第3話 荒野の町③
町の広場。
瓦礫と土埃にまみれたその場所に、教会から連れ出された住人たちが列をなして跪かされていた。
銃を構えた無法者たちが周囲を囲んでいる。
赤い布で腕を巻いたその姿は、自警団を名乗ってはいるが、ただの暴徒だ。
彼らが仕切るこの町には、もはや「法」など存在しない。
女が泣き、老人が祈り、子供が怯える。
──だが、その中でただ一人。
サチだけが、顔を上げていた。
砂塵舞う中、彼女のオレンジ色の髪がわずかに揺れる。
泰然としたその表情は、まるでこれから始まる惨劇が自分に関係ないかのようですらある。
それが、目立たないはずがなかった。
リーダー格と思しき無法者が、ゆっくりとサチに目を向ける。
彼は片足の老人だった。
足は膝から下が義足。かつて戦場にいたような鋭い眼光を持つ。
顔に刻まれた無数の皺と傷跡。そのどれもが血と暴力の歴史を語っていた。
「……面白ぇ」
男はサチを見つめながら、煙草を咥えたまま呟いた。
「お前だけが、怖がってねぇ。目が違う。……何者だ、ガキ」
サチは答えなかった。
ただ、軽く肩をすくめた。
「ただの観光客。そう言ったでしょう?」
「観光……ねぇ。ここに来るやつで、“ただの”奴なんざ一人もいねぇよ」
片足の男は薄笑いを浮かべ、首を振る。
「ま、今はどうでもいい。予定通り“ショー”を始めようぜ」
合図とともに、数人の無法者が前に出る。
彼らが引きずってきたのは──先ほどのあの少年だった。
髪を乱し、顔には血が滲んでいる。
縄を首にかけられ、木製の足場の上に立たされる。
それは──即席の絞首台。
母親らしき女性が叫び声を上げるが、銃床で殴られ、黙らされる。
「このクソガキが俺らを“クソ野郎共”と呼びやがった。ガキの癖に口だけは達者だ。大した度胸じゃねぇか! その蛮勇を称え、俺達がド派手にお前を処刑してくれるぜ!」
無法者たちが笑う。
乾いた音で、銃が叩かれ、足場が軋む。
少年の首に巻かれた縄が、きつく締まる。
「やめて……お願い……! ジェイコブだけは……!」
泣き崩れる母親の叫びも、もう届かない。
サチの足元で、風が吹いた。
それは──嵐の前触れの風だった。
彼女はゆっくりと立ち上がる。
誰もが絶望に沈むその場で、ただ一人、異様なほど静かに。
そして、初めて口を開く。
「──あんたたち、もうやめときなよ」
片足の老人が振り返る。
「ん……?」
サチは片手を広げ、頭の後ろで組みながら、まるで眠気を誤魔化すような仕草で続ける。
「人を殺すのは、たしかに簡単だよ。でもね。誰かの“幸せ”を壊した代償は、ちゃんと払ってもらうから」
その目は──先ほどまでの平和ボケした日本人観光客の姿とは、全く違う何かを宿していた。
片足の男の目が細まる。
「……やっぱり、お前は只者じゃねぇな」
サチはにっこりと笑った。
「言ったでしょ。私は“忍者”の末裔」
風が吹き荒れ、砂塵が舞う。
次の瞬間、彼女の姿は──消えていた。
広場に乾いた風が吹き抜ける。
縄をかけられた少年の顔が恐怖に引きつる中──
“スパッ”
音もなく、縄が斜めに裂けた。
視線が集まった先には、東洋の少女──サチ。
学ランの裾を揺らし、鋭く細長い目をした彼女が、まっすぐ無法者たちを見据えていた。
「何のつもりだコラァ!」
怒鳴る男たち。銃が向けられる。
が──サチの姿が消えた。
いや、動いた。
常人の目には見えぬ速度で、影のように。
「どこ行きやがった!?」
「くっ──背後──ッ!」
ドスッ。
拳が腹に、足が膝に、木片が肘に突き刺さる。
ライフルがもぎ取られ、逆手に構えたそれで銃口がへし折られる。
一人、また一人と崩れ落ちる。
サチは凶器を拾い、投げ、突き、地面に叩きつける。
だが──殺さない。
致命傷だけは避け、必要最小限の力で黙らせていく。
音もなく、誰も叫ぶ暇もなく。
それが──忍者の“技”だった。
広場の片隅。
片足の男が、立ったまま凍りついていた。
──あの動き。
見たことがある。
イラク。
夜のバグダッド。混乱した奇襲作戦の夜。
味方の中に一人、異様な男がいた。
相手に影すら見せず、音も立てず、敵陣を殲滅した男。
あの“殺戮者”──それが味方だったことにすら、安堵よりも恐怖が勝った。
銃声も、叫びもなかった。
ただ、敵が“死んでいった”。
片足の男の瞳が震える。
その時の恐怖が、そっくりそのまま、今、この少女に重なった。
戦いが終わった。
無法者たちは全員、倒され、地面に這いつくばっている。
サチは何も言わずに背を向けた。
男はその背中を見つめながら、ふと震える手でポケットを探り、バドワイザーの缶を取り出した。
開けようとしたが、指が震えてプルタブが開けられない。
「……クソ……! この俺があんなガキを見て震えて……情けねぇ……!」
その呟きに、サチが少し振り返る。
男の手元を見ると、バドワイザーの缶を軽く受け取って、手慣れた動作で開けてやった。
「はい、どうぞ」
老人は缶を受け取り、ごくりと喉を鳴らして飲む。
しばらく沈黙の後──
「……思い出したよ。昔、隊の仲間が言ってた。日本から来た変な野郎に、“忍者の戦い方”を習ったってな」
サチは神妙な表情を浮かべながらも、老人に聞き返す。
「へぇ、それで?」
「俺は笑ったよ。ジョークかってな」
男は力なく笑った。
「忍者なんて……もうとっくに、歴史の中の亡霊だと思ってた」
「でも違ったんでしょ?」
男は、無言でうなずいた。
「まったく……まさか、あの時の“影”が……こんなところで、ガキの姿して出てくるとはな」
「そんな事よりさ……」
幸はまた元の明るい笑みを浮かべながら老人に尋ねた。……気が付けば狂気が彼女の中から去っている。そこにいたのは、当たり前の日本の女子高生だった。
「おじいちゃんは“巻物”の事知らない?」
「マキモノ……? なんだそりゃあ? 日本の食いもんか?」
「そっか……知らないか……ならいいや」
幸は老人を気絶させようと手刀を掲げた。
そしてその手刀を振り下ろそうとしたその時……。
「ひょっとすりゃ、ロサンゼルスにあるかもな」
老人は黄色い歯を見せ、意地悪く笑いながら言った。幸は手刀を振り下ろすのをやめた。
「どういう事?」
「あの町にはアメリカ中から極悪人共が集まってきてる。そのマキモノってのが値打ちもんなら、遅かれ早かれあの掃き溜めに行きつく筈だ」
「……」
「へ……老人の地迷い事だ。確証も何もねぇがな……」
「……ううん。ありがとうおじいちゃん。他に手がかりも無ないし……行ってみるね! ロサンゼルスに!」
そう言い、幸は屈託も無くまた笑った。その笑顔を前にした老人は、年甲斐も無く微かに照れの感情を覚えたが……。
その感情の揺らぎを幸は見逃さなかった。幸は手刀を振り下ろし、老人を気絶させた。その拍子にバトワイザーの缶が落ち、ビールが渇いた大地に吸い込まれる。
「それじゃあサン・シエロの町の皆さん! お騒がせしました! 色々ありがとね! ばいばーい!」
彼女はそう言って手を振り、何の迷いもなく町の外れへと歩き出す。
その後ろ姿を、まだ正気を取り戻せない住人たちが見送っていた。
「今の……なんだったんだ……」
「まるで……影みてぇだった……」
誰かがそう呟いたのを皮切りに、人々が動き出す。
しかし──少年だけは、じっとサチの背中を見ていた。
ふと、彼ははっと何かを思い出したように立ち上がる。
「──待って!」
叫びながら、砂煙を上げて走り出す。
だが、サチは振り返らない。
夕陽が赤く町を染める中、彼女の姿は徐々に小さくなっていく。
「サチ! サチ! サチ! もう少し話そうよ! サチ!」
少年の声が響く。が、サチは立ち止まらない。
その背中は、まるで最初から“ここにはいない”者のように遠ざかっていく。
やがて彼女の姿は、地平線の彼方へと滲むように消えていった──
「さよなら、サチ……またいつか……」
第一話「荒野の町」──完
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