第2話 荒野の町②

「アニメって本当に日本で放送してるの? 毎週ちゃんと続くの?」

少年が目を輝かせて聞いてくる。いつの間にか少年だけでなく、教会に押し込まれた子供たちが、群れをなして幸の周りに集まっていた。

幸は、聖書の山を背に腰を下ろしながら、少しだけ肩をすくめた。

「うん。毎週テレビでやってる。勿論ネットでも観れるよ」

「本当! いいなぁ……」

隣にいた年下の女の子が「ねえ、ねえ!」と割り込んできた。

「日本って、銃ないの? コンビニに売ってる?」

幸はうなずく。

「銃は警察だけが持ってる。でも普段は見かけないよ。コンビニで買えるのは、おにぎりと、漫画ぐらい」

「おにぎりって、あの三角のヤツ? 食べてみたい!」

ボロボロの服を着た子、泥だらけの靴のままの子。

でも、目だけはキラキラしている。

幸はキャンディを舐めながら、楽しそうに語り続ける。

「学校もある。毎日お弁当があるし、遅刻したら怒られるけど、みんな一緒に掃除して、お祭りもあって……」

「……お祭りって、なに?」

「夜になると、屋台っていう食べ物屋さんがいっぱい出て、金魚すくいして、浴衣着て花火見て……」

子供たちの顔に、あたたかい光がともる。

それは、現実には存在しない、絵本の中のような風景だった。

そして、ふと、少年が笑いながら聞いてくる。

「あんた、ほんとは日本のスパイだったりして? ニンジャとかさ」

幸はくすりと笑って、冗談めかして言う。

「ちがうヨ。ワタシ、ニンジャの末裔。今は特別任務中なんだヨ」

一瞬の沈黙。

だがすぐに、少年が声をあげて笑い出す。

「ははっ、それ、いいね! アニメみたいだよ!」

「わたしもニンジャになるー!」

「ねーねー、手裏剣って本当にあるの?」

幸はわざとらしく口元に指を当てて、ウインクした。

「ナイショ」

そのやり取りに、子供たちは一斉に笑った。

そこは、銃声も死体も、しばし忘れられた、ほんのひとときの平和だった。

「ねーねー!」

快活な女の子が友達を押し分けて幸の前に出てきて彼女に尋ねた。

「名前教えてお姉ちゃん! 日本人の名前って意味があるんでしょ!?」

「名前? ああ……“サチ”って呼んで。村上幸」

幸はそう言って、教会の隅にあった古びた紙にペンを走らせる。

──村上 幸──

筆跡はどこか凛としていて、どことなく懐かしい風格を帯びていた。

「うわっ、これが日本語か! なんか……絵みたい!」

「ほんとだ、記号みたいなのに意味があるの?」

幸は微笑んで、子供たちに向き直った。

「うん。この“村上”って苗字、先祖がね、昔“村上水軍”っていう海の戦士たちと戦ったことがあって……それで、その人たちに敬意を表して、その名前をいただいたんだって」

「へええ……」

「“幸”っていうのは……パパとママが、わたしが生まれるとき、“この子が幸せになれますように”って願いをこめてつけたの。──“さち”って読む」

どこか遠くを見つめるようにして、幸は語る。

それは、爆音も、銃声も、焼け焦げた臭いもない、遠い国の物語。

子供たちはひたすら見つめていた。

一人の少年が小さな声で言った。

「きっと、日本は今も……幸せな国なんだね」

幸は静かに、でもはっきりとうなずいた。

「……うん。わたしの国には、まだ希望があるよ」

その時だった。

ドン!

どこか遠くで重たい扉の開く音。

そして、響き渡る怒声。

「全員外に出ろ! 今すぐだ!」

銃を構えた無法者たちが、教会の扉を蹴破るようにして現れた。

子供たちが叫び声をあげる。

年老いた者たちは押され、女子供が引きずり出される。

「おい! 言われた通りにしろ! 逃げたら殺すぞ!」

引き裂かれる平穏。

ほんの一瞬前まで笑っていた子供たちは、今や地面に倒され、靴で蹴られ、泣き声だけが響いている。

幸の瞳が静かに光を失い、ゆっくりとその奥底で、別の炎が灯る。

無法者のひとりが、ざらついた声で叫ぶ。

「見せしめだ! 仲間の一人を逃がしたバカがいた! この町がどうなるか、身をもって教えてやる!」

「え……?」

そう言いながら、無法者たちは真っ先に幸に話しかけてきた少年の首根っこを掴み、強引に連れ去った。

周囲に響くのは、沈黙。

誰も動けない。

「……」

幸は、ゆっくりと立ち上がる。

その背中に、ただの観光客の姿はもうなかった。

「お前等もついてこい! これからこいつの処刑を執行する!」

悪党が怒鳴ると、非力な町の住人は気乗りしないながらも立ち、ぞろぞろと教会から出て行った。無論彼等も本当は悪人たちに立ち向かいたかったが、これ以上の暴力を恐れる心が、その衝動を殺していた。

幸も彼等に合わせてついていった。だが……その目は他の人々とは異なり、生きているものの目だった。

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