『紙魚の棲む書庫』
奇怪な依頼
秋の陽だまりが差し込む部室の窓辺で、
「うわっ! なになに!? 地震?」
「ただの紙の音よ、泰河」
陽菜乃は呆れたような笑みを浮かべながら、相変わらずの相棒を見やった。秋になってからというもの、泰河の怖がりぶりは一層磨きがかかっている。先週も、
「でも陽菜乃、最近読書ばっかりだな。なに読んでるんだよ?」
「民俗学の本。紅葉先輩に借りたの」
都市伝説研究サークル『カレイドスコープ』に入って半年。陽菜乃は自分の不思議な力……霊は見えないのに除霊や浄霊ができる体質について、もっと知識を深めたいと思うようになっていた。
部室のドアが勢いよく開いて、
「陽菜乃~、泰河~! 大変よ、とっても興味深いメールが届いたの~!」
紅葉の手には印刷された紙が握られていて、その瞳は好奇心で輝いている。妖怪民俗学を専攻する彼女が、この表情を見せるときは決まって面白い――いや、厄介な案件が舞い込んだときだった。
「なんのメールなんですか?」
陽菜乃が本を閉じて身を乗り出すと、紅葉は嬉しそうに紙を広げた。
「匿名の投稿なんだけれど~、とても興味深い内容なのよ~。『旧図書館の地下書庫にある和綴じ本が、読むたびに内容を変える』ですって~」
「は?」
泰河の間の抜けた声が部室に響く。陽菜乃も眉をひそめた。
「内容が変わるって、どういうことなんですか?」
「文字通りよ~。同じページを開いても、前回と全く違う文章が書かれているんですって~。投稿者は心理学科の二年生らしいけれど、最近休学してしまったの~」
紅葉の説明に、晴音が手元のタブレットを操作しながら口を挟む。
「あ、それ関連情報があります。ここ一ヶ月で、文学部三年と経済学部一年も突然休学・退学してるんです。で、三人とも学生相談室に『悪夢を見る』って相談に来てました」
「え、マジで?」
「しかも全員、休学申請の前に旧図書館の地下書庫を訪問してる記録があります。図書館の貸出履歴で確認しました」
晴音の情報収集能力に、陽菜乃は改めて感心した。彼女の調査スキルは、時として驚くほど的確で素早い。
「ちょっと待てよ」
泰河が震え声で割り込む。
「つまり、その本を読んだら悪夢を見るようになって、しまいには大学辞めちゃうってこと?」
「可能性としては高いわね~。そして興味深いのは、これが典型的な『
「染み? 汚れとかの?」
泰河が紅葉に聞くと、紅葉はクスクスと笑った。
「
紅葉の目が一層輝きを増す。こうなると彼女の民俗学講義が始まる合図だった。
「各地の伝承によると、紙魚の妖怪は古い書物の『記憶』を食べて生きているの~。そして時として、その本を読む人間の記憶まで食い荒らしてしまうと言われているのよ~」
「記憶を……食べる?」
陽菜乃の声に、不安の色がにじんだ。自分の除霊能力でも、記憶に干渉する系統の怪異は厄介な部類に入る。
「ちょっと待てって!」
泰河が立ち上がって手をぶんぶん振る。
「それヤバくない? マジでヤバくない? 俺の記憶食われたら、陽菜乃のこと忘れちゃうじゃん!」
「あんたねえ……」
陽菜乃は苦笑いを浮かべたが、内心では泰河の心配も理解できた。記憶を失うということは、自分自身を失うことに等しい。それは霊的な死と言っても過言ではない恐怖だった。
「でも、これは本格的な妖怪案件の可能性があるのよ~。しかも現代に生きる古典的妖怪。これを調査しない手はないわよ~」
「調査って……まさか」
泰河の顔がみるみる青くなっていく。陽菜乃は首にかけたお守り袋を無意識に握りしめた。中に入った小さな銀の鈴が、かすかに音を立てる。
「そう、現地調査よ~! 旧図書館の地下書庫に行きましょう~」
「うわああああああ!」
泰河の悲鳴が部室に響き渡った。
「やっぱりその反応よね」
晴音が苦笑いを浮かべる。
「でもワタシも気になる。記録係として、ぜひ同行させてください」
「晴音まで……」
泰河がガクガク震えながら椅子に崩れ落ちる。陽菜乃は立ち上がると、相棒の肩にそっと手を置いた。
「大丈夫よ、泰河。あたしがついてるから」
「でも陽菜乃、記憶食われるって……」
「だからこそ、放っておけないでしょ? これ以上被害者を出すわけにはいかないもの」
陽菜乃の言葉に、泰河はしぶしぶ頷いた。彼の優しさを陽菜乃はよく理解している。どんなに怖くても、困っている人を見捨てることはできない性格なのだ。
「それに、泰河の霊感があれば、危険を事前に察知できるじゃない。あたしには見えないものも、泰河には見える」
陽菜乃が微笑む。
「そっか…俺がいないと陽菜乃も危険なのか」
泰河の表情が少し引き締まる。彼なりに責任感を抱いているのがわかった。
「じゃあ決まりね」
紅葉が手を叩く。
「調査メンバーは陽菜乃、泰河、晴音、そして私の四人で~」
「紅葉先輩の知識、晴音の記録技術、泰河の霊感、そしてあたしの浄霊能力? バランスは悪くないわね」
陽菜乃が指を折りながら確認する。
「問題は、旧図書館の地下書庫って、普通は立ち入り禁止区域じゃないですか?」
晴音がタブレットを操作しながら口を挟むと、紅葉がニヤリと笑った。
「それは大丈夫~。管理人のおじいさまと顔馴染みなの。民俗学の資料調査ということにすれば、きっと鍵を貸してくださるわ~」
「さすが紅葉先輩、顔が広い」
「それより泰河、本当に大丈夫? 無理はしなくていいのよ」
「だ、大丈夫だって! 俺だって男だし、陽菜乃を一人で危険な目に遭わせるわけにはいかないよ」
心配そうに見つめる陽菜乃に、泰河は青くなりながらも強がって見せた。
そのとき、お守り袋の鈴が小さく鳴った。風もないのに、なぜか鈴が揺れている。陽菜乃は違和感を覚えたが、それがなにを意味するのかまではわからなかった。
「それじゃあ、明日の午後に決行しましょう~。準備するものは……晴音ちゃんの記録機材、陽菜乃ちゃんのお守り袋、それから懐中電灯ね~」
「俺はなにを準備すれば……」
「泰河くんは心の準備を~」
紅葉の言葉に、一同がくすりと笑った。泰河だけが「え、それだけ?」と困惑した表情を浮かべている。
「冗談よ~。泰河くんは霊感が一番大切な装備なんだからね~」
紅葉がフォローすると、泰河は少し誇らしげな表情を見せた。
「そうだよな。俺の霊感、結構すごいもんな」
「調子に乗らないの」
四人は明日の調査について最終確認を行った。陽菜乃は帰り道で、何度もお守り袋を確認していた。銀の鈴が、まるでなにかを警告するように、時々、小さく震えているような気がしてならなかった。
果たして明日、彼らを待ち受けているのは単なる都市伝説なのか、それとも本物の怪異なのか。
旧図書館の地下書庫で、四人の新たな冒険が始まろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます