まるで雨やどり

カシ夫

まるで雨やどり

 とある五月の水曜日。

 奈々子ななこが交際中の彼氏を家族に紹介する約束の日。


 彼とはまだ付き合って四か月。特に結婚の話題が出ているわけでもないのだが、奈々子の家族が興味津々で会いたがっているのだ。

 凛々しくて爽やかで朗らかでとても優しい自慢の彼氏。奈々子は意気揚々と自宅へと招き入れて紹介した。


「彼氏の真司しんじ君です!」

「初めまして。佐田真司さだしんじです」

「いらっしゃい。どうぞお上がりください」


 玄関先での挨拶が無事終わり靴を脱いで一歩上がってみると、真司の靴下に穴が開いているではないか。

 奈々子と母が思わず顔を見合わせ、母は気付かなかったふり、奈々子は慌てて真司に耳打ちした。


「穴、靴下に穴」

「あっ、やば」


 焦ったところで隠しようもないわけで。

 座敷に通されてから改めて真司は挨拶をして身なりの不備を詫びた。


「改めまして、佐田真司です。

 奈々子さんとお付き合いをさせていただいてます。

 せっかくお招きいただいた場なのに穴の開いた靴下で来てしまい、お恥ずかしい限りです」


 お気になさらず、と母は笑いながらお茶の準備を始めた。父も苦笑いだ。




「奈々ちゃん、素敵な人ね。

 職場で知り合ったんでしょ?」

「そう。うちの患者さんで――

 あれは九月だよね?」

「はい、僕が虫歯で受診したときに奈々子さんが受付にいたんです」

「そうか、九月に奈々子の職場の歯科医院で。

 ちなみに、その日の天気は覚えてるのかな?」


 一体この父は何を訊ねているのやら、と奈々子は思った。


「ああ、雨でしたね。

 家を出るときは降ってなかったのに、歯医者さんに着く頃に降り始めたので駆け込んだのを覚えています」

「うん、なるほど」


 何がなるほどなのよ、と奈々子は心の中で突っ込みを入れる。


「佐田さん、その日に持っていたハンカチはもしかしてスヌーピー?」


 母まで一体何を言い出すのやら。

 なぜそこでハンカチ?

 なぜにスヌーピー?


「えっ、よくご存じですね。

 出がけに姉が持っていくようにと自分のハンカチを貸してくれたんです。

 それがスヌーピーだったものですから強烈に覚えています。

 歯の治療中、口を拭くたびに恥ずかしかったんですよ」

「まあ、やっぱり」


 やっぱり?

 何が何だかさっぱりですよ、とまたも奈々子は心の中で突っ込みを入れた。


「お父さんもお母さんも、変な質問しないでよ」

「ごめんごめん。

 でも、ふたりの馴れ初めとか色々と聞きたいじゃない?」

「馴れ初めって言ったって。

 患者さんで三回くらい来た後は全然会ってなくて、たまたま初詣でのときに偶然会ったのがきっかけだってば」

「僕が奈々子さんの靴を踏んでしまいまして、すぐに謝ったんですが、お顔を見たら奈々子さんで。

 歯医者さんに通わなくなってからも、また会いたいと思っていたので本当に嬉しかったんです」


 真司は嬉しそうに笑って奈々子の顔を見た。奈々子も同じく嬉しそうに笑って真司を見つめ返した。


「私も、カッコいい患者さんだったから、また会いたいなって思ってたから。

 私の方から連絡先の交換をお願いしたんだよ」




「すげー、偶然どころか運命じゃないか?」


 今まで大人しく座っていた兄が大げさに笑いながら、これまた大きな声で喋りだした。


「お互いにまた会いたいって思っててさ、それが本当に会えちゃったんだから運命だと思うな、俺」

「お兄ちゃんの言うとおりかもね。

 こんなに素敵な人と巡り会えるって、そうそう無いと思うもの。

 ねえ? お父さん?」

「そうだね、男の僕から見ても爽やかな好青年に見えるよ」


 両親と兄が嬉しそうに笑っているのが奈々子には嬉しかった。彼氏を家族に会わせるなど生まれて初めてなので、どんな反応をされるのか心配だった。だがこれで少し安心できた。

 自分にとっては自慢の彼氏だが、まさかこんなに家族のウケが良いとは予想していなかった。真司も頬を赤くして笑っている。嬉しいのだろうか。恥ずかしいのだろうか。

 いや、緊張が高まっているのかもしれない。


「あ、あのっ。

 もし、できることならば、奈々子さんと結婚したいと思っています。

 お許しいただけますでしょうかっ」

「ええっ!」


 突然の申し出に奈々子は大声を上げてしまった。

 対する両親と兄は大爆笑だ。


「ねえ、なんでそんな笑うのよ!

 真司君が真剣に言ってくれたのにー!」


 奈々子が抗議するも、三人の笑いは止まらない。

 大好きな彼氏の前で、恥ずかしいじゃないかと奈々子は思った。何と非常識な家族なのか、本当に恥ずかしい。

 真司君に嫌われちゃう、と怖くなった。


「ああ、申し訳ない。

 君の名前、佐田……しんじ君?

 漢字はどう書くの?」


 父よ、この期に及んでまだそんな頓珍漢とんちんかんな質問をするのか。

 奈々子はもう彼に振られることを考えはじめてしまった。


「真実のしんつかさです」

「マジかー。

 まさし、とは読まないの?」


 このバカな兄貴は何をバカ笑いしているのか。奈々子は怒りすら覚えた。

 ――だがここで、ふと気付いた。


「はあ?

 さだまさし?

 お兄ちゃん何言ってんの、失礼でしょ」


 奈々子がこんなに怒っているのに、両親も兄も笑いが止まらない。笑われている真司本人は穏やかな表情であるが、怒っていないことを願うばかりだ。


「いや、おめでとう、奈々子」

「何がおめでとうなのよ」

「お父さんも、お母さんも、ふたりが結婚するのは賛成だよ。

 佐田君、娘をどうかよろしくお願いします」

「は、はいっ、ありがとうございます!」

「ねえ、大事な話なのに何で笑ってんのよ、お父さんもお母さんも」

「ごめんごめん。本当にごめんね。

 お兄ちゃん、奈々ちゃんに教えてあげて」


 ここでようやく兄から爆笑の理由が明かされた。


 ときどき奈々子から聞いていた彼氏の話が、どこかで聞いたような話と似ているのがずっと引っ掛かっていた。そのどこかで聞いた話を元ネタにしたエア彼氏なのではないかと心配になっていたのだ。

 今日実際に本人と対面し、本人達から馴れ初めを聞き、そして確信した。

 まるで「雨やどり」の歌のまんまだと。


「さだまさしの『雨やどり』?」

「ネットで歌詞を検索してみてよ」

「まるで奈々ちゃんたちそのまんまだから」


 そうだったのか。それであんなに笑っていたのか。

 歌詞を検索した奈々子と真司もその内容に大笑い。

 まるで雨やどりな私たちだね、と。

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