対話は、翔斗の凍てついた心に、静かに亀裂を入れた。孤独は完全には消えない。だが、信じること、頼ることの一歩が、今確かに生まれた瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る