声の回復と新たな怪談

「みんな、大丈夫?」


「だ、大丈夫って……全然大丈夫じゃないよ! 声が出なくなるなんて、恐ろしすぎるだろ!」


「でも、解決したじゃない。きっと、あの人たちも安らかになったと思う」


 四人は静かに教室をあとにした。扉を閉めると、振り返って見た教室はもう普通の、なんの変哲もない空き教室に戻っていた。昼間となにも変わらない、ありふれた光景だった。


 旧校舎の外に出ると、十二月の冷たい夜風が頬を刺した。先ほどの無音の世界に比べれば、風の音さえも心地よく感じられる。


「それにしても、不思議な現象だったね」


 遼が懐中電灯の光で機器を確認しながら呟く。


「科学的に説明するとすれば、局所的な音響異常……でも、機器は正常に作動していた。つまり、音は確実に発生していたんだよ」


「じゃあ、なんで聞こえなかったんですか」


 泰河が震え声で尋ねる。


「恐らく、聴覚に直接作用する超常現象だろうね。物理的な音の遮断ではなく、認識レベルでの遮断」


 遼の説明に、湊は小さく頷きながら泰河を見た。


「霊的な現象ってことか……泰河はなにか見えてたよな?」


「……学生たちが、教室にたくさんいたんだ。みんな口を必死に動かしてたけど、声が全然出てなくて……すごく悲しそうな顔をしてたんだ……」


 陽菜乃が優しく泰河の肩に手を置く。


「過去の事故で声を失った学生たちの想いが残っていたから。そして、気づいてくれる人を探していた」


「なるほど……彼らの無念や悲しみが、あの現象を引き起こしていたんだな」


 湊は納得した様子で頷く。


「でも、陽菜乃のおかげで救われたんだよな?」


 泰河が確認するように尋ねた。


「うん。最後に『ありがとう』って文字が見えたでしょ? きっと、気持ちが通じたんだと思う」


 陽菜乃の言葉に、四人の間に温かな沈黙が流れた。



*****



 数日後、カレイドスコープの部室に湊が興奮した様子で駆け込んできた。


「みんな! 例の教室のこと、調べてきたぞ!」


 部室にいた陽菜乃と泰河、そして遼が振り返る。


「なにかわかったんですか?」


 陽菜乃が尋ねると、遼が机の上にコピーを広げた。


「ああ! 図書館で古い新聞を漁ってきたんだ。昭和四十五年三月、旧校舎で火災事故が発生してたんだ。幸い死者は出なかったんだけど……」


「火災?」


 泰河がびくりと震える。


「うん。避難するときに煙を大量に吸い込んで、一時的に声を失った学生が多数いたらしい。心理的なショックで、その後も長期間声が出なくなった学生もいたって」


 遼が興味深そうに資料を覗き込む。


「なるほど、それが原因だったのか」


「しかも、そのあと、大学側が十分なケアをしなかったらしくて、声が戻らない学生たちは結局、転校や退学を余儀なくされたって記録もある」


「そんな……」


 陽菜乃は悲しそうな表情をみせた。


「きっと、彼らの無念や悲しみが、あの教室に残り続けていたんだ。声を失くした苦しみを、誰かにわかってもらいたくて」


 泰河が小さく呟く。


「でも、陽菜乃が浄霊してくれたから、もう大丈夫だよな?」


「うん。きっと、もう安らかになったと思う」



*****



 さらに一週間後、部室に集まったメンバーたちの前で、湊が新作の怪談を披露することになった。


「今夜は、つい先日体験した恐怖の実話をお聞かせしよう」


 湊の声が、普段の人懐っこい調子から一転して妖艶で低いトーンに変わる。部室の電気を少し暗くして、雰囲気を演出している。


「題して……『声なき教室の物語』」


「うわああああ! やだやだやだ! 実体験なのに聞きたくない!」


「泰河、体験した本人が一番怖がってどうするの」


 怖がって机に突っ伏す泰河を見て、陽菜乃が苦笑いを浮かべる。

 湊は構わず続けた。


「深夜の旧校舎に現れる、昼間は決して見つからない教室がある。そこに足を踏み入れた者は、一切の音を失う。自分の声も、心音も、呼吸音すらも……」


 湊の語り口調が次第に恐怖を煽るように変化していく。泰河は机に突っ伏したまま、体をがたがたと震わせている。


「そして、無音の世界で彼らが見るのは……声を失くした者たちの、悲しき怨念の姿なのだ」


「ひいいいい!」


 泰河の震え声が部室に響く。

 遼が冷静に分析を加える。


「実際には怨念ではなく、救いを求める残留思念だけどね」


「遼、雰囲気を壊さないでください」


 湊が苦笑いすると、陽菜乃がくすりと笑った。

 怪談が終わると、泰河がようやく顔を上げた。涙目になっている。


「……体験したときのことを思い出すと、やっぱり怖いよ」


 その表情には恐怖だけでなく、なにか別の感情も混じっていた。


「でも……あの学生たちが救われたなら、よかったと思う。俺たちが怖い思いをした甲斐があったよ」


 陽菜乃が優しく微笑む。


「そうね。みんな、きっと安らかになったと思う」


 部室に温かな沈黙が流れる中、陽菜乃の胸元でお守り袋の銀の鈴が小さく、優しい音を立てた。まるで『お疲れさま』と言っているかのような、穏やかな音色だった。


「泰河のおかげで、僕の怪談レパートリーがまた一つ増えたな」


 湊が普段の調子に戻って言う。


「今度はもっと怖くない話にしてくださいよ」


 泰河が恨めしそうに呟く。


「無理だな。僕らは都市伝説研究サークルなんだから」


 湊が笑ってそういったとき、ガチャリと部室のドアが開く。


「お疲れさま」


 入ってきたのは代表の市倉真澄いちくらますみだった。

 真澄が優しく微笑みながら尋ねる。


「例の件、どうだった?」


「真澄先輩、お疲れさまです。無事解決しました。詳しくは後日レポートにまとめます」


 湊が振り返って報告すると、真澄の表情が少し真剣になって四人を見つめた。


「それは良かった。ところで、実は新しい案件が入ったんだ」


「うわああああ! もう無理! 心の準備ができてない!」


 泰河が再び机に突っ伏し、真澄が苦笑いを浮かべる。


「今度は比較的穏やかな案件だよ。学内に現れる『優しい幽霊』の話だ」


「優しい幽霊?」


 陽菜乃が興味深そうに首をかしげる。


「そう。困っている学生を助けてくれる幽霊がいるという話なんだよ」


 泰河が恐る恐る顔を上げる。


「助けてくれる?」


「うん。でも、最近その幽霊が姿を現さなくなって、心配する学生からの相談が来ている」


 陽菜乃のお守り袋の鈴が、また小さく鳴った。


「わかりました。また調査しましょう」


 泰河がため息をつく。


「陽菜乃……おまえって本当に……」


「なに?」


「優しすぎるよ」


 その言葉に、部室に再び温かな空気が流れた。窓の外では十二月の夜が更けていく。部室の中は仲間たちの絆に満たされて、とても暖かかった。

 陽菜乃が胸元のお守り袋をそっと握る。銀の鈴が優しく鳴る音は、まるで次の冒険への期待を歌っているかのようだった。


「さあ、また新しい都市伝説の謎を解きましょう」


 彼女の言葉に、泰河は苦笑いを浮かべながらも、小さく頷いた。怖いけれど、陽菜乃と一緒なら、きっと大丈夫。そんな気持ちが心の奥で静かに燃えていた。


 夜が更けていく中、カレイドスコープの新たな物語が、また静かに始まろうとしていた。




 -☆-★- To be continued -★-☆-

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