青年の翼:光と孤独

一ノ瀬

本編

青年の翼:創『二つの孤独』

 静かな町の住宅街。夏の夕暮れ、蝉の声が耳を刺すように響く。少年、羽立翔斗は、一人、自室の窓際で外を眺めていた。天井のライトの光に影を落とす机の上には、ノートや教科書が散乱している。しかし、目は外の空に向かって漂ったまま、頭の中には何も入ってこなかった。


「……今日も、何も変わらなかったな」


小さく呟く声は、自分に対しての諦めにも似ていた。翔斗は、生まれつき運動神経に恵まれていた。中学時代は周囲から天才と呼ばれ、教師や同級生から過剰な期待をかけられてきた。しかし、その称賛は彼に安心を与えるどころか、孤独を増幅させる鎖となった。


誰も自分のことを本当に理解してくれない。勝つこと、期待に応えること――それだけが、日々の重圧になった。部活で試合に勝っても、心の奥には虚しさが残る。友達と笑い合うことも、素直に楽しむことも、どこか恐ろしく感じた。


その夜、翔斗の祖父も居間で新聞を広げながら、静かに息子の姿を気にしていた。

「翔斗、夕飯だぞ」

呼びかける声に、翔斗は短くうなずき、ゆっくりと食卓に向かう。祖父の目は優しいが、同時に彼を見守る静かな厳しさも宿っていた。


「今日も、バレーの練習か?」

「……うん」

言葉少なに答える翔斗。祖父は、何も言わずに微笑み、箸を進める。彼にとって祖父は、唯一の安らぎだった。言葉少なでも、ただそばにいるだけで安心できる存在。しかし、安心と孤独は同時に存在する。祖父には心配をかけたくない。だから、弱音は見せられない。


中学最後の大会――あの決勝戦が、彼の心に深い傷を残していた。勝てば天才として称賛され、負ければ非難の嵐。だが、その結果に関係なく、翔斗は勝利の喜びよりも、仲間との信頼や喜びを実感できなかった。その瞬間から、彼は「一人で勝つこと」に価値を見出し、仲間を頼ることを避けるようになった。


そんな彼の孤独に、ある日転機が訪れる。中学から進学した鶫高校のバレー部、監督・佐藤の目に留まったのだ。


「君の運動神経は、普通じゃない。ぜひ、うちの部で力を試してみないか?」


その誘いは、単なる部活の勧誘ではなかった。翔斗にとって、見知らぬ環境で自分を試すことは、未知への挑戦であり、同時に孤独の影と向き合う場でもあった。彼は短くうなずき、静かに決意した。


入部初日、体育館の空気は独特だった。バレーボールの跳ねる音、選手たちの掛け声、汗の匂い――翔斗はすべてを冷静に観察する。セッター、レシーバー、スパイカー、それぞれの役割を把握し、瞬時にチーム全体の動きを読み取る。だが、試合が始まると、自然と孤独な戦い方に戻ってしまう。自分の力で点を取れば、安全だと信じているからだ。


その日、海輝という同級生が声をかけてきた。

「翔斗、すごいプレーだった。でも、もっとチームに頼ってみないか?」

その言葉に翔斗は眉をひそめる。誰も俺を信じられない――心の中で反発する。しかし、海輝の真っ直ぐな視線が、翔斗の心に小さな疑問を投げかける。


試合後、監督は体育館の片隅で翔斗に話しかけた。

「君には、ただの力以上の何かがある。だが、それを封じてはいけない。仲間と共に戦う力だ」

その言葉は、翔斗にとって耳慣れない響きだった。孤独を力に変えてきた彼には、チームに頼ることの怖さがまだあった。しかし、その種は、静かに彼の胸に芽吹き始める。


日々の練習は厳しい。スパイク、ブロック、レシーブ――体力だけでなく精神も削られる。しかし、少しずつ、翔斗は仲間と連携する喜びを知る。海輝のパス、仲間のカバー、時折見せる笑顔。孤独ではなく、共に戦う実感――それは、これまで知らなかった感覚だった。


ある日の練習後、翔斗は一人、体育館の外で汗を拭いながら、夏の夕暮れ空を見上げる。沈む夕陽がコートに長い影を落とす。その光景に、翔斗は不意に気づく。勝利だけを追い求める日々の中で、失っていたもの――仲間と笑い、悔しみ、喜ぶことの意味を、初めて意識する。


「……俺も、少しずつ変われるのかもしれない」


言葉に出すわけではない。ただ胸の奥で、確かな手応えを感じる。仲間を信じること、孤独を手放すこと。それは、彼の翼を広げる第一歩だった。


その夜、祖父の部屋の前で立ち止まり、短く報告する。

「今日も、練習頑張った」

祖父は微笑み、何も言わずにうなずく。言葉はいらない。理解されること、それだけで翔斗の胸は少し軽くなる。


羽立翔斗――天才で、孤独で、そして少しずつ仲間を信じ始めた少年。その物語は、ここから始まったばかりだった。まだ未来の全ては見えない。しかし、胸の奥に、確かな希望の光が灯り始めている。


青年の翼は、今、静かに広がろうとしていた。

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