3-2
その週末、俺は恒例の洗浄の為に雄大の作業所に出向いた。赤や緑で飾られていたヒューマン地区とは違い、HAIタウンには季節感のかけらもない。
「今日はいつもより洗浄が必要だったんだが」
ホースを片付けながら、雄大が俺を見た。
「人間とお付き合いするのも大変だな」
雄大の嫌味に気付いたが、図星なので何も言い返せない。悠里と一緒に昼休みを過ごすようになると、必然的に昼食が必要となってしまった。真知子さんは喜んで弁当を作ってくれたが、俺の体内は消化されない食物で埋まっていく。
「そういう状況なら、洗浄の頻度を増やした方がいいかもしれないな」
雄大が呆れているのは、俺の食生活に対するものではなく、悠里との過ごし方に対してだろう。それを証明するように、
「最近、人間とはどうなんだ?」
と雄大が訊ねてきた。以前のような好奇心に満ちたものではなく、俺を気遣っているのが見えたので、俺は正直に答える。
「この前、誕生日プレゼントを渡したよ」
「誕生日?」
以前ヒューマン地区で暮らした事のあるという雄大は、どこか懐かしそうに目を細め、そしてしみじみとつぶやいた。
「HAIには備わってないものだ」
悠里と俺の違いについて突き付けられた気がした。最初から分かっていたはずなのに。
悠里と一緒にいる理由が曖昧になっている。フォルダには今でも情報が重なり続けていた。でもそれは、金銭に変える為のものではない。俺を襲った色彩。悠里の描いた絵画。金の為でもHAIの為でもなく、俺はただ悠里の傍にいたかった。普段の悠里とは違う絵画の色は、悠里の痛みだ。それを抱きしめたいと思った。俺はHAIなのに。
衣服を整えて作業台から降りる。ふと壁に映し出された文字を見つけて、首をかしげた。
「バッテリー交換は受け付けておりません……?」
表示された文字をそのまま読んでみせると、雄大は嘆息して俺を見た。
「入荷できないんだよ」
「どういう事だ?」
「ウイルスZの流行で、買い占めが始まったんだ」
聞けば、コンピューターウイルスの流行により、一部のHAI達の行動が制限され始めているのだという。それにより物資の生産が追い付かず、それを不安に思ったHAIが買い占めに走る。まさに悪循環だった。
数年に一度の交換で済むとはいえ、バッテリーはHAIにとっての命綱だ。
「バッテリーだけではない。オイルやちょっとした部品なんかも入りづらくなっていて、このままじゃ俺の作業所もままならなくなるよ」
そして人間と同じく、HAIにとっても金が不可欠だ。俺が里子ビジネスを請け負っているように、雄大はHAIの修理をする事で生活を保っている。それらの金は住居や衣類といった生活費のほか、ボディを維持するものに使われる。また、老朽化を免れないボディの交換には莫大な金額を必要とし、永久的な存在を願うHAIは金銭を稼ぐことを厭わない。
しかし、ウイルスによって世界の一部が破綻を迎えているようだ。待合となっているロビーで支払いをしようと清算リーダーに手首を差し込もうとした時、
「ちょっと、あなた!」
ソファーにいた女が、鋭く俺を睨みつけていた。
「何を考えているの!?」
凄まじい勢いに俺は呆気にとられた。俺よりも若い風貌の金髪の女が立ち上がり、俺に詰め寄る。
「スキャンもしないままリーダーで清算しようとするなんて、ウイルスが蔓延したらどうするのよ!」
派手な色の爪をした女の指先を辿ると、リーダーの横には見慣れない機械が設置されていた。スキャンできるその機械を見て、合点がいった俺は女を見た。
「でも俺、日頃はヒューマン地区にいるから、感染の心配はないと思うけれど……」
「ヒューマン地区? ……あなた、もしかして里子をしているHAI?」
音を立てそうなほどの量の睫毛の下にある瞳が、おぞましい物を見るような顔で俺を見た。
「人間に媚びを売って金儲けなんてみっともない! 早くここから出ていってよ!」
「申し訳ございません、お客様!」
遅れて作業場から戻ってきた雄大が、慌てて女に謝罪をし、作業場に案内をしている。ひと悶着着いた後、雄大が静かな表情で俺を見た。
「こんなご時世だからさ、清算する前にスキャンしてほしいんだ」
「でも俺は……」
「愁、頼むよ」
気付けばロビーにいた他の客達も俺の動向を見張っているようだった。いつもとは違い殊勝な態度である雄大を見た俺は、手首をスキャンし、清算を終えた。「ごめんな」という雄大の言葉に見送られながら作業所を出た俺は、心が晴れないままメインストリートを歩く。今日も晴れているというのに、心なしか歩いているHAIの数が普段よりも二割程度少ない。
広場の方からざわめきが聞こえたので視線を向けると、一台の無人運転自動車が数人のHAIによって傷つけられていた。
「何しているんだ?」
近寄ると、一人のHAIが俺を見て得意げに笑った。
「セントラル外のロットを付けた自動車だから、制裁を加えているんだ」
「制裁……?」
「こいつが感染源になるかもしれないだろ? きわめて危険だ」
そう答えた別のHAIが、甲高い奇声と共に自動車をバールで叩きつけた。金属同士の摩擦音が金切り声のように響いた。HAIの体内にも同様に備わっている金属が、無様な姿に歪んでいく。
思わず両手を耳に当て、俺はモノレールの駅に駆け出した。車道を走ってきた無人運転自動車にぶつかりそうになり、それらを避けるようにただ走った。
視界の端に、無人運転自動車用のスタンドが映った。自動車が動くための動力を補給する場所も、ウイルス感染源になり得る。HAIが自動車を見ている。HAIを見ている。監視という視線で。
視覚センサーのないはずの背中がぞわぞわと波打つようで、俺は慌ててヒューマン地区行きのモノレールに飛び乗った。体内に埋め込まれた通行許可証が電子音を鳴らし、モノレールが発車した途端、俺自身のバッテリーの残量が少なくなっている事に気付いた。
帰宅したら充電しなければ。窓から差し込む西日が視覚センサーに沁みた。
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