死天使学園のお嬢様部~野生のお嬢様が現れた!~

 もし、そこの貴方。ハンケチを落としていましてよ? え、落としてない? そんな筈ありませんわ。今はっきり見ましたもの。ほら、これ、落としになりましたでしょう? ああ、無視なさらないで。どうか、足をお止め下さいまし。何ですの、そのゴミを見るような眼は。ぞくぞくしてしまいますわ。やめて下さいまし。


 茶番? 何の事ですの? 前にも同じやりとりを? おほほ、そうでしたかしら。わたくし、こうしてよくハンケチを拾うので、そういう事があったとしてもおかしくはありませんわね。


 ああ、逃げないで下さいまし! 認めますわ! 覚えてます! 覚えてますわ! 忘れもしません。あの日――この聖サリエル学園の入学式で貴方をお見初めしたときのことを。

 覚えていまして? あの麗らかな日差しの――いえ、雨模様だったかしら。まあ、空模様なんて些細な事ですわね。とにかく、あの日、入学式の日、私は貴方とお会いしましたの。覚えてない? まあ、いいですわ。


 私、こう見えても首席合格者でございましてよ、えへん。ああ、お待ちくださいませ。話を聞いて下さいませってば。

 何も自慢話がしたい訳じゃないではありませんのよ。重要なのは、私が新入生代表として入学式で挨拶をする事になっていた、という事ですわ。


 この聖サリエル学園の評判はご存じでしょう? 全国的にはほとんど知られていない、地方のミッションスクールにすぎませんわ。同じ県内に目を向けてももっと有名な私立女子校がいくらもございますでしょう?

 ええ、その通り。この聖サリエル学園のブランドイメージがあるとしたら「お嬢様学校」というその一点に尽きますわ。


 お嬢様学校。


 一体、何をもってそう定義するのかは諸説あるでしょうけれど、事実として、この学校には良家のご令嬢が多数通っておられますわ。ええ、そう、実家は太いものの勉強がそこまでできる訳でもない令嬢たちの受け皿がこの学園という訳ですわね。

 創立七〇年を数える伝統と、キリスト教に基づく規範。男子禁制の花園にして、将来同じように地位や立場のある嫁ぎ先が用意されるであろう令嬢達を害虫の寄り付かない環境で純粋培養するにはうってつけの温室。それがこの聖サリエル学園。


 それは、生まれに甘んじず、自身の学力で身を立てんとする私の野心とはかけ離れた環境でしたの。

 でも、仕方ありませんわよね。本命の学校には落ちてしまったんですもの。ええ、ですから入学当初の私は腐っていましたわ。入学式の挨拶だってバックれ――コホン、辞退しようと考えるくらいには。


 そんな灰色の学園生活を変えたのが、貴方ですわ。覚えていまして? 貴方はあの日、サリエル像の前で私に声をかけて下さいましたでしょう? 「タイが曲がっていましてよ」と。あの時は正直、面食らいましたわ。だって、いくらお嬢様学校と言ったって、そんな少女小説の様な言い回しを聞く事になるなんて思いもしませんでしたもの。

 どぎまぎする私をよそに、貴方はタイを手際よく整え、そして、耐えかねた様に吹き出しましたわね。「そんな顔しないで」と、いつものフランクな口調にお戻りになって。

 私、あの時の貴方の言葉を今でも胸に大切にしまっていますの。「確かに大した学校じゃないけど、いい子と面白い子には事欠かないよ。学食もおいしいしね」と。


 ぽかんとする私をよそに、貴方は足早に去ってしまわれましたわね。

 あの素敵なお姉様はどなたでしょう、と私、その姿を探しましたのよ。ええ、入学式の新入生挨拶で壇上に立った時に。でも、貴方はどこにもいらっしゃいませんでしたわ。お名前から考えるに、あの日、二年A組の空席だった場所が貴方の席だったのでしょうね。

 おほほ、私、これでも首席ですから。記憶力には自信がありましてよ。

 入学してからの数週間は、貴方の陰を追い求める事に費やしましたわ。野を分け草を分け――いいえ、お嬢様を分けお嬢様を分けして、そして私はようやく辿り着いたのです。ええ、そうです。お嬢様部に。


 生憎と、貴方は在籍されてませんでしたけれど、私にとっては僥倖の出会いでしたのよ。ええ、お嬢様部のお姉様方は皆とても素敵な方ですの。それはもう優雅で、言葉遣いからして私の様な一般お嬢様は及ぶべくもない、天上人の集いでしたわ。

 おほほ、私も練習しましたのよ。この喋り方も少しは板についてきましたかしら?


 お姉様方は何も良妻賢母予備軍としての責務からその様な振る舞いをされているのではありませんのよ。

 各々が思い描く理想のお嬢様たること。それそのものがお姉様方の自己実現の手段ですの。たとえば優雅な言葉遣いで話すことや、アフタヌーンティーを嗜むこと、あるいはノブレス・オブリージュ精神の発露として近所のボランティア活動に参加することもその一部ですのよ。


 って、お待ち下さいましってば。どうして、そうすぐ逃げようとしますの。

 覚えてない? ええ、貴方はそういう方でしょうとも。貸し借りを作るのがお好きではない、そういうさっぱりした方ですわ。

 けれど、実際、貴方は入学式に出席なさらなかったでしょう? 私、壇上からそれをしっかり確認していますのよ。それにどう説明をつけますの? 入学したばかりの私が、数多在籍するお姉様方の中から貴方に目を付け、その動向に注目した理由が他にありますの?


 そうでしょうとも。貴方はあの日、入学式をサボタージュなさった。それは揺るぎない事実。で・す・か・ら、貴方が覚えていないだけで、実際に私を救ってくれたんですわ。QEDですわ。

 ですから、どうか、私と一緒に来てくださいませ。お・姉・様♡ 一緒にお嬢様部の部室でアフタヌーンティーと洒落込みません事? 損はさせませんわよ。


 ああ、お待ちになって。分かりましたの。認めますの。これは勧誘ですの。お嬢様部に入部なさってほしいんですの。

 そんな薄情な事は仰らないで下さいまし。私と貴方の仲じゃありませんの。ね? お願いですわ。

 って、誰がゴリラですの! 齢十五の乙女を捕まえて言う事ですか! これは腕力ではなく、思いの強さですの。さあさあ、部室にいらっしゃって。何も最初から入部届に判を押せだなんて言いませんわ。まずはじっくりとアフタヌーンティーを楽しんで、それから――


 え、今何と仰いました? 来てくれる? ものすごく嫌そうな顔をされてますけど――とにかく、やりましたわ! やっぱり、お嬢様は根性と執念ですのね!




 さあさ、ご遠慮なさらずお入りくださいまし。ええ、ええ。そうですわ。そちらに書いてある通り、ここが『お嬢様部』の部室ですのよ。


 え? 想像以上に質素ですって? まるで物置き? まあ、案外とお口が悪くていらっしゃるのね! そんなところも嫌いじゃありませんことよ。


 あら、あらあら。急に積極的に部室に向かわれるなんて、どうしましたの? え、付き合ってられない? そそそ、そうですわよ! 急にお付き合いだなんて。まずはお友達から始めなくっちゃ……え、違う? そんな話はしていない?


 ……こほん。失礼いたしました。取り乱しましたわ。


 ええと、そう。お嬢様部の部室の話でしたわよね。

 貴方は質素と仰るけれど、華美である事だけが美徳ではございませんの。お嬢様部において大切なのは、その心の在り様ですわ。

 お嬢様らしいゆとりのある心を持つ事で、仕草や行いにもその心が現れるというもの。己を美しく見せるために贅沢に溺れるなんて、全くもって美しくありませんわ。必要以上の豪勢さを求めるなんてもってのほか。

 ですので、お嬢様部の部室もまたこちらの旧科学準備室の予備庫を使わせていただいているのです。ええ、あえて、ですのよ。あえて、畳二畳分にも満たない誰も使用していないこの場所を選んでいるのですわ。お嬢様らしくあるために、ね。


 さあさ、我が部を御覧になって。そう、そこのドアノブをひねるだけでよろしいのよ。え? 鍵はかかっていないのか、ですって?

 そんな大層なもの、この弱小部に……い、いいえ! いいえ、そうではなくて。ええと、そう! 我がお嬢様部は、誰でもウェルカムなのですわ。


 鍵がないのはその心の現れ。

 いつでも誰でも迎え入れるという、お嬢様の広い心をリスペクトしているという事なのですわ!


 そう、だから貴方のように控えめで、躊躇いがちな方であっても、お嬢様部は大歓迎。

 むしろお嬢様の素晴らしさをご存知ない貴方の様な方こそが、我が部の求めている人材と言えますわ!


 さささ、ですから遠慮なさらず、お入りになって。扉が軋むなんて些細なこと、気になさらずに。お嬢様はそんな細かなことを指摘なんてしなくってよ。


 いいえ、よろしいの。初めは誰しも分からないものですわ。大切なのはそこから新しく学ぶこと。

 ひとつひとつ新しいお嬢様らしさを学び、身に着けていけば、きっと貴方も今に立派なお嬢様になれますわ。


 さあ、入部届をお書きになって。そう、そこへおかけになって。いいえ、その机は段ボールではございません。オーク材を使用した書き物机ですの。床に座るのか、ですって? ほほほ、おかしな事をおっしゃいますのね! お姉様には見えませんの? この毛足の長い、その長さおよそ一メートル超の絨毯が! 


 ささ、まるで座っていないかの様な絨毯の肌触りを楽しみながら、お書きになって。学年とクラス、お名前を。

 入部動機は何でも構いませんのよ。思いつかないようでしたら『お嬢様に興味があって』とでもお書きになって。あら、貴方とっても字がお綺麗ね。お嬢様みがあって、羨ましいわ。


 書けましたの? ありがとうございます。確認させていただきますわ。

 ……ええ、ええ。間違いなく、受領いたしました。もう逃しませんわよ。貴方はその命続く限り、未来永劫このお嬢様部において私のお姉様となったのですわ。


 ようこそ、お嬢様部へ! 


   ※※※ ※※※


 渾身のお嬢様らしい笑顔で、朗らかに告げた歓迎の言葉の余韻が、ひとりきりの部屋の中に消えていった。


 そう、ひとりきり。ここまでたったひとりで喋り続けていた私は、手応えを感じて拳を握りました。


 いける、いけますわ。


 ここまでのシミュレーションは完璧。これで、お嬢様部の記念すべき部員第二号は明日にもゲットできる事でしょう。第一号はもちろん私です。

 なんならまだ部としての申請を受け取って貰えていないので、私自身も野良お嬢様部員ですけれど。

 野良ではどうにも優雅さに欠けますから、野生のお嬢様部員と名乗ろうかしら。それとも野ばらのように、野嬢様のじょうさま部員がよろしいかしら?


 私がこうして野嬢様に身をやつしているのは、とある不幸のせい。

 期待に胸膨らませて入学したというのに、素敵な部長も笑い合える同学年も不在。なんならお嬢様部自体、数年前に消滅しているだなんて、誤算も誤算、大誤算。


 ほんの少し、情報の確認を怠っただけですのに! 数年前の情報を見かけて調べたつもりになって、意気揚々と受験票に校名を書き込んだだけですのに! 

 遂にお嬢様として生きられると、期待に胸膨らませてきた私ですのに。クリームでスコーンを食べるような、こんな仕打ち、あんまりですわ!


 そう言って入学早々、先生に泣きついたけれど、返ってきたのは「部活動は学生三名以上、顧問ひとりがそろって初めて活動を認められる。これは過去に存在した部活であろうが、新規の部活であろうが例外はない」という無慈悲な答え。


 私はお嬢様部を楽しみに入学したというのに! お嬢様部のない暮らしなんて、そんな悲しい学生生活ったらありませんわ!


 ですから、私は奮起いたしました。自ら部活動を興す事にしたのです。

 パンがないならお菓子を食べる様に、部活がないなら作ってしまえばよろしいのよ! それでこそお嬢様というもの。いっそ楽しみになって参りました。だって、ここから先には希望しかございませんもの。


 ですから、待っていて下さいましね、まだ見ぬお姉様部長、素敵なお姉様部員の皆様。

 私が立派にお嬢様部を作り上げてみせますわ。そのために、部員候補たちの前でハンケチを落として落として落としまくって、清く正しく美しいお嬢様部の創立をご覧に入れてみせますわ。

 その暁には、こんな誰も使ってない部屋をこっそり私有化するだなんてみみっちい事はやめて、校内で一番広くて空調も効いていて掃除も行き届いている部屋を部室にしてみせますとも! 輝かしい青春の日々のために!


 私は決意も新たに、ハンケチ×十でぱんぱんに膨れたスカートのポケットを景気付けに叩き、放課後の校舎へと立ち向かっていきました。

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