第5話





 深夜、家族が寝静まったころ家に帰った、自重によって軋む階段をこそこそと登り、二階にある自室を目指す。


 自室につくと中学生のときに使っていた体操服に着替えてベットに潜り込む、学校生活の気疲れにバイト終わりの疲労感が合わさり、抗いようのない睡魔に襲われる。



 明日は会いたいな。


 彼のことだけが頭の中を満たしている幸福感に包まれながら、ゆっくりと意識を手放した。





 昨日タクシーに乗りながらセットしておいたアラームに叩き起こされる。


 両親となるべく顔を合わさないように身支度を終わらせたが、朝ごはんだけはどうしようもないということに思い至る。


 しかたないと、朝食を食べた後すぐ家を出られるように、スクールバックを手に持つとリビングに向かった。




「おはよう」


 リビングに入った瞬間だけは目が合ったが、何事もなかったかのように手元のタブレットに目線を落とし挨拶をしてきたのが我が家の大黒柱である。



「おはようございます」



 カウンターキッチンの奥にいる母を、なるべく刺激しないようにそっと挨拶をした。



「あなた二日連続で家に帰ってこないなんて、どういう神経をしてるの?」

 

 挨拶を交わすことなく母がそう言う。

 どうやら私の気遣いは徒労に終わったようだ。


「一昨日はごめんなさい、でも…昨日はちゃんと帰ってました」



「帰ってたって、なら何時に帰ったの?どうせ日をまたいでたんでしょう、連絡をしたって返事も返しやしないじゃない、せめて一言遅くなりますくらい返してこれないの?」



「連絡したらお母さんは怒らないの? どうせ怒られることには変わりないよ」


 精一杯の反抗心を込めて言い返してしまう。



「そういうことを言ってるんじゃないでしょ、心配させないでって言ってるの、どこの高校生が連絡もしないで家に帰ってこない生活をしてるのよ、それにあなた最近は勉強してる姿も見ないけど、進路のこともあるのに一体どうするつもりなの?」



 母は段々とヒートアップして捲し立てる




「心配してるのは私のことじゃないでしょ、少しは私のこと信じてくれたっていいじゃん」



 ぐちゃぐちゃになった感情のまま、反射的に言葉をぶつけていた。



「今のあなたの生活態度のどこに信用できる要素があるの? すこしでも信じられるところがあるなら教えてちょうだい」



 ヒステリックを起こしたみたいに叫ぶ母を直視できなくて、制服のスカートを両手で握りしめながら目を逸らす。


 ふと視界に入った父はタブレットを見るのをやめて、まるでこちらを批難するような目を向けているような気がする。


 一気に頭に血が上るのを感じると喉の奥から叫ぶような声が出ていた。



「うるさい、もうほっておいてよ」



「待ちなさい、まだ話は終わってないわよ」



 床に落ちたスクールバックをひったくるように拾い上げ、背後から聞こえる声に耳を貸すことなく急いで玄関から飛び出した。




 どくどくと脈打つ心臓がうるさくて仕方がない。


 呼吸が出来なくて苦しい。


 歩くこともままならなくなり立ち竦む、幾度となく深呼吸を繰り返すと呼吸は落ち着いてきたが、暴れ回る心臓だけが言うことを聞いてくれない。



 やってしまった。

 というのが今の偽らざる気持ちだった。



 いまだ跳ねる心臓を無視して目を瞑ると、ぼんやりと思考が纏まっていくのを感じる。


 どうしようと思った時には遅かった。

 取り返しのつかないことをしてしまったような気がする。



 はたから見れば思春期まっただ中のバカな女子高生、それでも両親に負けたくなかった。


 勝ち負けの概念があるのかすら疑わしいことに気付きもせずに。





 とりあえずしばらく家に帰りたくない。

 とは考えても、行くあてがあるわけでもない。


 迷惑になるかもしれないと思いながら、会いたい人はたった一人だけ。



 心の赴くままインストを開く。



「あいたい」


 一度打ち込んでから慌てて消してしまう。



「今日そっちに行ってもいい?」


 先の文章より、いくらかマシになった気がするメッセージを送信すると、スマホを鞄の中に放り込んだ。




 朝のHRが終わっても彼からの返事はなかった。






 昼休みの開始を告げるチャイムの音色を噛み締めたところで、陰鬱な心模様に変化が齎されるわけもなく、せめてこれ以上追い打ちをかけられることだけは避けようと、学校生活で唯一の安息地となっている空き教室に避難する。



 朝食にありつけず空っぽになっていた胃を満たすことで、ほんの僅かではあるが、心まで満たされるような気持ちになる、そんな単純な自分を心底軽蔑した。



 少し気分が上向いても、ちょっとしたことで元の位置よりも深く沈み込む。


 感情を制御するすべを持たない私は、そのままネガティブな思考に落ちていく。



 なるべく自分の感情と向き合わないようにしつつ、今後の事を考えることでなんとか持ち直そうと試みた。



 一番考えなければいけない問題は、どこで寝泊まりするかということであり、感情のままに飛び出してきた朝に比べれば、幾分かスッキリしている頭で思惟しゆいする。


 まともに思える案がいくつも出てくるような精神状態であるはずもなく、最悪ネットカフェのナイトプランを利用すれば、貯金が尽きる前に落ち着くところに落ち着けるだろうと、ほとんどなげやりに出した結論に至った丁度そのとき、机の上のスマホが震える。



 --------何時くらいに迎えに行けばいい?

 というメッセージに、少なくとも拒絶の意思はなさそうだ。


 たったそれだけのメッセージに飛び跳ねたいほど嬉しくなり、すぐに時間と場所を指定する返信を送った。



 胸の前で大切そうにスマホを抱え、思わず破顔していると、にわかに廊下が騒がしくなる。


 見られることはないと思うが、万が一にもこんな恥ずかしいところを見られたくないと、スマホを机の上に戻し体裁を整える。



 その後の昼休憩で震えることのなかったスマホを眺めていると、インストのDMだけで繋がっていることの縁の薄さを思い知らされ、言いしれぬ不安が胸に巣食っていた。





 午後の授業を乗り切り、指定したコンビニの駐車場に着くと彼以外が乗っているのを見たことがない車がすでに停められていた。


 ナンバーを確認しながら近づくも、運転席に目当ての人影がなく首を傾げる。



 辺りを見渡してみると、コンビニに備え付けられている灰皿の前に、会いたくて仕方なかった人の姿を見つけた。


 ちいさく手を振りながら彼の下へ行こうとしたが、その前に手を軽く上げることで制される。


 友夜くんは灰皿に煙草を強く押しつけ、ゆったりとした歩調でこちらへと向かってくると、いつも通り助手席のドアを開いてくれた。


 私が乗り込むのを確認し、自身は運転席に腰を下ろす。


「おまたせ」



「先に来てたじゃん、今日は急にごめんね」



「気にしないでいいよ、こないだの埋め合わせができてよかったしね」



「ありがと」


 ふたりとも口数が多いわけではないけれど、私にはこのくらいの会話が丁度よかった。



「どこか寄るところある?」



「ううん、大丈夫」



「じゃあそのまま向かっちゃうね」


 彼の言葉に頷くことで同意する。


 しばらくスマホをいじると、曲名はおろかアーティスト名さえ知らない洋楽が流れ出す。


 なんとなく寝たふりをして目的地までの時間をやり過ごした。





 目的地に着いたのは、夕日が沈むにはまだまだ早い時間帯。



「朝陽、朝陽」



「起きたよ」


 助手席の外から扉を開けて私を見下ろしてる。

 荷物をまとめて車から出ると鍵を渡された。


「車停めてくるから先に家入ってて」



「わかった」



「よろしく」


 それだけいうと車に乗り込んで走り去っていく。



 オートロックの操作盤に鍵を差し込み捻る、自動ドアが開け広げられエントランスへ足を踏み入れた。 


 エレベーターが到着して目の前で扉を開いたけれど、中に入る気が起きなかったので、どうせならと彼を待つことにした。



 エントランスに置かれたソファで寛いでいると、コンコンとガラスを叩くような音が聞こえてきて、そちらの方に視線を移す、私の愛しい待ち人が自動ドアを叩いていた。


 部屋を呼び出したところで私はここにいるし、オートロックを解除するための鍵は私が持っている、つまり、彼が自力でエントランスに入れる可能性は極めて低いと言わざるを得ないだろう。


 などと現実逃避をしている今も、ガラスを絶え間なく叩き続けている友夜くんに駆け寄る、慌てて内側から自動ドアを作動させて頭を下げた。



「ご、ごめんね、待ってたくなっちゃって」



「次からはせめて、エントランスに入る前に待てしててくれる?」


 意地悪そうに微笑まれる。



「ごめんなさい」



「うそうそ、あやまりすぎだから」



「完全に私が悪いから、ほんとにごめんね」



「いいって」



 私の背中をそっと押してエレベーターへと誘導する。


 自分の不甲斐なさに情けなくなりながらエレベーターの中に吸い込まれて行くのだった。






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