目撃証言の矛盾

 翌朝、陽菜乃は泰河と共に早めに大学へ向かった。今日は伊吹翔也いぶきしょうやも調査に参加することになっている。翔也は真澄と同じ四年生で副代表を務める、お調子者だが勘の鋭い兄貴分だった。


「おはよう、お二人さん」


 学生ホールで待ち合わせると、翔也が軽やかに手を振った。陽キャな雰囲気は悠斗に似ているが、より直感型で不思議な魅力を持っている。


「おはようございます、翔也先輩」


「よう、泰河。昨日の話、真澄から聞いたぜ。面白そうじゃねえか」


 翔也は泰河の肩を叩いた。


「面白いって……怖いですよ」


「相変わらずビビリだなあ、おまえは」


 翔也はニヤリと笑ったが、その目には優しさが宿っていた。泰河の怖がりを即座に見抜き、からかいつつもフォローしてくれる頼もしい先輩だった。


「それで、今日はどこから回る?」


「まず学食で、目撃した学生さんに話を聞いて、その後、図書館と講義棟を回る予定です」


「よし、じゃあ俺は学食担当な。四年の俺だと話しが聞きやすいだろうし」


「助かります。あたしたちは図書館と講義棟を中心に聞き込みしますね」


 三人は手分けして調査を開始した。

 一時間後、学食で合流したとき、それぞれが興味深い情報を持ち寄っていた。


「まず俺から報告するわ」


 翔也がコーヒーを飲みながら口を開いた。


「目撃した子以外にも何人か聞いたんだ。全員が同じことを言ってる。の容姿は、二十代前半、白いブラウス、グレーのスカート、平凡な顔立ち。これは昨日の証言と完全に一致してる」


「やっぱり統一性が高いですね」


「でも、面白いのはここからだ。みんな、その女を見たときの感情について同じことを言ってる」


「感情?」


「そう。悲しそうだった、寂しそうに見えた、泣きそうな目をしてた……全員が、その女に対して同情的な印象を持ってる」


 泰河が眉をひそめた。


「でも都市伝説だと、怖い存在ってことになってますよね?」


「そうなんだよ。矛盾してるんだ」


 陽菜乃は胸元のお守り袋に触れた。昨夜から続く胸騒ぎが、また強くなってきていた。


「あたしたちが聞いた人たちも、似たようなことを言ってました。経済学部の木村さんは『なぜか放っておけない気持ちになった』と言ってましたし、理工学部の竹林さんは『声をかけてあげたくなったけど、なぜか足が動かなかった』って」


「みんな、怖がってるというより、心配してる感じなのか。でも、変なのは別のことなんだ」


 翔也の話に、泰河が身を乗り出した。


「どういうことですか?」


「俺、実は『視える』側の人間なのは前にも話したよな? でも、この『笑わない女』に関しては、霊的な気配を一切感じない。泰河と同じだ」


 陽菜乃は目を閉じて、昨日から感じている違和感を整理しようとした。


「このには……すごく強い『想い』が込められてる気がします」


「想い?」


「はい。でも、それは霊の念ではなくて……生きてる人の感情です」


「生きてる人の感情って、どういうこと?」


 泰河が困惑して問いかけた。


「誰かが、この都市伝説に自分の気持ちを投影してるんです。すごく切実な、必死な気持ちを」


「つまり、を作り出した人間がいて、その人の感情がこの都市伝説に込められてるってことか?」


 陽菜乃と泰河のやり取りを見ていた翔也が、唸るように呟いた。



****



 午後、三人はの目撃現場を順番に巡ることにした。まずは最も目撃情報の多い図書館四階の閲覧室からだった。


「ここが、田村さんが最初に見た場所だね」


「陽菜乃、なにか感じる?」


「うーん……霊的な気配はない。でも……」


 陽菜乃は足を止めた。


「ここに、すごく強い感情の残滓があります。誰かがここで、とても強い後悔や恐怖を感じていた痕跡が残ってるんです」


「後悔と恐怖……この都市伝説に関連するのか?」


 翔也が眉をひそめた。


「わかりません。でも、この感情はとても新しいものです。最近のもので……」


 陽菜乃はゆっくりと書架の周りを歩いた。そして、ある場所で立ち止まった。


「ここです。この辺りで、誰かがとても苦しんでいました」


 泰河が周囲を見回した。


「でも、ここって普通の勉強スペースだよね。なにがあったんだろう?」


「後悔……すごく深い後悔。なにかを取り返したいって気持ちと、でも、もう手遅れだっていう絶望感が混じってる」


 陽菜乃の呟きに、翔也が真剣な表情になった。


「陽菜乃、その感情の主は男性か女性か、わかるか?」


「男性です。二十代の……この人は、誰かを……女性を深く傷つけてしまったことを後悔してる。そして、その女性はもう……もう、ここにはいません」


 三人は顔を見合わせた。


「つまり、このの都市伝説は、なにか過去の出来事と関係があるってことか?」


「はい。そして、その出来事に関わった人が、この都市伝説を作り出している可能性が高いです」


 次に向かったのは学食だった。ここでも陽菜乃は同様の感情の残滓を感じ取った。


「ここでも、同じ人の感情が残ってます。先ほどの図書館と同じ男性です。この人は……」


 陽菜乃は学食の一角に向かった。


「ここで、その女性と一緒に食事をしていたことがあるみたいです。でも、その記憶が、今はとても辛いものになってる」


「なんだか、だんだん怖くなってきた」


「大丈夫だよ、泰河」


 翔也が励ましの言葉をかけたが、その表情も曇っていた。

 陽菜乃の霊感が示す情報は、この都市伝説の背後に深刻な人間ドラマがあることを示唆していた。



****



 夕方、サークル室に戻った三人は、真澄と晴音に調査結果を報告した。


「興味深い情報だね。過去の出来事と関係があるとすれば、に挑戦して消えた学生たちについても調べる必要があるな」


 真澄はうつむいて考え込む仕草を見せた。

 晴音がパソコンを操作しながら口を開いた。


「それについては、ワタシが調べておきました。に挑戦して大学から消えたとされる学生は、現在までに五人います。でも、実際には……」


「実際には?」


「全員、『自主退学』『転校』という形で正式に大学を去ってるんです。行方不明とか、そういうわけじゃありません」


 陽菜乃が首を傾げた。


「じゃあ、都市伝説は誇張されてるってこと?」


「そう。でも、注目すべきは別のことなんですよ」


 晴音は別のファイルを開いた。


「この五人、全員に共通点があるんですよ。全員が、同じゼミに所属していた過去があります。経済学部の宮城ゼミです」


 真澄が身を乗り出した。


「宮城ゼミ……それは偶然か?」


「偶然にしては、確率が高すぎます。それに……そのゼミでは、二年前の春に一人の学生が突然いなくなる事件があったんです」


 室内の空気が張り詰めた。


「どういう事件だ?」


 翔也が真剣に尋ねた。


佐々木久美ささきくみさんという三年生の女子学生が、ある日突然大学に来なくなって、そのまま退学してしまったんです」


「理由は?」


「表向きは『家庭の事情』ということになってますが……」


 晴音は別の画面を開いた。


「当時のSNSの投稿を調べると、宮城ゼミ内でいじめがあったという情報があります」


 陽菜乃の胸騒ぎが、急激に強くなった。


「いじめ……」


「はい。特に、久美さんに対する陰湿な嫌がらせがあったようです。そのせいで彼女は……亡くなっています……」


 真澄が立ち上がった。


「その久美さんと、今回のに関連があるのか?」


「可能性は高いです。そして……宮城ゼミで久美さんをいじめていたとされる学生たちのリストです」


 画面に表示された名前を見て、全員が息を呑んだ。


「これって……」


 泰河が震え声で言った。


に挑戦して消えた五人と、完全に一致してる」


 つまり、被害者とされる学生たちは、実は過去の加害者だったのだ。

 陽菜乃は胸元のお守り袋を強く握りしめた。


「これで、図書館で感じた『後悔』の正体がわかりました」


「どういうことだ?」


「あの感情の主は、久美さんをいじめた学生の一人です。そして、その人が今も大学にいて、の都市伝説を作り出してる」


 翔也が鋭く反応した。


「なぜそんなことを?」


「罪悪感から逃れるためか、それとも……」


 陽菜乃は窓の外を見つめた。窓から見える講義棟が夕焼けに染まっている。


「自分の罪を正当化するためかもしれません」

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