自己受容と解放
夢の世界で、陽菜乃は佳代の記憶の中にいた。
二十年前の三号館非常階段。若い佳代が一人でカメラを構えている。時刻は午前四時。周囲には誰もいない。
『本当の私……どこにいるの……?』
佳代がつぶやきながらシャッターを切る。フラッシュが闇を一瞬照らし出す。
現像された写真には佳代一人しか写っていない。彼女が求める「完璧な自分」は、どこにも写っていなかった。
『私はダメな子……みんなに迷惑をかけて……完璧じゃないから……愛されない……認められない……』
陽菜乃は佳代の苦しみを痛いほど理解した。完璧でなければ価値がないという思い込み。ありのままの自分を受け入れられない苦しさ。
そして、佳代の最後の瞬間も見えた。
『もう疲れた……完璧な私になれないなら……いっそ……』
佳代が非常階段の手すりに足をかける。そのときの彼女の表情は、絶望に満ちていた。
「待って!」
陽菜乃は必死に佳代に向かって叫んだ。
「完璧じゃなくても、あなたはあなたよ! ダメなところがあっても、それも含めて佳代さんなのよ!」
しかし、過去の佳代には陽菜乃の声は届かない。彼女は静かに階段から身を投げた。
そして現在、佳代の霊が陽菜乃を見つめていた。
『あなたにはわからない……完璧じゃない私の苦しみは……』
「完璧ってなに?」
佳代の表情が一瞬揺らいだ。
『あなたは霊能力者として期待されている。みんなの役に立たなければならない。失敗は許されない。それが完璧でしょ』
「そんなの誰が決めたの? あたしはただ、困ってる人を助けたいだけ。失敗することもあるし、怖がることもある。それでも仲間がいるから大丈夫なの」
陽菜乃の言葉を聞いた佳代は、困惑したように首を振る。
『私は建築を学んでいた。完璧な設計図を描かなければならない。一つでも間違いがあれば、建物は崩れてしまう。人の命に関わることなの』
「でも佳代さん、完璧な建物なんて存在しないよ? 地震があれば少しは揺れるし、時が経てば劣化もする。それでも人は安心して住むことができる。完璧じゃなくても、愛されるものはあるんだよ!」
涙を流しながら叫ぶ陽菜乃を見て、佳代の霊が一瞬、動きを止めた。
『不完全でも……価値があるの……?』
「あるよ! 絶対にある!」
陽菜乃は心の底から叫んだ。
「あなたは佳代さんなのよ! 完璧な佳代さんでも、ダメな佳代さんでもない! ただの佳代さんなのよ!」
陽菜乃の胸元で銀の鈴が光った。お守り袋の銀の鈴が、温かい光を放っている。佳代の霊の表情が、わずかに和らいだ。
『私は……私で……いいの……?』
「いいよ! それでいいの!」
陽菜乃の浄霊の力が、銀の鈴を通じて佳代の魂に働きかけていく。苦しみと絶望に縛られた魂を、少しずつ解放していく。
ただ、二十年間の怨念は深く、簡単には浄化されず、佳代の霊は再び苦しみ始め、陽菜乃への憑依を続けようとする。
*****
現実世界では、泰河が陽菜乃の手を握りしめていた。陽菜乃の体温は徐々に下がり、呼吸も浅くなっている。
「おい陽菜乃、早く戻ってこいよ……」
泰河が呟いたそのとき、部室のドアが勢いよく開いて、真澄が息を切らして入ってきた。手には古い文献を抱えている。
「わかったよ。森川佳代を成仏させる方法が」
真澄は文献を開いた。
「彼女は自分自身を受け入れることができずに死んだ。だから陽菜乃を通じて、もう一度やり直そうとしているんだ」
「どうすればいいんですか?」
泰河が必死な表情で尋ねる。
「陽菜乃の銀の鈴だ。あれは浄化の力を持っている。夢世界と現実世界を繋ぐ媒介になるはずだ」
泰河は陽菜乃の首の紐を引っ張り、胸元からお守り袋を取り出した。小さな鈴が朝の陽ざしに美しく光る。
「陽菜乃、聞こえるか? この鈴の音を頼りに戻ってこい」
泰河が鈴を振ると、清らかな音色が部室に響いた。
*****
夢世界で、陽菜乃の耳に懐かしい鈴の音が届く。
「あ、泰河の声だ……佳代さん、あたしの仲間の声が聞こえる?」
『私には聞こえない。私にはもう、誰の声も』
「じゃあ、あたしと一緒に聞こう」
陽菜乃は佳代の手を取った。
「一人じゃ怖いだろうけど、あたしと一緒なら大丈夫」
『でも私は、私の中のもう一人の自分が怖い。あの子は私の全ての失敗を覚えている。完璧でない私を責め続ける』
「それも佳代さんの一部でしょ? あたしにも天然でドジな部分があるけど、それも含めてあたしなんだ。泰河も晴音も先輩たちも、そんなあたしを受け入れてくれる。佳代さんにも、きっと受け入れてくれる人がいたはず」
佳代の瞳に涙が浮かんだ。
『いた。恋人が一人。でも私は彼にも完璧でいようとして、疲れてしまった』
「完璧じゃない佳代さんも、きっと愛されてたよ」
*****
現実世界で、泰河が陽菜乃の名前を呼び続けている。晴音もカメラを通じて必死に状況を見守り、真澄は古い呪文を唱え始めた。
「安らかに眠れ、迷える魂よ。汝の苦しみを解き放ち、光の世界へと導かん」
部室に不思議な温かさが満ちていき、銀の鈴の音色がより一層澄んで響く。
*****
夢世界で、陽菜乃と美咲の前に光の階段が現れた。微かに真澄の声も聞こえてくる。きっと目を覚まさない陽菜乃のために、みんながなにか行動を起こしてくれているんだろう。
『これは……』
佳代が息を呑む。
「きっと、佳代さんが本当に行くべき場所への道だよ。あたしの仲間たちが、道を作ってくれている……でも一人で行くのは怖いでしょ? あたしも一緒に……」
『ダメ。あなたには生きるべき世界がある。仲間がいる。私のような間違いを犯してはダメ』
陽菜乃は佳代を抱きしめた。
「間違いじゃないよ。佳代さんは一生懸命生きてた。それは間違いじゃない。ただ、一人で抱え込みすぎただけ」
佳代の体が温かくなっていく。長い間凍りついていた心が、ゆっくりと溶けていくようだった。
『ありがとう。あなたのおかげで、やっと自分を許すことができそう』
光の階段を一歩ずつ上っていく佳代の姿が、だんだんと薄くなっていく。
「佳代さん、向こうで幸せになってね」
『あなたも。不完全でも素敵なあなたのままで』
佳代の姿が完全に消えると、夢世界の非常階段も崩れ始めた。陽菜乃は銀の鈴の音を頼りに、現実世界への道を辿る。
*****
「陽菜乃!」
泰河の声が間近に聞こえて、陽菜乃は目を開けた。部室の天井が見える。泰河の心配そうな顔が覗き込んでいる。
「お帰り」
泰河がほっと息をついた。
「うん」
陽菜乃は起き上がった。
「悲しい夢だったけど、ちょっと怖かった。でも最後は温かかったよ」
晴音がカメラの画面を確認して、安堵の表情を浮かべる。
「影、消えてる。もう一つの影が完全に消えた」
真澄が文献を閉じながら言った。
「森川佳代は成仏できたんだな。キミたちのおかげで」
「あたしじゃない」
陽菜乃は首を振った。
「みんながいたから。一人だったら、あたしも佳代さんと同じになってたかも」
泰河が照れくさそうに言う。
「まあ、陽菜乃一人じゃ危なっかしいからな。俺がついてないと」
「なにそれ、あたしのほうが泰河の面倒見てるでしょ」
「はあ? 俺のほうが――」
いつものように始まる二人の掛け合いを見て、真澄と晴音は笑った。
窓の外は、すっかり明るくなっている。長い夜が終わり、新しい一日が始まろうとしていた。
「そういえば……」
陽菜乃が思い出したように言った。
「佳代さんが最後に言ってくれたの。『不完全でも素敵なあなたのままで』って」
「へー。それ、俺がいつも思ってることじゃん」
「え?」
「おまえのポンコツなところも含めて、陽菜乃は陽菜乃だろ。それが嫌だったら、最初から一緒にいないよ」
陽菜乃の頬がほんのりと赤くなった。
「な、なにそれ。急に真面目なこと言わないでよ」
「俺はいつだって真面目だ」
「嘘つき。この前お化け屋敷で泣いてたくせに」
「泣いてないし!」
「湊先輩の怪談でも泣いてた」
「泣いてねーってばよ!」
賑やかな会話が部室に響く中、銀の鈴が静かに光を放っていた。これから先も、陽菜乃たちの前には様々な都市伝説が現れるだろう。でも、仲間がいれば、どんな怖い現象も乗り越えていけるはずだ。
不完全でも、温かい絆で結ばれた仲間たちと共に。
-☆-★- To be continued -★-☆-
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