第4話
ボーリングやダーツ、卓球にビリヤードさらにはゲームセンターまで利用できる巨大な施設に足を踏み入れた扇従業員一行は、カウンターでの手続きを終えると、早速カラオケルームの中へと移動した。
炭酸飲料の苦手な私は、ドリンクバーでオレンジジュースを選択して、緊張によって震える手でボタンを押しグラスに注ぐと、案内された部屋のソファに深く座った。
歌えなんて言われたらどうしよう、などと考えていたが、みんな我先にとデンモクと呼ばれる機器を操作して曲を入れていく。
あらかじめ決められていたかのように自然に順番を回しながら熱唱するのをただ眺めている間に各々が3、4曲歌っていたらしく、手元のオレンジジュースが入っていたグラスはとっくに空になっていた。
隣の席に座っている、失礼ながら名前を覚えられていない女の子が、私の前にある空になったグラスに気付くと、彼女は一緒にドリンクバーに行こうと誘ってくれた。
断る理由も無いので、その女の子を伴ってドリンクバーの前に行くと、今まで見たこともないほど綺麗な顔をした男性が目に映る。
初めて彼を見た印象は、なんて綺麗な瞳をしているんだろう、というものと、なんて寂しそうな目をする人なんだろうという二つであった。
「まだ決められそうにないので先に使ってください」
何故か不自然さを感じる微笑みを浮かべた彼から、どうしても目が離せないでいると、耳元でこそっと囁くような興奮しているような声が聞こえてくる。
「めちゃくちゃカッコイイ人だね」
その声に心臓が飛び出しそうになりながらも、意識を戻された私は、軽く会釈をしてからオレンジジュースでグラスを満たしていく。
やっぱり手は震えたままだった。
さっきの人ほんとにかっこよかったねなんて、はしゃぎ気味の女の子が先導するなか自分たちの部屋に戻ると、ちょうどその女の子の曲番だったため、すぐさまマイクを持ち、歌い出した彼女を横目に深いため息を吐き出す。
それからもう2、3周を私以外の参加者で回し終えたような気がする。
この分だと聞き役に徹していても、誰かに咎められる心配はなさそうだと、この未踏の地に突入してきた頃に比べれば幾分か緊張が解れるようだった。
緊張感から解き放たれると、カフェから摂取し続け蓄えた水分が飽和状態にあることを自覚する、限界まで蓄えたそれを体外に出してしまおうとする生理現象に襲われ、どうせトイレに行くならついでに化粧直しもしておこうと思案し、すでに中身のないグラスと自前のバケットバッグを携えて部屋を出た。
サッと化粧直しを終えたあと、ドリンクバーの機械の前にてオレンジジュースで満たしたグラスを手に持ち、部屋に戻ろうと足を一歩踏みだした体勢のまま動けなくなってしまった。
思い返せば。
歌わされるかもしれないという極限の緊張状態、漫画やアニメであれば、ぐるぐる目で表現されてもおかしくないくらいテンパっていたわけであり、おまけにこれまで自分たちの部屋に向かう際は、必ず誰かが案内をしてくれていたわけだ。
包み隠すことなく現状を鑑みるに、所謂迷子というものだろう。
自分の帰るべき部屋がわからない。
しかし、世紀の大ポンコツである私の脳内に1つの天啓ともいえる妙案が浮かぶ。
そう、コミュニケーションツールアプリを使い部屋番号を教えてもらえばいいのだと。
天才的な閃きがもたらす全能感に包まれながらメッセージを送る。
「申し訳ありませんが、部屋番号がわからなくなってしまったので教えていただけませんか?」
グループメッセージでそう入力し、送信ボタンに指をかけたところで指がロックに掛かってしまったかのように固まって動かせない。
こんな間抜けなメッセージを送る羞恥心に耐えられそうもなかったのだ。
数巡ドリンクバー前を右往左往した挙句、ここで待っていれば誰か一人くらい飲み物を取りに来るだろうと、自分を納得させた私の背後で声がする。
「あれ?さっきのかわいらしいお姉さん?」
振り返ると綺麗な瞳がこちらをじっと見つめていた。
なんと返せばいいものかわからず、黙りこくってしまった私に、続けて優しく話しかける彼。
「なにか困り事?」
「いえ大したことではないので大丈夫です、心配していただきありがとうございます」
「え?でも困ってそうだったし」
「だ、大丈夫ですから」
羞恥心からやや大きい声が出てしまい、気まずい無言がこの場を包む。
その間も彼は言葉を発することなく、綺麗な瞳でじっと私を見つめ続ける。
居た堪れない沈黙に耐えかねて、そっと口を開く。
「部屋が」
「部屋が?」
店内のBGMだけが聞こえる。
「部屋がわからなくなってしまって困っています」
恥ずかしさで顔を上げていられず、俯き加減に吐き出すように暴露してしまう、顔が赤くなっているのが自分でもよくわかった。
はっきりと現状を伝えているにも関わらず、何の反応も得られないことが、かえって恥ずかしさを増幅させ、苛立つ気持ちのまま思わずキッと目の前の人物を睨もうと顔を上げる。
相変わらず微笑みを顔に貼り付ける彼に違和感を覚えて、口を開こうとしたタイミングで。
「一緒に部屋を探しに行く?」
と声をかけられてしまう。
「なにがあったか聞かれたので正直に答えただけですし、そこまで迷惑をかけられません」
「そっか、じゃあ戻るところがわからないなら一緒に抜けちゃおうか」
「…はぇ?」
思ってもいない言葉が聞こえてきて思考が停止してしまう。
なんとか捻り出した言葉は、何の意味も持たないただの間抜けな音だけだった。
「い、いやいや。いくら顔がいいからって、初対面の男の人について行くほどお花畑じゃないから」
普段気を付けて取り繕っている言葉遣いも、突然の展開で半ばパニックに陥りエラーを起こしまくっている脳では、そこまで気が回らなかった。
言わなくていいことまで口走っているような気もする。
「ここで誰か来るまで待ってるつもり?」
「だとしてあなたに関係ないですよね?」
「それもそうだね、不快な思いさせてごめんね」
そういうと踵を返して去っていく。
この時の私は人生で一番おかしかった自信がある。
何故か、ほんとうに何故か分からないが、背を向けて去っていく彼と、このまま離れるのは絶対に良くないような、そんな気がした。
「あの」
大きな声で呼び止める。
何してるんだわたし、と思うがゆっくりとした所作で彼が振り返る。
「私そろそろ門限が近いので送っていってくれませんか?」
泣きそうになりながら、やけくそになって尋ねる。
「よろこんで」
数度目を瞬かせたが、すぐに笑みを浮かべて答えた彼に、努めて冷静に次の言葉を口にする。
「一度断ったのにありがとうございます」
「いいよいいよ、元はと言えばこっちから誘ったことだし。じゃあ車とってくるから入り口のところで集合ね」
そう言って再び背中を向けた彼は、数歩進んでからこちらに振り返った。
「あ、あとさっきみたいに適当で大丈夫、丁寧にしようってなんか無理してるみたいで気持ち悪いしさ」
言葉遣いの事だろうと一瞬で理解した。
いよいよ深く考えるのが面倒くさくなってきて、はぁとため息を漏らす。
約束通り建物の入り口の前で再集合を果たした私は、助手席の扉を開けながら乗車を促す彼にエスコートされて席に着く。
ちょっとした寄り道に付き合ってくれる?、と彼はそう言った。
二度と来ることはないと思っていた緑色の女神様カフェ。
慣れたようにドライブスルーでの注文を終え、夕方に飲んで以来、人生二度目となるキャラメルフラペチーノを手に持たされるという謎の儀式を済ませると、自宅近くにある、緑と白の看板が目印のコンビニエンスストアの駐車場に車を停車させていた。
「飲み物まで買っていただいてありがとうございます」
車に乗ってから気になっている甘い香りは、頭がクラクラするように感覚を刺激する、それを必死に振り払って感謝を伝えた。
「俺が飲みたかっただけだよ、付き合ってくれてありがとね」
「いえ、今日はほんとうに助かりました」
「ならよかったよ、最後に一つ我儘言ってもいい?」
「な、なに?」
胡乱な目で見つめながら返事を待つ。
「インストのアカウント教えてよ」
「私あんまり使ってないですよ?」
嘘だ。あまりではなく全く使っていない。
腐っても女子高生である、みんなが使っているものに興味がないわけではない。
しかしアカウントを作成したのを最後に興味は消え失せ、以降一度もアプリが開かれることは無かった。
「そういうことじゃないんだけどまぁいいや、俺のアカウントも教えるからフォローしといてね」
「まぁそれくらいなら」
こうして初フォロワーと初フォローを獲得するという実績を解除した。
改めて感謝を伝えてから車を降りる。
沢山のことを経験しすぎてパンク寸前の頭のせいか、やけに高く感じる体温と昂揚する体を、夏の生温い夜風が撫でる。
見えなくなるまで車を見送ったあと、車内で教え合った名前を何の気なしに口ずさむ。
「友夜さんか、なんだか不思議な人だったな」
夜を擬人化したのかと思うほど不思議な雰囲気を持つ彼にぴったりな名前だと思った。
今思い返しても鮮明に思い出せるほど、すごく濃い一日だったな。
まん丸なお目々をもう一度見やると、大好きな甘い匂いが香った気がして、アプリごとタスク消去してホーム画面に戻った。
カレーライスはいつの間にか無くなっていて、返却口にトレイに乗ったお皿を返却する。
歩きながらアプリを立ち上げタクシーを呼ぶ。
終電がそろそろなくなってしまう時間だった。
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