『笑わない女』

異常な都市伝説の出現

 八月上旬の午後、キャンパスは容赦ない陽射しに焼かれていた。アスファルトから立ち上る陽炎が、遠くの建物を歪ませている。そんな猛暑の中、サークル棟三階にある都市伝説研究サークル「カレイドスコープ」の部室では、古いエアコンがガタガタと音を立てながら必死に涼しい風を送り出していた。


「はあ……この暑さ、もう勘弁してよ」


 宮野陽菜乃みやのひなのは、胸元にかけた銀の鈴付きお守り袋を軽く触りながら、机に突っ伏していた。黒髪をポニーテールにまとめているが、うなじに汗が滲んでいる。


「陽菜乃、そんなに暑いなら髪切れば?」


 隣に座る岸本泰河きしもとたいがが、自分の汗を拭きながら提案した。彼もまた、Tシャツの背中が汗で張り付いている状態だった。


「却下。髪は女の命なの」


「でも暑そうじゃん」


「泰河に言われたくない。さっきから汗だくじゃない」


 二人のやり取りを見ていた香月悠斗かげつゆうとが、クスリと笑いながら口を開いた。


「まあまあ、お二人さん。そんなことより、面白い話があるんだ」


 悠斗は三年生で、サークル内でも特に社交的な性格だった。どこにいても目立つムードメーカーで、他大学のサークルとの橋渡し役も務めている。今日も持ち前の人脈を活かして、なにやら興味深い情報を持ち込んできたようだった。


「また悠斗先輩の都市伝説ネタですか?」


 陽菜乃が顔を上げると、悠斗は満足そうに頷いた。


「そう。でも今度のは、ちょっと変わってるんだ」


 そのとき、サークル室の扉が開いて、代表の市倉真澄いちくらますみが現れた。温和で理知的な雰囲気を持つ美形の四年生で、物腰は柔らかいが、核心を突く発言で全体をまとめるカリスマ性を持っている。


「お疲れさま。なにか面白い話があるみたいだね」


 真澄が椅子に座ると、悠斗は嬉しそうに身を乗り出した。


「真澄先輩、タイミング完璧! 実は最近、大学周辺で妙な都市伝説が流行ってるんだ」


「どんな?」


って呼ばれててさ」


 悠斗はスマートフォンを取り出し、画面を見せながら説明を始めた。


「二十代前半くらいの、すごく平凡な容姿の女性なんだって。白いブラウスにグレーのスカート姿で、どこにでも現れるらしい。図書館、学食、講義棟の廊下……人が集まる場所なら、必ずその女が現れて、他人の会話を無表情で見つめ続けるんだと」


「へー、それで?」


 泰河が興味深そうに身を寄せた。


「話しかけても反応しない。笑わせようと必死になっても、一切表情を変えない。まさになんだ」


「それだけなら、ちょっと変わった人って程度の話ですけど……」


 陽菜乃が首を傾げると、悠斗の表情が急に真剣になった。


「問題はここからなんだ。その女と目を合わせて、『絶対に笑わせてやる』って挑戦した奴らが、数日後に大学から姿を消すんだって」


「消す……って、まさか」


「いや、殺されるとかじゃない。急に退学届を出したり、転校したり、とにかく大学に来なくなるんだ。しかも、決まって奇怪な状況でな」


 悠斗が見せてくれたSNSや掲示板の書き込みのスクリーンショットは、確かにどれも同じ話題で盛り上がっている。


「興味深いけど、この都市伝説には違和感があるな」


「違和感?」


「目撃証言の統一性が高すぎる。普通、都市伝説は口コミで広がる過程で、どんどん内容が変化していくものなんだ。でも、このの話は、どの証言も驚くほど一致しているよね。それに、SNSでの拡散パターンも不自然だ。まるで誰かが意図的に情報をコントロールしているような……」


「あたしも、この都市伝説には、なにか強い『意図』を感じます」


 陽菜乃と真澄のやり取りに割って入った悠斗がスマホを掲げてニヤリと笑った。


「じゃあ、調査してみる? ちょうど情報提供のメールも何件か来てるし」


「そうしよう。サークルの理念は『都市伝説は声なき真実の集合体』だ。このがなにを語りかけているのか、探ってみる価値はある」



****



 翌日の午後、陽菜乃と泰河は図書館の一角で、四年生の田村たむらという男子学生から話を聞いていた。田村は経済学部の学生で、普段から図書館をよく利用しているという。


「それで、その女性を見たのは?」


 陽菜乃がメモを取りながら質問した。


「三日前の夕方かな。四階の閲覧室で勉強してたら、突然。誰かの視線を感じて振り返ると、書架の向こうに女性が立ってたんだ。白いブラウスにグレーのスカートで、二十代前半くらいかな。顔は……うーん、特に印象に残らない感じ」


「平凡な容姿、ってことですね」


「そう。でも、その人がじっと僕を見てるんだよ。無表情で」


 泰河が身を乗り出した。


「それで、どうしたんですか?」


「最初は気にしなかったんだけど、十分経っても二十分経っても、ずっと同じ場所に立って僕を見続けてるの。さすがに気味が悪くなって、なにか用ですか? って声をかけたんだけど……全然反応してくれなくて。それどころか、表情も変わらないんだよ。まるで人形みたいに」


「人形みたい……」


 田村の話を聞いて、陽菜乃が呟いた。


「でも、生きてる人間でしたよね?」


「うん、確実に。瞬きもしてたし、呼吸もしてた。ただ、その……なんて言えばいいか……普通の人間だとは思えない『気配』だった」


 泰河と陽菜乃は顔を見合わせた。泰河は霊が視える体質だが、その日、図書館でなにも霊的な存在は感じなかった。

 陽菜乃は胸元のお守り袋に触れた。昨日サークル室で感じた胸騒ぎが、また蘇ってくる。


「田村さん、その後、その女性はどうなりました?」


「気がついたら、いなくなってたよ。いつの間にか消えてて……でも、変なのは、その後かな」


「その後?」


「図書館だけじゃなくて、色んな場所で見るようになったんだ。談笑している人たちや、仲良さそうに笑い合っているグループをジッと見つめて……」


 陽菜乃は眉をひそめた。

 この都市伝説には明らかに普通ではない『なにか』があった。



****



 その日の夕方、サークル室に戻った陽菜乃と泰河は、真澄と悠斗、そして宇田川晴音うだがわはるねに田村の証言を報告した。


「……という感じでした」


 陽菜乃の報告を聞いた真澄が、深く頷いた。


「興味深いね。『笑ってる人を見つめる』というのが、この都市伝説の核心部分かもしれない」


「ワタシも調べてみました。大学内のSNSグループで、の目撃談が急速に拡散されてるんです」


 画面には、複数のSNS投稿が表示されている。


「目撃場所は……図書館、学食、講義棟の廊下、学生ホール……確かに人が集まる場所ばかりだね?」


 悠斗が表示された投稿を読み上げていく。


『今日学食で例の女を見た。やっぱり笑わない』

『講義棟でまた出現。マジで怖い』

『友だちが話しかけたけど完全無視された』


「でも、おかしいですね。みんな、その女性を知ってる前提で話してる」


 陽菜乃が首を傾げると、真澄が鋭く反応した。


「そうだね。普通なら『変な女性がいた』から始まるはずなのに、最初から『例の女』『笑わない女』として認識されている」


 泰河も気づいた。


「それに、みんな同じような服装で目撃してる。白いブラウスにグレーのスカートって」


 晴音がキーボードを叩きながら分析結果を見せた。


「投稿の時系列を調べてみたんですが……最初の目撃談が投稿されたのは一週間前です。でも、その投稿者のアカウントは、新規作成されたばかりでした。しかも、その後の目撃談を投稿してるアカウントも、ほとんどが同じ時期に作られてるんです」


 室内に緊張が走り、真澄が立ち上がった。


「つまり、誰かが意図的にこの都市伝説を作り上げている可能性が高い。明日から本格的な調査を開始しよう。このの正体と、それを作り出した人物の目的を突き止めるまで」

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