第35話 ミメーシス④
すべてが終わったあと——奇跡の余韻が、湖に満ちていた。
歓声が弾けた。
「あれは本当に現実だったのか!?」「俺たち……本当に見たんだよな?」
人々の声が交錯し、湖畔は興奮の渦に包まれていた。
水面はまだ揺れている——まるで、湖そのものがこの奇跡を語り継ごうとしているかのようだった。
「こんなこと、あり得るのか……」
誰もが息を荒げながら、互いに確認し合う。
「あのドラゴン……本当に跡形もなく消えたんだよな?」 「間違いない。確かに俺たちは見たんだ。音も、光も、何もないのに——ただ、消えていった。」
その言葉には、興奮だけでなく、どこか恐怖すら混ざっていた。
だが、それだけではなかった。
「俺……湖に投げ出された時、確かにこの腕、切れてたはずなのに……。」
傷が、なかった。
「死んだはずのあいつが、歩いてる……。」
震える声が、湖畔のざわめきに紛れる。
波に呑まれた者が、何事もなかったかのように戻ってきた。 怪我を負った者が、まるで最初から無傷であったかのように立ち上がる。 命を落とした者が、静かに息を吹き返し、湖畔の風に目を細める。
そして、次の瞬間——
「待て!俺もだ……!」
新たな声が響いた。
「俺、さっきまで肩が動かなかったのに……動く!痛みが消えてる!!」
「おい、なんだこれ……俺も息が苦しかったはずなのに、普通に呼吸できる!」
「奇跡だ……奇跡だ……!!」
最初はざわめきだった歓声が、いつしか絶叫へと変わっていた。
叫ぶ者、泣き崩れる者、笑い声をあげる者——そのどれもが、奇跡の目撃者だった。
湖畔の空気は狂気じみた熱気へと変わりつつあった。
「こんなの……あり得るか……!?こんなこと……!!」
誰かが震えた声で呟いた。
湖畔の熱狂は、次第にひとつの感情へと収束していった——畏敬。
歓声が嵐のように巻き上がる。
「公爵!公爵……!!」
誰かが震える声で叫んだ。
その瞬間、湖畔の空気が変わった。
最初はただの驚きだった。奇跡を目の当たりにした混乱。
だが、その奇跡の中心にいる男——カナタ公爵の存在を思い出したとき、人々の視線はひとつになった。
「閣下……これが……閣下の力……!」
「神話か……?いや、違う……これが現実だ……!!」
次々に言葉が交錯する。
湖畔に膝をつく者、手を合わせる者、ただ呆然と立ち尽くす者——誰もがカナタ公爵の名を口にしながら、その威光を称え始める。
「俺は見た……この湖の奇跡を見た……!!」
「カナタ公爵の名は、この先ずっと語り継がれる……!」
「今ここで、この場にいた者たちは……後世に伝えるべき証人だ……!」
興奮が広がり、人々の敬意が最高潮に達する。
そして、誰かが——
「万歳!!」
そう叫んだ瞬間、波のようにその言葉が広がった。
「カナタ公爵万歳!!」
「閣下万歳!!」
「万歳!!万歳!!」
歓声は次々に重なり、湖畔全体がその名を響かせる。
風が穏やかに湖を撫でる——それすらも、公爵の奇跡にひれ伏しているかのようだった。
◇◆◇◆◇◆
「ひっひどい目に遭った…」
「お疲れ様です。カナタさん」
華怜さんの静かな声が響く。
風が優しく頬を撫でる。先ほどまでの混乱が嘘のような静けさ——。
転移結晶を使い、騒然とした湖畔から抜け出し、別の階層へと逃れてきた。
喧噪は遠く、ここにはただ穏やかな空気が流れている。
華怜さんは、一度息を整えると、俺を見つめた。
「カナタさん……ひとつ、聞いていいですか?」
「ええ。なんでしょうか?」
人心地ついた後、彼女は静かに尋ねて来た。
「カナタさんの奇跡もすごかったですが、あの男もモンスターを召喚…と、言うより生み出していたように感じます。あの力って…」
華怜さんのその瞳には鋭い探求の色が宿っていた。
「はい、華怜さんの推察通りですよ」
そして、ゆっくりと答える。
「隆行も使っていた…ダンジョンエネルギーですね」
「あの波を立て突風さえ操っているように見えました。あれも?」
「あの湖ならではの強引な技ですね」
「ダンジョンエネルギーだけで、嵐を起こし、ドラゴンさえ生み出す。それほどの力は確かにあるでしょう」
短い沈黙の後続けた。
「……でも、あの男にはそこまで扱えない」
「あの湖だからこそ、男が扱えた…。絵を実現化させたのですか?」
華怜さんの言葉は俺は黙ってうなずいた。
スーツ姿の男には、ダンジョンエネルギーを扱うことはできても、それを御せるほどの力はない。弓絵のようにパワーのみに頼り、出力することにかけては可能であっただろう。
しかし、あの湖だけは特殊だった。
ただの風景だけではない、「絵そのものを幻影化させる技術」がある。あとは、そこにエネルギーを追加してあげるだけだ。
しかし、人の命を奪って、経験値に変える技術…。あれは別ものだろう。
ふと、ある男の姿が脳裏に浮かぶ。
川村——。
奴も、人のパーティーから経験値を掠め取っていた。
……だとすれば。
俺は眉をわずかにひそめ、考えを巡らせていた。
ふと、顔をあげると華怜さんと目が合う。
思考の終わりを待っていてくれたようだ。
「カナタさんも湖の幻影化の力を使いましたよね?」
「はい。あえて使ってみました」
「あれは1回ですか?2回使ったんでしょうか?」
「2回ですね」
「1回目は、すべての静寂……。音も光も消してドラゴンを消し去った時。2回目は、怪我人を治し、死者を蘇らせた…」
「ドラゴンを消し去ったのは違いますね」
「?」
俺の言葉に、華怜さんは、きょとんとした表情で首を傾げた。
「いや、1回目のタイミングも合ってはいます。あらかじめ白紙の紙を湖に浸けました。白紙の紙を用意するのは得意ですからね」
白紙だからこその静寂の演出。
華怜さんは「なるほど」と呟きうなずく。
「演出も恰好良かったです」
そう言って、華怜さんは口元に指を当てる。
あの時の俺の仕草を、まるで鏡のように再現する。
「……こんな感じ、でしたよね?」
彼女の口元には、わずかな微笑が浮かんでいた。
「ドラゴンを消したのは俺の力技です。徐々に消し飛ぶ演出なんて恰好いいかなぁと…」
「はい。とても興奮しました!カナタさんとドラゴンとの直線上に居た人なんて、目の前に居たドラゴンが消し飛び、次にはそこにカナタさんが現れたんです。まるで英雄譚の一場面――きっと一番興奮したに違いありません。あの場にいた人が、心底うらやましいです」
「華怜さんを演出家として迎え入れれば良かったですね。そんな恰好いい映像思いつきませんでした」
「ふふ、それくらいドラマチックでしたよ」
二人して笑い出す。
「2回目も不思議でした。まるで時間が巻き戻ったかのような奇跡でした。……あれはどうやって?」
「ええ。華怜さんのパクリですよ」
「パクリ…ですか?」
「はい。宝田さんの地図の応用を……ね」
「6マス進むと一回休む……あっ!」
華怜さんは呟きながら考え込んだ。すると…
「ふりだしにもどる!」
華怜さんは嬉しそうな声で、正解にたどり着く。
華怜さんとの間には、風景なんていらなかった。
ただ言葉を交わしながら、自然と微笑み合っていた。
「次に湖に行くときは、写真をたくさん持っていきましょうか?これからも、そんな瞬間が増えていきますよ」
「いえ…。必要ないです…」
優しい風が静かに吹き抜ける。華怜さんの髪がわずかに揺れた。そのまましばらく沈黙が続いたあと、彼女は微笑みながら言葉を紡ぐ。
「だって、二人でいた場所ですから、既に思い出の場所になってます。それに二人で一緒に湖に戻れたら、…それだけで十分ですから」
「そうだ。カナタさん、次は紙飛行を浸しましょう」
いい名案だとばかりに、華怜さんは弾むような声で語り掛けてきた。
「紙飛行機は白紙ですよ?」
「大丈夫ですよカナタさん。紙飛行機には人の思いが載せてありますから……」
彼女はそう言って笑った。
◇◆◇◆◇◆
後日談
3階層の風景画を飾るギャラリーは、いまや大盛況だ。
ギャラリーには、カナタ公爵の壮大な活躍を描いた作品ばかりのコーナーが存在している。
さらに、人々はこれらの絵を手にし、湖でその場面を再現することが一大ブームとなっていた。
「やっぱりこのシーンだよ。一番圧巻なシーンさ」
ギャラリーに飾られた絵を見つめながら、男は語りだした。
「ものすごい迫力の巨大なドラゴンが目の前に現れたんだ 誰もが息を飲んだ。圧倒的な存在が、辺りを支配する……だが、不思議なことに、周囲はしんっと静まり返っていったんだ…」
男は絵に手を伸ばすような仕草をする。
「そして、そのドラゴンが——次の瞬間、消し飛んだ」
言葉には熱がこもる。まるで、その場にいたかのように。
「音もない。光もない。ただ……消えたんだ。信じられるか?目の前の圧倒的な怪物が、一瞬で…いや違う、徐々に跡形もなく消えてゆくんだ」
「次に目にした時、ドラゴンがいた先にカナタ公爵がいたのさ」
男は語る。熱がこもった声だった。
「そりゃぁ恰好良かったぜ。口元に人差し指を当て、お前は——」
男が熱く語るその話は、カナタの耳に入っていた。
「……このギャラリー、演出家がまぎれ込んでますね」
ギャラリー案内所の入口には、一番の人気作品が飾られていた。
湖に浮かぶ小舟で、一組の女性と男性がお互いに微笑み合っている一枚の絵だった。
しかし、構図がどうしてもパンフレットにしか見えない為、案内所の入口に飾られていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
この小説の表紙も、美佐江さんに描いていただきたいと願っています。
きっと私の想いに寄り添い、ぴったりの構図で仕上げてくださると思います。
『高評価・ブックマークお願いします』とね。
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