『雪の影、灯の声』

襲撃事件の発覚

 一月中旬の夜、都市伝説研究サークル『カレイドスコープ』の部室は穏やかな空気に包まれていた。古い研究棟の一角にある小さな部屋だが、メンバーたちにとっては第二の家のような存在だ。壁には過去の調査写真や新聞の切り抜きが所狭しと貼られ、本棚には民俗学から心霊現象まで、ありとあらゆる関連書籍が並んでいる。


「それでね、この新しいEMF検出器がすごいのよ」


 宇田川晴音うだがわはるねが興奮気味に手のひらサイズの機械を掲げている。普段は人見知りな彼女だが、心霊ガジェットの話になると人が変わったように饒舌になる。


「従来品より感度が三倍向上してて、しかもデータをスマホに転送できるの! これで調査の精度が格段に上がるわ」


「へー、すごいね。でも、そんなに高性能だと泰河が怖がりそうよね」


 宮野陽菜乃みやのひなのが微笑みながら相槌を打つ。

 その言葉を聞いた途端、隣に座っていた岸本泰河きしもとたいがが椅子から飛び上がった。


「え! え? なにが怖いって!?」


「きゃあああああ!」


「うわあああああ!」


 晴音と泰河が同時に悲鳴を上げる。


「泰河の反応が大きすぎてワタシがビックリした!」


「晴音が驚いたから俺もビックリした!」


「二人とも落ち着いて! ただのEMF検出器でしょ。電磁波を測る機械」


 苦笑いする陽菜乃に、泰河が恐る恐る尋ねた。


「電磁波って……霊が出る時に数値が上がったりする?」


「そういう説もあるわね。科学的根拠は薄いけど、多くの調査で異常値が記録されてるって」


 晴音は得意満面な表情で説明した。


「うう……聞かなきゃよかった……」


 泰河がテーブルに突っ伏すと、陽菜乃が優しく彼の背中を撫でた。お守り袋から微かに聞こえる銀の鈴の音が、部室に穏やかな響きを添える。


「大丈夫よ、泰河。あたしがいるでしょ?」


「陽菜乃がいても怖いものは怖いんだよ……」


 そんな和やかな雰囲気の中、三人は先週の調査報告書の整理作業を続けていた。大学構内で目撃されたという『白い影』の調査は、結局は街灯の故障による光の屈折が原因だったことが判明している。


「陽菜乃も晴音も本当に真面目だよな。俺なんて怖いから調査に参加してるだけなのに」


「怖いのに参加してるの?」


 陽菜乃が不思議そうに首を傾げる。


「だって……一人でいるほうがもっと怖いじゃん」


 その素直な答えに、陽菜乃と晴音は思わず微笑んだ。三人がそんな他愛もない会話を続けていたとき、部室のドアが勢いよく開いた。


「大変だ!」


 息を切らして駆け込んできたのは伊吹翔也いぶきしょうやだった。普段はお調子者で明るい彼が、今夜は血相を変えている。


「翔也先輩? どうしたんですか?」


「真澄が……襲われた!」


 部室の空気が一瞬で凍りついた。代表である市倉真澄いちくらますみになにかあったという知らせは、メンバー全員にとって青天の霹靂だった。

 泰河が青ざめた顔で翔也に聞いた。


「え……? 襲われたって……誰に?」


「わからない……救急車で大学病院に運ばれた。意識はあるけど重傷だ」


 翔也はこれまでに見たことのない不安そうな顔つきで呟いた。


「詳しいことは病院で聞こう。とにかく今すぐ行くぞ」


 四人は急いで荷物をまとめ、部室を飛び出した。廊下を駆け抜けながら、陽菜乃の頭には様々な疑問が浮かんでいる。真澄がなぜ夜中に一人で外出していたのか、そして一体誰に、なんのために襲われたのか。


 胸騒ぎがする。お守り袋の鈴が小刻みに震えているのは、きっと走っているせいだけではないだろう。


 大学病院の夜間救急は慌ただしい雰囲気に包まれていた。白い蛍光灯の光が廊下を無機質に照らし、消毒液の匂いが鼻をつく。

 看護師に案内され、四人は集中治療室の前まで来た。ガラス越しに見える真澄は、普段の穏やかな表情とは程遠い、痛々しい姿で横たわっている。


「真澄先輩……」


 陽菜乃が息を呑む。


 左腕には厚い包帯が巻かれ、首の周りにも痣のような跡が見える。顔色は青白く、額には汗が浮かんでいた。

 しばらくして担当医師がやってきた。白衣を着た中年の男性で、疲れ切った表情をしている。


「患者さんとの関係は?」


「大学のサークルメンバーです。容態はいかがですか?」


 翔也が代表して答える。


「命に別状はありません。ただ、怪我が重いので、暫くは入院してもらうことになります」


「そうですか……あの、面会は可能でしょうか?」


 翔也が尋ねると、短時間ならと、医師の許可を得た。

 四人は真澄の横に立った。ベッドに横たわる先輩は、目を開けて天井を見つめている。


「真澄先輩……」


 陽菜乃が声をかけると、真澄がゆっくりと顔を向けた。


「あ……陽菜乃、翔也……みんな来てくれたんだね」


「大丈夫か? 一体なにがあったんだ?」


 翔也の問いに、真澄は苦しそうに息をつきながら答える。


「覚えてるのは……声が聞こえたことだけ」


「声?」


 泰河が身を乗り出す。


「こちらへおいで、って……その声に従って、気がついたらあの場所にいた」


「あの場所って?」


「郊外の……廃団地。真ん中の棟の……三階の部屋に明かりが点いていて、その明かりに導かれるように……」


「そこに、なにがいたんですか?」


 陽菜乃が尋ねると、真澄は震える声で話した。


「わからない……ただ、すごく寂しそうで……苦しそうで……『一緒にいて』って言われた……断ろうとしたら、突然攻撃された。爪で引っ掻かれて、首を締められて……でも相手の姿は見えなかった」


「見えない相手に……?」


 翔也が呟く。


「最後に覚えてるのは、みんなの顔が頭に浮かんだこと。みんなを守らなければ、って思った瞬間、意識を失った」


 しばらく沈黙が続いたあと、真澄が苦しそうに言う。


「みんな、あの場所には近づくな。でも……」


「でも?」


「真相は明かさなければならない。これ以上、被害者を出すわけにはいかない」


 その言葉と共に、先輩は再び意識を失った。看護師が慌てて駆けつけ、四人は病室から出ることになった。

 廊下で立ち尽くす四人。誰もが真澄の言葉を反芻していた。


「都市伝説が本当だった……しかも真澄を襲うほど危険ななにかがいる」


 翔也が眉をひそめる。


「どうすしますか?」


「決まってるだろ。真相を突き止めるんだ」


 不安そうな泰河の問いに、翔也は決意を込めて言った。

 陽菜乃のお守り袋が微かに光り、銀の鈴が決意を後押しするように鳴った。

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