第17話




 お家に帰ってきた。



 いつものソファのいつもの定位置に彼が座る。


 前に来たときみたいに、彼にもたれ掛かって体育座りする。




 背中に彼の体温を感じながらスマホを見ていた。





「…朝陽重い」




「あー重いって言った、女の子に重いは禁句だよ」




「朝陽軽い」




「そういう問題じゃない…、 なんかムカつく」




「どうすりゃいいんだよ」




 そんなやり取りに笑ってしまう。




 友夜くんはどんな顔してるんだろ?

 

 そう思って後ろを振り返ろうとしたタイミングで、彼が急にソファから立ち上がり、キッチンの方へと歩いていく。


 

 支えを失った私は、肘掛けに頭を強打した。




「いったーーい」



「すげぇ音したな、大丈夫か?」



「急に立ち上がらないでよ」



「悪い悪い。 …腹筋鍛えたほうがいいんじゃね?」





 友夜くんはキッチンから帰ってくるなり、悪戯そうに笑うとソファに腰を下ろす。





「もう知らない」



「拗ねるなよ。 ほら、アイスあげるから機嫌なおせ」



「わぁありがと、これ美味しいやつだ」



「そ、美味しくて高いやつ」



「…許してあげないこともないよ」



「単純だな」



「やっぱり許してあげない」



 ははは、と短く笑ったかと思うと軽く手を合わせてからアイスを食べだした。



 




「もしかしてそれ晩ご飯?」



「そうだけど」



「ちゃんとご飯食べないと死んじゃうよ?」



「もう何年もこんな食生活なんだし急に死んだりしないだろ」



「ばか」



「食べないのか? アイス、溶けるぞ」



「食べるけどさ」




 まだ納得いかないけれど、アイスが溶けてしまうのは勿体ない。




 二人で黙々とアイスを食べる。


 バニラの甘さが口いっぱいに広がって、とても幸せな気持ちだ。



 こんな幸せがいつまでも続けばいい。


 今日みたいに少しずつぶつかって、少しずつ理解し合えればいい。


 恐がって足踏みするだけの関係は終わらせてしまおう。





 無性に友夜くんに甘えたくなった私は、彼の太腿に頭を乗せるとお腹の方を向いて目を閉じる。







 

 遠慮がちな手つきで、優しく頭を撫でられた。


 予想していなかった温かい掌の感触に困惑する。




 「な…んで」




 友夜くんは何も答えずに頭を撫で続けた。







 自分の感情がわからない。



 嫌な気持ちは微塵もしていない。

 

 でもこの感情の名前がわからない。





 何がなんだかよくわからないけど、胸が熱くなって苦しかった。



 その熱は、どんどん体中に伝播していく。



 身体中が熱で溢れて止まらない。



 限界まで溜め込んだ熱は、堪えきれない塊となって目から溢れ出してくる。




 温かい感情がそのまま溢れてしまったみたいに、熱を帯びた涙が彼のズボンにしみを作っていった。





 友夜くんはきっと気づいているだろうけど、何も言わず頭を撫で続ける。




 もっと彼を感じたくてお腹に顔を埋めた。




 甘いムスクのような『LOEWE 001』の香りが鼻腔を支配する。


 



 甘い香りと優しい温かさが愛おしくて堪らない。






 

 意地になっていただけなのかも知れない。


 好きになったと思い込もうとしていたのかも。


 ただ離れたくなかっただけなのかもしれない。





 だってこんな気持ちになるのは初めてだ。




 本当の意味で恋に落ちた。



 そう考えるとすべてが腑に落ちる。




 人を好きになるってこんな感情のことをいうんだ。





 涙は一向に止まる気配がなかった。










 目が覚めるとベットの上にいて、寝室には太陽の光が差している。




「あれ、私いつの間に寝ちゃったんだろ」




 呆ける寝起きの頭で昨日の記憶を手繰り寄せる。




「色々あったけど結局友夜くんの膝枕で寝ちゃったんだよね?」




 隣を見ても友夜くんの姿はない。




 考えていても仕方がないと思ったので、とりあえず人の気配がするリビングに向かう。






「おはよう、ぐっすり寝てたな」




「おはよ、昨日いつの間にか寝ちゃってたみたいでごめんね。 でもどうやってベットまで行ったのか覚えてないの」




「俺がベットまで運んだ」




「え? 重くなかった?」




「…カルカッタヨ」




「昨日のこと根に持ってんじゃん」




「冗談だよ。 今日はこの後リモートでミーティングがあるから書斎に籠もるけど…その前に送ろうか?」





 そう問われてふと時計を見た。

 時計の針は10時を回っている。




「何時に終わるの?」



「一応11時から一時間くらいの想定だけど」



「それなら待ってる。 お買い物に行きたいからお家の鍵だけ貸しといてほしいな」



「りょうかい、じゃあ仕事の用意するからまた後で。 申し訳ないけど適当に時間潰しといて」




「お仕事なんだから気にしないで、頑張ってね」






 書斎へ向かう彼の背中を見送る。


  



「よし、お買い物だ」





 私は意気込んでいた。





 ほんの三ヶ月くらい前の出来事。


 

 本当に食生活が終わっている友夜くんを心配して、料理を作ろうとしたことが一度ある。



 美味しそうなレシピを調べて食材を買って帰る。


 そして、いざ料理を始めようとキッチンに入って愕然とした。



 調理器具の類が一つたりとも無かったからだ。




 加えて、キッチンに立つ私の姿を見て友夜くんは言った。




 何しようとしてんの? 


 人が作った料理とか食えないから勝手な事しないでくれる?




 冷たい目でそう言う彼を見て心が折れた。



 そのときの私は、踏み込みすぎてしまったのだと猛反省した。




 しかし今は違う。



 何が人の作ったものが食べられないだ。



 お店で出てきたものが食べられる以上、私の作った料理も食べられなければおかしいではないか。



 万が一にでもまた怒られるようなことがあれば、わがままを言うなと叱ってやればいい。




 そう結論付けて買い物へ向かった。





 軽く身支度をして向かった先は境東駅に直結する百貨店。

 

 百貨店と呼ぶには、あまりにも規模があれではあるが百貨店には変わりない。

 まぁほぼほぼスーパーマーケットと大差はない。





 必要最低限の調理器具と食材を買い込んだら、一度駅構内に寄り道して大好きなシュークリームを買ってから帰る。






 時刻は11時半を過ぎた頃、彼のお家に帰ってきた。




 早速キッチンに立つと買ってきたフライパンを洗ってからバターを落として火にかける。




 彼のお家は、信じられないことに炊飯器すら置いていないので、仕方なく買った出来合いの白ご飯をバターと絡ませながら炒める。




 そうこうしていると野菜を入れて加熱しておいた圧力鍋が音を立てて時間を知らせた。



 ご飯をボウルに移し替えてからフライパンでお肉を炒める。



 お肉がいい感じの色になったところで鍋に移して、ハヤシライスのルーと細かく刻んだトマトを投入する。




 それから十分ほど煮込んでいたら友夜くんがリビングに戻ってきた。





「…何この匂い」




「ご飯作ったの、駄目だった?」




「駄目っていうか俺食えないんだよな。 前に言わなかったっけ?」




「聞いてない」




 目を逸らしながら答えた。




「その反応絶対に言っただろ」




「うるさいうるさいうるさい、とりあえずテーブルに座って待っててよ」




「なんでこんなことになってんだよ」




 友夜くんは、ぶつくさと文句を言いながらも大人しくテーブルに座る。





 話しながら焼いていた玉子を温めたバターライスの上に乗せてオムライスを作る。


 さらにその上からハヤシライスソースをかけるとお手軽オムハヤシの完成である。





 完成したオムハヤシと付け合わせのサラダをテーブルに置いて手を合わせた。



 悩んでいるような難しい顔をする友夜くんに声を掛ける。





「いただきます…って、そんなに食べたくないなら食べなくていいよ」




「折角作ってくれたから食べるよ、いただきます」






 そう言いながらも料理に手を付けようとしない。





「もう無理しなくていいから」




「別に無理してるわけじゃない」




「はぁ。 家族が作ったご飯も食べられないの?」




「作ってもらった記憶がほとんど無いんだよ」




「そっか、…なんかごめん」




「謝んなよ。 どういう反応すればいいかわかんないだろ」




 そんなこと言われたって、私も何を言えばいいかわからない。



 変な空気が流れる。





「こうしてても冷めるだけだよな。 …い、いただきます」




 やっと覚悟が決まったのか、恐る恐るオムハヤシをスプーンで掬うと口に運んだ。




「……………うまい」




「ほんと? よかった」




「めちゃくちゃうめぇ、朝陽ありがとな。 これすげーうまいわ」




 興奮気味に早口で話す友夜くんがとても可愛かった。


 こころなしか目も輝いている気がする。




「簡単に出来るしそんなに褒めるほどのものじゃないよ」




「俺じゃこんなの作れねぇもん、それに手料理なんて最後にいつ食べたのか分からないくらい食べてなかった」




「喜んで貰えたならよかった」




「まじでありがとな、面倒じゃなかったらまた作ってくれよ」




「わかったから落ち着いて」




 会話もなく夢中で食べる彼を見て作ってよかったと思えた。



 いつも無愛想にしている表情を、とびきりの笑顔に変えた友夜くんが普段より幼く見えて愛おしい。







 ベランダから入ってくる風は生温くて、そろそろ梅雨の季節が来るんだな、とそんな事を考えていた。




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