2話
ーーーピッ、ピッ、ピッ。
無機質な電子音が、鼓膜の奥をじわじわと叩く。
「……ここは……?」
視界がぼやける。
目を凝らしてあたりを見渡すと、そこが病院らしいことがわかった。
(確か僕は冷蔵倉庫に閉じ込められてたはず.....)
僕は上手くまわらない脳みそでそう思い至った瞬間ーーー
ーーガラガラ、と扉が開く。
「‥やぁ、零君、目が覚めたみたいだね」
そこには飄々とした態度の白衣の男がたっていた。
ーーーこの男が後に僕の担当医師になる燈月 颯斗(とうげつ りくと)だ。
「僕の名前は燈月 颯斗。よろしく。」
そう言った燈月先生は僕に手を差し出してきた。
僕は、先生に押されつつも何とか返事を返し握手を交わす。
「....は、はい、よろしくお願いします。燈月先生」
_________
「じゃあ、いきなりだけど早速検査していこうか」
「‥...検査?」
「...うん、検査。なんたって君は、-50℃の冷蔵倉庫の中に40分以上も閉じ込められていたんだからね。」
そう、僕は約45分間も冷蔵倉庫の中に閉じ込められていたのだ。そんな事態になっていたのにも関わらず異常がないはずがない。
「....それに、」
先程の飄々とした態度とは打って変わり、燈月先生は真剣な面持ちでこちらを見据えながら言った。
「.......目に見えてわかるほどだから」
僕は、燈月先生の言葉に耳を疑った。
何故なら、僕にはその実感がなかったからだ。自分の体はいつもと同じで、僕の思いどおりに手足を動かせる。
それなのに、異常?おかしい所なんて一つもないのに。
ほら、腕だってーー死人と見間違える程に白く染まって...い.......て....?
そこには、白く細い一本の腕が僕の体から伸びていた。
否、腕だけではない。
僕は燈月先生に手鏡を借りて自分の体を隅々まで見る。
すると、胴部、頭部に大腿部、下腿部に至るまで全てが白かった。
冬、寒い季節、埋め尽くさんばかりの雪のように一面を白で染め上げていた。
........なんだ、これ?
この時の僕は、あまりにも異質な光景に唖然としていた。
それは、色白とか血の通った肌などという範疇には決して収まらない。
そう言いきれるほどに信じられない光景だったからだ。
「落ち着きなよ、零君」
思考の海を漂っていた僕は先生の言葉で一気に現実に浮上する。
「..っ先生、僕はどうなって!?」
「‥だから、落ち着きなって。」
焦る僕を先生が宥める。
「......それを調べるための検査を、今からするんだ。」
「......とはいえ、その肌の色の原因はなんとなくだけど見当はついてるよ」
僕は驚愕した。この理解不能な現象についてすでに分かっているのか、と。
期待に胸を膨らませて次の言葉を待った。
「.....それは、おそらくレイノー現象の一種だと僕は考えている。」
「レイノーげんしょう........?」
「レイノー現象というのは、寒さや緊張で、手や足の血管が急に細くなって、血の流れが悪くなる。結果、指先の色が真っ白や紫になる現象のことさ」
先生が詳しく説明してくれたが僕にはよく解らなかった。それを見かねた先生が僕にも解るように簡単に説明してくれた。
「寒い時や手を洗う時に指先が白くなることがあるだろう?」
それを聞いて僕はレイノー現象について理解することができた。寒い冬の日、トイレに行って手を洗った時手が白くなっていたのを思い出したからだ。
だか、僕はここである疑問が頭の中をよぎった。
「‥?.....でも、僕がなった時は指先だけでーー」
「そう、このレイノー現象が起きるのは大抵は指先や足先だけだ」
「だが、君のは違う。全身にまわってしまっているんだ。」
「レイノー現象の一種だと考えていると言ったのはそういうことさ」
「‥でも、正直レイノー現象であるかどうかも怪しいんだ。」
「‥......え?」
レイノー現象ですらない……?
理解しかけたこの異常現象が、再び霧の中に放り込まれたような気がして、僕は戸惑った。
「というのも、さっきも言った通り大抵は指先や足先になることが多い。腕や足の根元までいってしまうことも確かにあるが、それでも全身にまでは至らない」
「だが、症状は非常によく似ているし、まったくの別物とも言い切れない。だから今は、便宜上レイノー現象ということにしているんだ。」
「??」
「‥.....まぁ、つまり、めちゃくちゃ似てるから取り敢えずレイノー現象にしとこうってことだよ」
少し呆れたような声色で言った先生に僕は、手間取らせるようで悪く思っているが、噛み砕いて説明してくれないと小学4年生の僕には理解するのが難しいから、そこは勘弁して欲しい。
「......あー、あとこれはちょっと言いづらいんだけど。」
そう気まずそうに言った先生に僕は顔を向ける。
「‥...さっきは目に見えた異常しか言っていないんだ。」
目に見えた異常しか言っていない?
僕はそれを聞いた瞬間背中に冷たいものが走った。
えもいえぬ恐怖に襲われたからだ、治るのか?、もし命に関わる病気だったら?様々な考えが僕の頭の中を交差していた。
何とかその恐怖を抑え込み返事をかえす。
「.........それって」
「......まあ、百聞は一見にしかずということで自分で確認した方が早いだろう。」
先生は僕にあるものを渡してきた。
それは、体温計だった。
「‥体温計?」
「そう、今から君に自分の体温を測って貰いたい。」
体温を測る?何故?なんのために?ーー。
僕はそんなことより早く検査に移って欲しかった。
目に見えない異常が体温計なんかで分かるはずがない。そう考えていた。
だか、それはすぐに覆されることになる。
体温計を渡された僕は、訝しみながらも先生の言う通りに測ることにした。
「念のため聞いておきたいんだけどさ、零君は自分の平熱って何度くらいか覚えてる?」
「.....たしか、36.5℃くらいだと思います。」
質問に答えながら、体温計を脇の下のくぼみに当て、脇を締める。
数秒経ってピピピッと脇の下から音が鳴った。
そして、体温計を取り出し確認する。
「‥.......は?」
そこに、いつもと同じはずの数字がなかった。
36.5という文字はどこにもなくそこにあったのは27.3という数字だった。
この光景に僕は取り乱した。
だが、一瞬で平静を取り戻す。なぜなら測り間違いの可能性があるからだ。それに、-50℃の部屋に約45分間もいたんだ体温がまだ戻っていないんだろう。
きっとそうだ。
そうに違いない。
僕は、また体温計を脇で締め体温を測る。
だが、27.3という数字に変化はなかった。まるで最初からそうだったかのように。
違う。
そんなわけない。
何かの間違いだ。
再度、体温を測る。
が、変わりはない。
「.....まぁ、こうなるよね」
先生が、まるで予想していたかのような口ぶりでそんなことを口にした。
「...ッ先生!!どういうことですか!?なんで!?!?」
捲し立てるように先生に問い詰める。
「‥そりゃ、そうでしょ」
「ッそうでしょって、分かってたんですか!!?」
異常な数字に僕は我を忘れて先生に問い詰めた。
一方、先生はその様子の僕を面倒臭がったのかそのまま話を続ける。
「...君は、今レイノー現象と同じ状態だって言っただろ?」
「ッッそれと一体、何が関係あ..る.....って...」
......いや、レイノー現象っていうのは確か寒さや緊張で血液の流れが悪くなって指先や足先の色が真っ白や紫になる現象だって....。
「なんとなく分かったと思うけど、血液と体温の関係っていうのは深くてね、血液は全身に熱を運ぶ仕事をしてるのさ」
「っということは、体温が下がっていると血液の流れが悪いってことだろ?そして、その逆もまた然り」
「君にも、分かるように説明すると体温が低くなると血液の流れが悪くなるんだ、逆に血液の流れが悪いってことは体温が低くくなるってことだ」
「.....そして、レイノー現象は血液の流れが悪くなって起きる現象のことだ。」
「つまり、体温が低くなるのは当然と言えば当然なわけだよ」
先生の説明を聞いて、僕は少しだけ安心していた。 少なくとも、この冷たさの理由は分かった気がしたからだ。
――だが、次の言葉でその安心は一瞬で崩れた。
「.........っていうか、これより異常なのは君が今ここで生きて喋ってることなんだけどね」
..........は?、
僕が生きているのがおかしい?
何で?
どうして?
この先生はなにを言ってるんだ?
「.....零君はさあ、低体温症って知ってるかい?」
先生は混乱している僕に見向きもせず、淡々と言葉を続けた。
「低体温症っていうのはね――
体温が35℃未満に下がった状態のことだよ。
寒さに長時間さらされたり、体温調節がうまくできなくなったりすると起こる。」
「初期症状は震え。
それが進行すると、錯乱、昏睡……最終的には心停止に至ることもある。」
僕は、思わず心臓のある部分に手を当てる。
ドク、ドク、ドク
心臓は規則正しく鼓動を刻んでいる。だが、今はそれが異様に感じられてしまっていた。
「それに、これは言っていなかったけど君が見つかったときには体温は20℃以下にまでなっていたんだ。理由は色々あるけど、やっぱり-50℃の冷蔵倉庫の中に約45分間防寒着もなしにいたことが大きいだろうね」
「……20℃以下っていうのはね、人間の生命活動がほぼ止まる温度だよ」
「心臓も、呼吸も、脳の働きも、全部ゆっくり止まっていく」
「普通なら――いや、医学的には“確実に死んでる”状態だ」
「それなのに、君はこうして……喋っている。」
「.......今、君が救出されてから何時間経っているか知っているかい?」
先生の言葉に僕は時計をみる。
時計の針は午後5時を既にまわっているところだった。
「君が見つかったのが午後2時頃だから、3時間経過しているね」
........これは、さすがに僕でも分かってしまう。
「3時間という短時間で君は目を覚まし、その上喋れるようにまでなっている。これを異常と呼ばないでなんと言うんだい?」
「たった3時間で目を覚まし、話せるようになった。これは、単なる低体温症の回復では説明がつかない。普通なら、まずあり得ないことだ。」
僕は唇を震わせながら、先生を見つめた。
その目には、僕の知らない現実を語ろうとする冷徹な鋭さがあった。
「君が目を覚ましたこと自体が、普通の範囲を越えている。――今までの医学や常識では説明できない。何かが君を生かしている、そう思わざるを得ない。」
僕は息を呑んだ。
――何か。
その言葉が、じわじわと僕の心に恐怖を押し寄せた。
「.......その何かを調べるために検査をするわけだけど」
「もう、既にある程度は済ませてあるんだよ」
「.......ある程度?」
「そう、それで検査の結果、バイタル(体温、脈拍、呼吸、血圧)についてはさっき説明した通り問題大有りだけど、不思議なことに生命活動自体については問題ないみたいだ」
それと、君の血液も調べさせてもらったんだが……どうやら女性ホルモン(エストロゲンやプロゲステロン)の割合が、通常よりかなり高くなっているみたいなんだ」
「……女性ホルモン?」
「うん。女性の身体をコントロールするホルモンで、生理周期や体温調整、皮膚の質感なんかに関わっている。男性にも微量はあるけど、君の場合……比率が完全に逆転してるんだよね」
脅かされたばかりで警戒していた僕だったが、あまりに唐突な話に、少しだけ拍子抜けした。
「……でも、それっておかしくないですか?僕、男ですよ?」
「そこが僕にも謎でね。本来ありえないホルモンバランスなんだよ。しかも君の異常な低体温や肌の変化とも関係があると思われる。」
女性ホルモンと関係?なんの関係があるっていうんだ?
「君が“もともと”女の子だったっていうなら、ある程度の説明はつく。でも、そういうわけじゃないんだろ?」
その問いに、僕はコクリと頷く。
僕が女だった?そんなわけない。僕は――僕は、男としてこの十年間を生きてきたんだ。今さら間違えるなんて、あり得ない。
「だったら、冷凍倉庫に閉じ込められた影響って考えられるんじゃないか? 今まで何の変化もなかったのに、急に起きたんだ。原因はそこしかないだろ?」
――確かに、そうだ。
これまでは男として、ごく普通に暮らしてきた。
だけど、あの冷蔵倉庫に閉じ込められてから、明らかに身体が変わりはじめている。
「だから、考えられるのは……DNA、つまり遺伝子レベルの異常の可能性だ。冷凍環境がそのスイッチだったのかもしれない」
「ーーーってことで、僕は君の遺伝子を詳しく調べなきゃいけないから、ここいらで失礼するよ」
「あ、はい。ありがとうございました」
ペコリと頭を下げる。
「あっ、それとね、君はしばらく入院。お母さんはもうすぐ到着するってさ。今までの説明も一通り伝えてあるから、その“姿”のことも安心していいよ!」
そう言い残して、先生はまるで嵐のように病室を後にした。
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FIS - 遺伝性低体温恒常性症候群 - 蓼中 颯 @fuji-2418
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