第8話
可愛らしいうさぎの形をしたエンブレムがついているピンク色の軽自動車に乗り込み、やや緊張しながらまごついていた。
「おつかれさま、じゃあどこのコーヒー屋さんにいこうか? この時間だとまだどこも閉まってないよね」
「コーヒー飲めないし送ってくださるだけでいいですから」
「えぇーだってそれじゃあゆっくりお話できないでしょ」
「ゆっくりお話する気もありませんので」
「強情だなぁ、でもあんまり遅い時間まで女子高生を連れ回すのもよくないか」
「そうですね」
「コンビニだけ寄ってもいい? なにか欲しいものがあれば一緒に買ってくるよ」
「とくにありません」
「はーい」
そういうと近くのコンビニに向けて出発した。
私なにしてるんだろ。
家に帰るつもりはなかったのだが、送ってくれると言い出した久瀬さんにどう説明しよう。
一人残された車内で頭を悩ませていると、スキップしそうなほど浮かれた足取りで満面の笑みを浮かべた久瀬さんがコンビニから戻ってきた。
「はいこれどうぞ」
ミルクティーを私に向かって差し出してくる。
「ありがとうございます、お金いくらでした?」
「いいからいいから、後輩ちゃんは黙ってお姉さんに奢られるものだよ」
言いながらウィンクする久瀬さん。
実に能天気そうである。
「さっきから楽しそうですけど、何がそんなに嬉しいんですか?」
「朝陽ちゃんとデートできてるからに決まってるじゃん」
「デートじゃないです、帰っていいですか?」
「怒んないでよ、ごめんね」
「私に構うのやめてもらえますか? あなたが私に何を期待してるか分からないですけど、私にはなにも答えられるものなんて無いですよ」
「そんなんじゃないよ、ただ可愛い女の子に構いたくなっちゃうだけ」
「……久瀬さんってそういう趣味なんですか?」
「そういう趣味って?」
若干距離をとった私に気づいたようだ。
「ちがうから、単純に仲良くなりたかっただけだから」
ほんとだよ?と続ける久瀬さんにため息を浴びせた。
「あなたと話していると頭が痛くなってきます、とりあえず車だしてくださいよ」
「そ、そうだね、どっちに向かえばいい?」
「ひとまず国道26号線を右に曲がってください」
「おっけぇ、じゃあしゅっぱーつ」
道を伝えるとき以外は無言のまま、私が案内したのはこの辺りで唯一のインターネットカフェだった。
ピカピカ光る電飾を前になぜか二人して車から降りている。
「ありがとうございました、送ってくださり助かりました」
「おはなしするって約束は?」
「それはあなたが勝手に一人で盛り上がっていたことでしょ」
「それはそうだけど…、というかもしかしてここに泊まるの?」
「そのつもりですが」
「こんなところじゃゆっくり寝られないでしょ、もし帰りたくない理由があるならそれでいいけど、せめて私のおうちにこない?」
「ご迷惑になるので、それに」
さっきも言いましたけど私に構わないでください。
あなたに関係ないですよね。
そこまで言いかけてやめた。
目の前のこの人が苦手なのは変わらない。
でもここまでお人好しな人を冷たく突き放し続ける自分が、子どものように思えて情けなかった。
「どうしてもここで泊まるつもりなら私も一緒にここで寝る」
「は? もういい加減放っておいてくださいよ」
せっかく子どもっぽい自分を自制できて言葉を留めたというのに、わけの分からないことを言い出した久瀬さんに対して吐き捨てるようにそう言ってしまう。
「やだやだ、ぜったいにやだ」
少し声を荒げて駄々をこね始めた久瀬さんに呆れてしまう。
「なんなんですかあなた、子どもですか?」
「朝陽ちゃんに言われたくない」
「なっ、…もういいです」
怒りからか、もしくは恥ずかしさからか、顔を赤くしてインターネットカフェに入ってしまおうと歩き出した私の手を久瀬さんが掴み、走り出す。
「ごーごー」
振り返った顔は太陽のような笑顔だった。
嫌がる私を無視して受付をすませ、フラットシートと呼ばれる個室に二人で座っている。
「ねぇねぇ、たのしそうなものが沢山あるね、今日は寝ないで全部たのしもうよ」
「そうですね」
「ねぇねぇ、この漫画面白いから読んで見て」
「そうですね」
「ねぇねぇ、ドリンクバーにソフトクリームあったよ、おいしくはなかったけど」
「そうですね」
「ねぇねぇ、お化粧落としたくなってきたね、肌が苦しいよって叫ぶ声が聞こえる気がする」
絶え間なく話しかける久瀬さんを軽くあしらっていたのだが、そろそろ苛立ってきた。
「そう思うなら私のことは気にせず帰ればよかったでしょ」
「そういうつもりで言ったんじゃないよ、気に触ったならごめんね」
途端、怒られた犬のようにしゅんとする久瀬さん。
「もういいですから静かにしててください」
「はぁい」
しばらくの静寂の後、用もないのにコップに挿しているストローを噛み続け、落ち込んでしまった久瀬さんがあまりに不憫で、私の方から声をかけてしまう。
「久瀬さんって馬鹿なんですか?」
「名前呼んでくれたね、下の名前で呼んでくれてもいいよ? 覚えてる? ほらことりさんって呼んでみて」
調子に乗り出した久瀬さんをジト目で睨む。
「し、質問なんだっけか? あぁバカなのか、だったね…てか大概失礼だよね朝陽ちゃんって、まぁ質問に答えるならバカの定義によるかなぁ、学力自体はそこまで低いわけじゃないと思うけど、なぜかバカだと言われることは多いよ、なぜかね」
一息で話し終える。
「たしかに言葉の端々に知性が垣間見える瞬間はありますよね、バカですけど」
「朝陽ちゃんがひどいよぉ」
「事実を述べたまでです」
「事実陳列罪は大変重い犯罪だと言われているよ? 時に事実は人を傷つけるよ?」
「私の知らない国の法律を持ち出すのはやめてください」
「思ったことを言わないことが人を安心させることもあるって話だよぉ」
「そうしたほうがいいですか?」
ちっとも怖くない睨み顔をこちらに向けていた久瀬さんが、何事か考えるような素振りを見せた後で、見たことないほど真面目な顔をした。
「朝陽ちゃんはそのままでいいよ」
「…そうですか」
からかってやろうとした質問に真正面から答えられてしまい、私は思わず面食らってしまう。
「うん、そうやってた方が自然だよ。 朝陽ちゃんはいつも無理してそうだからね」
「あなたに私の何がわかるんですか」
「きっと私にはなにも話してくれないんだろうから何も分かってあげられないよ。 でもそうやって取り繕うことをやめて、少しでもストレスの発散ができるならそれでいいかな」
何も言わない私に久瀬さんは続ける。
「素の朝陽ちゃんの方がずっとかわいいし、それを独り占めできる特権を与えられてると思えば、暴言を吐かれたってちっとも傷つかないよ」
ご褒美だご褒美。
そう言う久瀬さんに気恥ずかしさを感じた私は素直になれない言葉を吐く。
「なんですかそれ、口説いてるみたいですよ」
「えへへ、ツンデレだぁ」
彼にも一度言われたことがあるなと、久瀬さんを見ながら考えていた。
言い方は違うけど素の私のほうがいいと、そう言ってくれた二人目の人。
より真っ直ぐな言葉で伝えられたそれは、むず痒いような気もしたけれど、悪い気はしなかった。
「あのさぁ」
普段の底抜けに明るい声は鳴りを潜め、俯いてしまった久瀬さんが私に声を掛ける。
「朝陽ちゃんは話したくないだろうからさ、私のお話をしてもいいかな?」
俯いたまま話すせいでその表情は、うかがい知れない。
「ど、どうぞ」
「ありがと。 ………私ね、年の離れたお兄ちゃんがいたの」
ぽつりぽつりと言葉を零すように話し出す。
「当時のわたしはまだ幼くてさ、何かに思い悩む兄に気づいてはいたけど、なにもできなかった。 でね、ある日とつぜん兄がいなくなっちゃったの…、それで次に兄と会えたのが彼のお通夜の日。 幸せそうな顔で目を閉じた兄の顔が今も頭から離れないんだ」
「それは…」
なんと言えばいいのかわからず、言葉が出てこない。
「もう昔の話だから大丈夫、けどあのとき私が何かしてあげられていたなら、兄がそこまで思い詰める前に止められたんじゃないかって、そう考えるんだよね」
「あの」
「なんて……嘘だよ」
「は?」
「ごめんごめん本気にしちゃった?」
久瀬さんは困ったような顔で首を横に倒す。
「そんな悪趣味な嘘を吐いて何がしたいんですか?」
思わず大きな声で彼女を責める。
「ごめんね、全部作り話だから亡くなった人なんていないよ、安心して」
「あなたは何を考えてい…」
「でもね」
叫ぶような声をあげる私に被せるように、大きな声で返される。
「うぅん」
隣の席から注意するような咳払いが聞こえて、お互いに目を合わせる。
小声になった久瀬さんは続けた。
「でもね、そういった話はどこにだってあるよ、人は簡単に思い詰めて、その末に自死を選択することもある」
「いまの朝陽ちゃんが何に思い詰めてるのかは、私には分からないし大きなお世話かもしれない」
「けど少なくとも私は、目の前で何かに悩んでいる人がいるのに、知らんぷりできるほど大人じゃないの、たまに思うんだよ、ふらっとどこかに行って二度と帰ってこないんじゃないかって、それが怖いの」
「私に出来ることがあるならしたい、自分の手の届く範囲にいる人が、万に一つでも自死という道を選んだ後で、なにかできたんじゃないかって思い悩むのはいやなの、自己満足だって思ってもらって構わない」
能天気さを微塵も感じさせない、強い瞳が私を捉えている。
「だとしてもあまり趣味がいい嘘だとは思えないです」
「それはほんとうにごめんね、でも嘘を話してるときの私を見る目、とても心配そうだったよ?痛みを感じてるような目で気遣ってくれたよ?」
「朝陽ちゃんはそんなふうにちゃんと人の痛みがわかるし、人の事で悩むことが出来るんだよ、だから少しは自分の痛みにもきづいて自分を大切にしてあげてほしいの」
「そんな私、そんなこと…ない」
「車の中でなぜ私に構うのかって聞いてきたでしょ? これがその答えだよ」
「なんで」
「朝陽ちゃんはたぶん自覚してないと思うんだけど、たまにすごく寂しそうな目をしてるんだよ、生きるのが苦しそうな目をしてるの」
それは私が友夜くんに感じていたことだ。
とても寂しそうな目をしている、全てを諦めたようなそんな目をしている。
私も人からそんなふうに思われていたのだと、頭を殴られたような衝撃が走った。
「ごめんなさい、今は…何も話したくないです」
「わかってるよ、急に変なこと沢山話してごめんね」
「いえ、少し楽になりましたから、その……こ、ことりさんのおかげで」
恥ずかしさから詰まるように口に出して、ことりさんを見た、馬鹿にする素振りを一切見せずに慈しむような目で私を見ている。
「ことりさんはほんとうにバカですよ、バカ」
優しい瞳に耐えられなかった私は悪態をつく。
「そうだね、わたしはバカだね」
そう言うことりさんに背を向けて横になる、これ以上はほんとうに耐えられなかった。
「…ありがと」
聞こえていないことを願いながら呟いた。
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