17節.裏金ありきの法令審査会
マグネン=ヘラクリアという男は猜疑心の強い男だった。
基本小物で臆病なくせに、出世欲、金銭欲、虚栄心が異常に高い。
ダナ家と同じく元貧乏騎士家であるヘラクリア出身なのだが、婚約者だった従妹がテオドリウスに寝取られたことで、一時期精神に異常をきたし領地に引き籠っていたそうな。
しかし、その従妹がネロとカリギュラを出産したことで、ヘラクリア家の親族は一気に要職につけられ、領地と金も多く貰えるようになった。
マグネンは魔力量が多く、判定優だったこともあり、半ば無理矢理ヘラクリア家当主にさせられたと聞いている。しかし、政治的才覚やカリスマ性は一切なく、だんだんと領地を衰退に追い込んでいったが、上に媚びるのだけは上手かったのでテオドリウスに可愛がられ順調に出世していった。
皮肉にもマグネンは最愛の人を寝取った相手に仕えることで、さらなる繁栄を手に出来たのだ。
テオドリウスに寄生する形で生きてきたこの男は、次はその娘をターゲットに触手を伸ばし、レイズブルク領全体を蝕まんとしていた。
領主の執務室の隣には、謁見の間がある。
そこでマグネンは王の如く振る舞っていた。
レイズブルク領各地から勢ぞろいした騎士全員がそこに集まり、列を作って挨拶の順番を待っていた。皆手に立派な”お土産”を用意している。
俺は毎週、こいつの糞どうでもいい帝王学の授業を受けているので、挨拶は免除されているのだが、アンカラの同行者として付き添いをしていた。
「カロリーヌさん。ヘレ家のご令嬢にしては、私への付届けが少ないのではありませんかな?」
「……私は父から送られてきた袋を貴方にお渡ししただけです。額面については聞かされていません」
「この小娘が! なんだその態度は。私は男爵だぞ。卿と呼ばんか、無礼者が!」
俺の見ている前で、パワハラを受けているのは、ネロの側近になったカロリーヌちゃんだった。マグネンが立ち上がり、自慢の鉤鼻を息荒くさせ、金の入った封筒を机に叩きつけた。中から金貨が散乱する。その数はざっと100枚くらいだった。何が不満なんだ。結構な大金じゃねぇか。
お前偉そうに言っているけど、これって立派な裏金の要求だからな。
「そもそもなぜ当主のサザ殿ではなく、貴女が代理で来ているのですか」
「申し訳ありません。サザは先日の地震で狂暴化した魔物の駆除に忙しく来ることができませんでした。明日の騎士総会には駆けつけるとのことです」
「はぁ。私そっちのけで、魔物を優先したのですか。そう言えば貴女の父君であるサザ殿は昔から人付き合いが苦手でしたなぁ。運動ばかりして学がなく、まるで猿のような男だった。貴族としての優雅さなど欠片もない愚か者。そんな彼に期待しても無駄だったということですな」
「……ぐっ」
偉いなカロリーヌ。ちゃんと我慢している。
自分はサザの娘だって、自慢の父だって誇らしげにしていたのに。でも、なんか目の下に隈が出来ている。普段からネロの側近として勤め、さらにこんな下劣な男に頭を下げないといけないなんて、本当にストレスMAXな職場だよ。マジで同情する。あとで甘いものでも差し入れてあげよう。
カロリーヌの次に、続々と騎士達がマグネンに頭を下げ、挨拶を行い、手土産や付届けを渡していく。時間が経つにつれ、山のような財物が出来ていた。
マグネンはご機嫌でホクホク顔であった。
そしてあれよあれよと、アンカラとニールの番になってしまった。
「おお、ニール殿。それにアンカラ殿。お待ち申し上げておりましたぞ。ダナ家の最近の目覚ましい活躍はニール殿から毎週聞いております。 いやー、優秀な後継に恵まれて本当に羨ましい」
「はっ。しかし、それもマグネン卿のご指導ご鞭撻があったからこそですよ。私もマグネン卿のネログレーテ様を献身的に支える忠誠心には感服するばかりです」
「ほっほっほ。ニール殿も将来はネログレーテ様を支える重臣となられるお方です。ゆくゆくは一緒に仕事が出来たらよいですなー。さて、それでダナ家の付届けはいかほどのものかな? たっぷり稼いでおられるのでしょう。さぞかし大金が入って……」
嫌らしい笑みでアンカラから受け取った袋を開けるマグネン。
ずっしり重みのある大きな麻袋だった。
さて、いくら包んだのか?
残念ながら俺は額面を知らされていなかった。父がこんな裏金のようなことを息子にさせたくないと、汚れ仕事を引き受けてくれたのだ。
「……わ、私の目の見間違いかな? こ、この袋の中身は、全部、全部野菜ではないか!」
マグネンが麻袋を地面にぶちまけた。
うおっ、マジで野菜だった。美味しそうなキャベツ、ニンジン、ほうれん草、大豆がゴロゴロと謁見の間を転がっていく。
その野菜を拾う一人の老紳士がいた。執事長改め、城の清掃員に降格させられたジョンの姿がそこにはあった。そしてアンカラの背後には30名を超える騎士達が集まっている。レイズブルク領東部と南部に領地を持つ者が中心になっていた。
「その野菜は俺の領地の畑で採れた新鮮なものだ。ぜひマグネン卿にも食していただきたい」
いきり立つマグネンに負けず、アンカラがずいっと前に出る。
鼻先がぶつかるほどの至近距離で目線がぶつかった。
その背後からアンカラを援護するように多数の声が響いた。
「私も卿に付届けを持ってきたぞ。うちの鶏が朝産んだ卵だ。目玉焼きにでもして食ってくれ」
「私の街で作ったパンもあるわよ。絶品なんだから」
「俺は南部の騎士でな。自慢できるもんは一つもないが、魔物はいくらでも出てくる。魔物の血肉を持ってきた。受け取ってくれ」
おっと、この流れは穏やかじゃないぞ。
ジョンさんを中心にアンカラら騎士が団結している。
これは明らかなマグネンへの反抗だ。
ジョンさん達はマグネンを取り囲むように歩を進めていく。
「き、貴様ら、こんなことをして許されるとでも思っているのですか! 私を馬鹿にして、こんな無礼な真似までして! 私はネロ様の補佐役ですよ! まだ幼いネロ様の代わりに政務の全てを取り仕切っている存在なんですよ! それに貴様ら騎士爵よりも上位である男爵だ! 身の程を知りなさい!」
「申し訳ありませんが、貴方のこれ以上の横暴を見過ごすわけにはいきません。このままだとレイズブルクは滅びてしまいます。その前に私達が食い止めさせてもらう」
ジョンが決意の籠った眼差しを向けた。
マグネンが口元を歪めて唾を飛ばしながら怒鳴る。
「ネロ様にこのことを言いつけますよ?」
「覚悟の上です。明日の騎士総会でマグネン卿にはネロ様の補佐役を降りてもらう決議を行います。どうぞ卿もご覚悟を」
ジョンさんが冷徹に言うと、周囲の騎士らそれに賛同した。
しかし、領庁にはマグネン派の騎士達も大勢いたようで、多数がいきなり乱入してくる。
「マグネン卿を守れ!」
「貧乏田舎騎士どもに負けるな!」
アンカラ達を押しのけ、マグネンを守るように立ちはだかる。
主にレイズブルク北西に領地を持つ騎士が中心とした勢力だった。レイズブルク領の北西部は西の都とも呼ばれるジャガプールと街道で繋がっており、かなり商業的に繁栄している。魔物の出没も少なく、安全な土地で暮らす彼らの見た目は騎士というより商売人に近い。彼らはマグネンに付き従いこれまで甘い汁を吸ってきた連中だ。ネロの権力を傘に好き放題やり、無茶苦茶な税率で民衆を虐げている悪徳騎士どもである。
謁見の間はマグネン解任派と継続派で真っ二つに分かれてしまった。
¥¥¥
「大丈夫かい、カロリーヌ」
「え、ええ。ありがとう。大変なことになったわね」
騎士達が喧嘩直前の雰囲気になり、両派閥がにらみ合いを続けている中、俺は茫然としているカロリーヌの手を引いて安全圏に離脱していた。
騎士は皆魔剣を持っている。一瞬即発、乱闘騒ぎになったら巻き込まれかねない。子供がいていい場所ではなかった。
「どうやら昨日の時点でマグネン反対派をジョンさんが組織していたらしいね。そこに僕の父上も加わって、常識ある騎士らがどんどん集まっていったってところかな」
「こんなことになるなんて全く聞いていなかったわ。名門のヘレ家を蚊帳の外に置くなんて信じられない」
「僕も父上から何も聞かされてなかったよ。多分、これは昨日の時点で急遽決まったことなんだろう。皆レイズブルクの将来を憂いているってことかな」
結局マグネンはやり過ぎたのだ。
アンカラはじめレイズブルクの貴族にも良識派はいて、現状を変えたい人達も水面下で多くいた。
補正予算ヒアリングのことで頭がいっぱいだったが、その裏でこんな物騒な事態が進んでいたのか。本当に寝耳に水の事態だった。
「ここで乱闘になるのかしら?」
「いや、多分そこまではいかないんじゃないかな。皆メンチ切ってるだけだし。でも、今日の午後から開かれる法令審査会の後の議案提出でかなり揉めるだろうね」
「どういうこと?」
カロリーヌが難しい顔で首を捻る。
レイズブルク領全体を治める例規を領令と呼ぶのだが、その下位にあたる各騎士が治める地域に根差した狭い範囲で使える例規を士令と呼んでいる。揃って条例と呼ばれることもあるが、国法に反しない程度で自由に決めることが可能になっていた。
各領地それぞれ少なからず特色があり、地域密着型のルールが必要になってくる。俺がこれから定めようとしているリンデンの土地区画整備条例の改正も急務なのだが、そのためには領庁に改正内容を立案依頼提出し、法令審査会の後、騎士総会で議案として提出し、ネロに決裁をもらい、条例として公布する必要があった。
本日午後からマグネンが立ち合いの下、法令審査会が開かれる。
多分マグネン解任派の出した法令は全て却下されるんじゃないだろうか。
却下される法令には俺のように街の投資に関してのこともあるが、大部分は先日の地震による魔物被害を受けての防衛のための施策らしい。
レイズブルク領南部の生きるか死ぬか瀬戸際で戦っている騎士や郎党、それに民衆の安全のための大事な法令も入っている。
それが却下されるとなると、剣を抜きかねない輩が大勢出てくる。
騎士総会は弁舌の斬り合いと例えられることがあるが、実際に斬り合いになる事態になりかねない。
「どうしよう、ニール? 私明日父上に何て説明したらいいのかしら? 多分父上がここに着くのは明日の正午頃。騎士総会は午後1時から開始。到底説明しきれないわ。もしかしたらどちらに付くか、私が選択しないといけないかもしれない。そんなことになったら、私はどうしたらいいの? マグネン派かマグネン解任派か。気持ちのうえではあんな奴大嫌いだから解任してほしい。ネロ様の教育にも良くないし。でも、多分ネロ様はあいつを信用してる。ネロ様はマグネンの方を応援するわ。ネロ様の側近の私はどうしたらいいの?」
「難しいな。僕にもどうなるか読めない。ただ最悪の未来を想像しておくことも必要なのかもしれない」
「最悪の未来?」
少し怯えた表情を浮かべるカロリーヌ。
俺は出来る限り落ち着いた様子を演出しようとした。しかし、彼女を安心させようと笑みを浮かべるが、どうしても苦笑いになってしまうのを止められなかった。
「内乱、かな。領内東西で分かれて戦争になる」
「そんなまさか⁉」
「全ては騎士総会でネロ様がどうなさるかですね。うーん、ここにネルウァ様がいたらうまく止めてくださるだろうにな」
いや、本当にネロが止めてくれないとマジで戦争になるぞ。
ネルウァは今オルミ領の反乱勢力の南下に備えて北の要塞に詰めているらしい。
7歳の確定申告にはアカルガに帰ってくるらしいが、それもどうなるか怪しいところだった。
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