浄霊と解決
「佐藤さん」
翌日の夜――。
陽菜乃の声が、薄暗いトンネルの奥に静かに響いた。
手にした銀の鈴が淡く光を放ち、その光に照らされた陽菜乃の表情は、これまで見せたことのないような深い慈愛に満ちていた。泰河が震え声で教えてくれた霊の姿は視えないけれど、確かにそこに佐藤一郎という一人の人間がいることを、陽菜乃は感じ取っていた。
鈴の音色が、まるで子守唄のように優しくトンネル内に響く。その音に呼応するように、冷たい風が陽菜乃の頬を撫でていった。
「うわあああ! 陽菜乃、やばい! 佐藤さんがこっちに向かって——」
「泰河、大丈夫よ」
陽菜乃は泰河の手を握り、安心させるように微笑んだ。
「佐藤さんは、私たちを害しようとしているんじゃない。ただ、誰かに自分の気持ちを理解してもらいたいだけ。十年間も、誰にも気づいてもらえなかった寂しさと苦しみを、聞いてもらいたいだけなの」
突然、トンネルの奥から低い呻き声が響いた。泰河が陽菜乃の腕に思わずしがみつく。
「ひいい! 今度はなに!?」
「相良先輩と山本さんね」
陽菜乃が振り返ると、トンネルの奥から足音が聞こえてきた。
「佐藤さんが、二人を解放してくれたのよ」
ふらつきながらも、相良と山本がトンネルの奥から姿を現した。彼らの顔は青白く、まるで夢遊病者のような虚ろな表情を浮かべていたが、確かに生きている。
「相良先輩! 山本さん!」
晴音が駆け寄ろうとするが、陽菜乃が制止した。
「まだだよ、晴音。佐藤さんの想いを、最後まで聞いてあげなくちゃ」
陽菜乃は再び佐藤の霊に向き直る。銀の鈴を胸の前で静かに構え、深く息を吸い込んだ。
「佐藤さん、あなたの気持ち、わかります。突然の事故で、まだやり残したことがたくさんあったでしょう。家族に最後の言葉も伝えられず、仕事も途中で終わってしまって……とても無念でしたよね」
トンネル内の空気が、ゆっくりと暖かくなっていく。泰河が目を見開いた。
「陽菜乃、佐藤さんの表情が変わった。なんだか悲しそうな顔になってる」
「佐藤さんは、本当は怒っていたんじゃない。悲しかったの。一人ぼっちで、誰にも気づいてもらえなくて、とても寂しかったのよね」
お守り袋を両手で包み込むように持ち、陽菜乃は静かに祈りを捧げ始めた。
鈴の音が、これまでとは違う深い響きを奏で始める。それは単なる魔除けの音ではなく、死者への鎮魂の調べだった。
「佐藤さん、もうこの場所に縛られる必要はありません。あなたには、行くべき場所があるはずです。きっと、あなたを待っている人たちがいる場所が」
泰河が小さく呟いた。
「佐藤さんが……光の中に向かって歩いて行く。あ、振り返った……ありがとう、って言ってるよ」
晴音が録音機器を確認しながら、感動に震える声で報告した。
「音声データにも、はっきりと感謝の言葉が記録されてる」
鈴の最後の音色が響き渡ると、トンネル内の空気が一変した。それまで漂っていた重苦しい雰囲気が嘘のように消え去り、夏の夕方らしい爽やかな風が吹き抜けていく。
相良と山本が目をしばたたかせ、まるで長い眠りから覚めたように辺りを見回した。
「あ、あれ? 僕、なんでこんなところに……」
「私も……図書館から帰ろうとして……」
ふらついている二人に、晴音は心配そうに尋ねた。
「二人とも、大丈夫ですか?」
「え? あの、すみません、あなたたちは……」
相良と山本は困惑した様子で三人を見つめた。
「確か、僕は四限が終わってから、このトンネルを通って……それから記憶が曖昧で」
陽菜乃が安心させるように微笑んだ。
「詳しい話は後でしますが、とりあえず、もう大丈夫です。一緒に外に出ましょう」
五人でトンネルを出ると、夕日が美しくキャンパスを染めていた。何事もなかったかのように、学生たちが夕涼みをしたり、部活動に向かったりしている。
「信じられない……さっきまであんなに恐ろしい雰囲気だったのに、今はすっかり普通のトンネルだ」
泰河が空を見上げながら呟き、陽菜乃がお守り袋をしまいながら答えた。
「そういうものよ。霊の想いが浄化されれば、その場所も本来の姿に戻る。佐藤さんの魂が安らぎを得た今、あのトンネルはもう普通の連絡通路よ」
相良と山本は事情を聞いて驚愕していたが、霊に取り憑かれていた記憶は曖昧なままだった。それでも、この数日間の不可解な体験について、少しずつ思い出していく。
「そういえば、あのトンネルを通るたびに、誰かに呼ばれているような気がしていたんです。気がつくと、いつの間にかトンネルの奥深くまで歩いていて……」
「もう大丈夫です。あの霊は成仏されました。これからは、安心してトンネルを通れますよ」
*****
翌日、カレイドスコープのメンバー全員でBトンネルの入り口に集合した。真澄が持参した白い花束を、丁寧にトンネルの入り口に供える。
「佐藤一郎さんのご冥福をお祈りいたします」
メンバー全員が黙祷を捧げた。暑い夏の日差しの中、静かで厳粛な時間が流れる。
「よく頑張ったな、陽菜乃、泰河、晴音。キミたちのおかげで、一つの悲劇が救われた」
真澄が三人を労い、悠斗が明るく声をかけた。
「本当にお疲れさま! 特にヒナノの浄霊は本格的だったみたいだな」
「そんな大げさな……ただ、佐藤さんの気持ちを理解しようとしただけです。霊だって、元は人間なんだから」
陽菜乃が照れながら首を横に振る。
泰河がようやく緊張から解放されたように、大きく伸びをした。
「それにしても、まさか本当に霊と会話できるなんて思わなかった。陽菜乃の『視えないけどわかる』能力、改めてすごいと思う」
「泰河だって立派だったよ。泰河が霊の様子を教えてくれなかったら、あたし一人では無理だった。あたしたちは、お互いを補い合えるパートナーね」
晴音が照れながらも誇らしげに言った。
「ワタシも、記録係として役に立てたかな。今回の件、全部データに残してあるから、将来の調査の参考になると思うんですけど」
「もちろんだよ、晴音」
翔也が晴音の頭を軽く撫でた。
「晴音の記録があったからこそ、現象の客観的な分析ができた。チームワークの勝利だな」
「今回の件でわかったことがある。都市伝説や心霊現象の背後には、必ず人間の想いがある。それを理解し、適切に対処することで、多くの問題が解決できるということね」
千沙が腕を組みながら、満足そうに頷いた。
「その通り。『都市伝説は声なき真実の集合体』——我々サークルの理念を、キミたちは見事に体現してくれた」
真澄は陽菜乃と泰河、晴音のそれぞれに視線を移し、優しい笑みを浮かべている。
午後の日差しを浴びながら、メンバーたちは互いの健闘を讃え合った。Bトンネルは、もう恐ろしい場所ではない。平和な連絡通路として、学生たちに利用され続けていくだろう。
「さて。今日はお疲れさま会を開こう。みんなで美味しいものを食べて、新たな出発を祝おう」
真澄が手を叩いてそう言うと、悠斗が元気よく手を上げた。
「賛成! ヒナノとタイガのコンビ結成も兼ねてな」
歩きながら、陽菜乃は泰河に小声で話しかけた。
「ありがとう。泰河がいてくれたから、最後まで頑張れた」
「こちらこそ。俺、霊が視えるのがずっと嫌だったけど、今回の件で少し考えが変わった。この能力も、使いかた次第で人の役に立てるんだな」
「そうだよ。あたしたちの能力は、きっと困っている人や霊を助けるためにあるのね。これからも、一緒に頑張ろう」
夏の夕暮れ時、カレイドスコープのメンバーたちは肩を並べて歩いていく。一つの事件が解決し、新たな絆が生まれた。そして陽菜乃たちにとって、これは都市伝説研究者としての本格的な第一歩でもあった。
空の向こうで、佐藤一郎の魂が静かに微笑んでいるような気がした。
-☆-★- To be continued -★-☆-
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