第40話 湖畔の機械生命体

 探索行も四日目に入った。昨日までの湿地帯の比較調査を終え、さらに奥へと足を進めた我々の前に、思いも寄らぬ光景が広がった。


 樹々の合間から急に開けた空間――そこには、鏡のように青黒く光る湖があった。水面は完璧に静止していて、空の色を歪めながら映し込んでいる。風もない。音もない。まるで時間が止まったような、不自然なまでの静寂。


「湖だと……?」


 柏木一尉の呟きが、張り詰めた空気を震わせた。喉の奥で言葉が引っかかったような、掠れた声だった。湿地帯の奥にこんな大規模な湖があるとは、事前の衛星画像にも、過去の調査記録にも記されていなかった。


 湖畔には水を求める動物たちの足跡が幾重にも重なり、生命の気配が濃厚に漂っている。蹄の跡、爪痕、引きずられた何かの痕跡。だがどれも新しいものではない。数日は経過している。なぜ動物たちはここを避けているのか――その疑問が胸の奥でざわめき始めた。


「動植物のサンプル採取に入る。悠斗、記録を頼む」


「了解です」


 俺が記録装置を起動させた瞬間だった。


 湖面が――呼吸するように大きく波打った。


***


 水飛沫が太陽光を乱反射させながら舞い上がる。その向こうから、銀色の巨影がゆらりと立ち上がった。


 俺は目を疑った。いや、脳が理解を拒絶した。


 体高は三メートル近く。鈍く光る金属の躯体は、まるで中世の鎧を思わせる重厚さだった。だが関節部は異様に複雑で、昆虫の脚を思わせる無数の節で構成されている。その不協和音のような姿が、見る者の本能的な恐怖を掻き立てる。


 そいつは湖岸で水を飲んでいたカバに、音もなく接近していた。巨大な顎のような機構が、油圧シリンダーの唸りと共に開く。次の瞬間――


 ガチン。


 金属音が響いた。カバの悲鳴が途中で断ち切られる。骨が砕ける湿った音。肉が引き裂かれる音。だがそれらの生々しい音の向こうから聞こえてくるのは、歯車が回転し、ピストンが上下する機械的な駆動音だった。


 血の匂いがするはずの場面で、漂ってくるのは機械油と焦げた金属の臭い。生き物を「食う」機械――そんな悪夢のような存在が、目の前で淡々と捕食を続けている。


「……あれは……!」


「機械生命体だと!?」


 柏木一尉の声が震えていた。歴戦の自衛官である彼の顔から、血の気が引いていくのが分かった。近くにいた他の動物たち――シマウマの群れ、水鳥たち、小型の肉食獣までもが、蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ去っていく。


 理由はこいつだった。動物たちがこの湖を避けていた理由。生命の本能が告げる絶対的な危険。


 そして――


 金属の赤いセンサーが、ゆっくりと我々に向けられた。


 機械的な瞳孔が収縮する音が聞こえたような気がした。キュイイイン、という高周波。視線が物理的な重さを持って俺たちに突き刺さる。喉が締め付けられるように乾く。心臓が肋骨を内側から叩いている。足が地面に縫い付けられたように動かない。


(どうする? 魔法を……?)


 瞬時に幾つもの選択肢が頭を駆け巡る。炎系統の攻撃魔法、氷結系、あるいは物理強化で接近戦か。だがそのとき、不意に脳裏に蘇った声があった。


――「あなたの魔法陣が激しく反応する時が、近いうちに来る」


 アレスティアの言葉だ。あの透明な声が、今も耳の奥で響いている。


 俺の右手の甲に刻まれた文様が、じわりと熱を帯び始めていた。皮膚の下で何かが蠢くような、くすぐったいような感覚。まだ時ではないのか、あるいは――これは警告なのか。


「来るぞ!」


 柏木一尉の号令が、思考を現実に引き戻した。


***


 機械生命体が岸へと躍り出た。


 着地の衝撃で地面が陥没する。土煙が舞い上がり、水しぶきが虹を作る。美しさと恐怖が同居する一瞬。そして鋼鉄の四肢が地を蹴り、弾丸のような速度で突進してくる。


 銃火器の一斉射撃が響いた。


 タタタタタ――自動小銃の連射音が重なり合い、鼓膜を震わせる。薬莢が地面に転がる金属音。硝煙の匂いが鼻を突く。


 しかし弾丸は甲殻のような外殻を弾くだけだった。火花が散り、金属片が飛び散るが、本体にはかすり傷一つつかない。まるで戦車の装甲のような強度。


「効かない!? ならば――!」


 柏木一尉がパンツァーファウストを構えた。肩に担ぎ、照準器を覗き込む。額に汗が浮かび、一筋が頬を伝って落ちる。狙いを定め、至近距離まで引きつける。機械生命体の赤いセンサーと、一尉の瞳が一直線で繋がった瞬間――


「喰らえ!」


 轟音。


 ロケット弾が白い軌跡を描いて飛ぶ。着弾。爆発。オレンジ色の火球が機械生命体を包み込む。熱風が頬を焼き、爆風で髪が激しく乱れる。


 金属の巨体がよろめいた。左前脚の関節部から黒い煙が上がる。だが――まだ動いている。足を引きずりながらも、損傷した箇所を別の脚でカバーしながら、赤いセンサーはなおこちらを睨んでいた。


「しぶとい奴だ……!」


 再び射撃。仲間たちも必死で援護する。手榴弾が投げ込まれ、爆発が連続する。火薬の匂いと金属の焦げる臭いが混ざり合い、戦場特有の空気を作り出す。


 そして――決定的な一撃が来た。


 柏木一尉が放った二発目のロケット弾が、機械生命体の頭部と思しき部分に直撃した。赤いセンサーがバチバチと火花を散らしながら砕け散る。バランスを失った巨体が、ゆっくりと傾いていく。


 ギィィィィ……という金属の軋む音を立てながら、ついに機械生命体は膝を折った。そして地響きと共に、湖畔の砂地に崩れ落ちた。


***


 耳鳴りが残る。キーンという高音が頭蓋骨の中で反響している。胸の鼓動が早鐘のように打ち続け、呼吸するたびに肺が痛む。


 生温い風が吹き抜け、硝煙がゆっくりと流れていく。その向こうに横たわる銀色の残骸が、夕陽を受けて鈍く光っていた。


「……これが、こいつが……」


 柏木一尉が荒い息を吐きながら呟く。額の汗を手の甲で拭う仕草に、安堵と困惑が混じっていた。


「他の動物が逃げていた原因は間違いなくこいつだろう。だが問題は――なぜこんなものがここにいるのか、だ」


 確かにそうだった。機械生命体。そんなものがこの星に存在するはずがない。いや、存在してはならない。これは自然発生したものではない。誰かが作り、誰かが配置した。その意図は何なのか。


 調査チームの科学者の一人が、恐る恐る残骸に近づいていく。防護手袋をした手で、機体表面を慎重に撫でる。


「これは……興味深い」


 彼が指差した箇所を見ると、金属の表面に緑がかったコケのようなものがびっしりと付着していた。関節部の隙間には泥や有機物が幾層にも堆積している。


「この表面の酸化具合、コケの成長度合い、そして関節部の摩耗パターンから推測すると……」


 科学者が眼鏡を押し上げ、震える声で続けた。


「数年なんてものじゃない。数十年、もしかしたら数百年単位で稼働していた可能性がある」


 その言葉に、全員が息を呑んだ。数百年。そんな長期間、この機械生命体はここで何をしていたのか。


 柏木一尉が残骸を見下ろしながら、低い声で呟いた。


「それにしても妙だ。こいつの構造を見る限り……」


 彼は膝をつき、破壊された頭部を観察する。


「センサーの配置、関節の可動域、そして先ほどの動き。これは戦闘用に設計されたものじゃない。むしろ……」


「むしろ?」


「作業用、あるいは探査用の機体を無理やり戦闘に転用したような……そんな違和感がある」


 確かに言われてみれば、攻撃方法も顎での噛みつきだけで、射撃武器や刃物のような専用の武装は見当たらない。


 やがて柏木一尉は俺に向き直った。汗で濡れた顔に、決意の色が浮かんでいる。


「悠斗。インベントリーに収めてくれ。一つのネジも、一片のコケも欠けさせるな。すべてが重要な証拠だ」


「はい、一尉」


 俺は息を整えてから、機械生命体の残骸に向かって手をかざした。魔力を循環させ、収納の術式を展開する。青白い光が残骸を包み込み、次第にその輪郭が薄れていく。


 冷たい重みが一瞬、俺の体を通り抜けて消える感覚。金属の味が舌の奥に残る。確かにすべてが収まった。この謎めいた存在のすべてが、今は俺の管理下にある。


 夕陽が湖面を血のように染めている。静寂が戻った湖畔に、我々の荒い呼吸だけが響いていた。


 この星には、まだ俺たちの知らない秘密が眠っている。銀色の粒子、リムたち、そして今回の機械生命体。すべてが何かで繋がっているような、そんな不安が胸の奥で渦を巻く。


 ただの調査行のはずだった四日目は、決定的な一歩を踏み込んだ日となった。


 ――そして俺の手の甲の文様は、まだ微かに、脈打つように熱を帯び続けていた。

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