第41話 帰還前夜の報告会

 夕食の皿を洗い終えた手が、まだ微かに震えていた。今日遭遇したあの機械生命体の赤い瞳が、脳裏から離れない。悠斗は濡れた手をタオルで拭きながら、テントの隙間から見える赤い大地を見つめた。

 やがて足音が重なり始める。一人、また一人と、居住地の大テントに人が集まってきた。誰が呼びかけたわけでもない。けれど全員が、今日の出来事を整理せずにはいられなかったのだろう。

 長机の上にホログラム端末が青白い光を投げかけている。その光に照らされた顔は、どれも真剣そのものだった。

***

「では、今日遭遇した機械生命体について――」

 白石教授の声が、静まり返った空間に響いた。彼の指がホログラムを操作すると、犬型の機械生命体の立体映像が宙に浮かぶ。

「外見は四足歩行、外殻は我々の知る如何なる合金とも異なる組成です。そして内部からは、明確なエネルギー反応が検出されました」

 映像が回転し、内部構造の推定図が表示される。複雑に絡み合った回路のような模様が、まるで血管のように張り巡らされていた。

「問題は、その起源です」

 天文学の専門家が眼鏡を押し上げながら、震え声で続けた。

「アルカディアに元々人類が……いや、何らかの知的存在が住んでいたのか。それとも――」

 彼は一瞬言葉を切り、室内を見渡した。

「別の星から、何者かが持ち込んだのか」

 その言葉が落ちた瞬間、室内の空気が凍りついたように重くなった。誰かが息を呑む音が聞こえる。

「ただの自律機械という可能性もあります」

 若い研究員が慎重に口を開いた。

「しかし、あの動きには学習の痕跡があった。環境を探るように地面を嗅ぎ、我々との距離を測りながら接近してきた。単純なプログラムだけでは、あの躊躇いがちな足取りは説明できません」

 理沙が膝の上で握りしめた手が、白くなっているのが見えた。

「でも、もし住人が存在していたのなら」

 考古学の専門家が重い口を開く。

「文明の痕跡がもっとあってもいいはずです。建築物、道具、何かしらの加工品が。でも我々が見つけたのは、あの機械生命体だけだった」

 理沙の唇が微かに動いた。

「じゃあ……本当に"持ち込まれた"のかな」

 その呟きは小さかったが、全員の耳に届いた。そして誰もが、その可能性が孕む意味を理解していた。

 この星は、誰かの実験場なのか。それとも――

***

 悠斗は腕を組み、議論を聞きながら記憶を辿っていた。

 異世界で戦った十年間、様々な魔物と対峙してきた。だが、あの機械生命体から感じた違和感は、どれとも異なっていた。生物でもなく、単なる機械でもない。まるで、その境界線上で揺れているような存在。

「それと」

 生物班の教員が、震える声で核心を突いた。

「あれが"最後の一匹"だったのかどうか」

 全員の視線が彼に集まる。

「繁殖能力があるのか、そもそも個体群が存在するのか、我々には何も分かっていません。もし――」

 彼は唾を飲み込んだ。

「もし今日見たのが最後の一匹だったのなら、我々は絶滅種を、その最期を見届けたことになる」

 重い沈黙が、鉛のように場を押し潰した。

 川崎がカメラを見つめている。そこには、あの機械生命体が去っていく姿が記録されているはずだった。歴史的瞬間か、それとも取り返しのつかない喪失の記録か。

「結局、確証は得られない」

 白石教授が疲れた声で会議を締めくくろうとした。

「今日の段階では仮説しか立てられない。本格的な調査は、次の渡航に――」

 その時、テントの外で何かが動いた。

 全員が一斉に振り返る。しかし、そこにはただ、二つの月に照らされた赤い大地が広がっているだけだった。

「……持ち越しだ」

 教授が言葉を継いだが、誰もが外の闇に意識を奪われていた。

***

 時計の針はすでに深夜二時を回っていた。

 疲労が濃い影となって、全員の顔に落ちている。それでも誰も、席を立とうとはしなかった。まるで、この議論を終わらせることが、何か大切なものを手放すことのように感じられて。

「今日はこれでお開きにしよう」

 悠斗が静かに立ち上がった。

「明日は帰還の日だ」

 その言葉に、複雑な感情が入り混じった吐息が漏れる。安堵と、名残惜しさと、そして微かな不安と。

 一人、また一人と席を立ち、テントから出て行く。最後に残った悠斗と理沙が外へ出ると、夜の冷気が頬を撫でた。

 見上げれば、二つの月が淡く輝いている。大きい方は薄紅色に、小さい方は銀色に。その光が赤い大地に降り注ぎ、まるで別の惑星の表面のような、幻想的な光景を作り出していた。

「きれい……」

 理沙が呟く。

「でも、少し寂しそう」

 悠斗は何も答えなかった。ただ、その光景を、心の奥深くに焼き付けようとしていた。

 明日、彼らは地球へ帰る。でも、この星の謎は、まだ何一つ解けていない。機械生命体の正体も、この星の過去も、そして未来も。

 全ては、赤い砂の下に埋もれたまま。

***

 翌朝。

 まだ薄暗い中、荷物を整える音が響き始めた。金属がぶつかる音、布が擦れる音、そして時折聞こえる溜息。

 誰もが名残惜しさを胸に抱きながら、それでも手は止めなかった。地球への帰還が、確実に近づいている。

 悠斗は最後にもう一度、テントの外を見た。すると、しおりと途中から部員になった椎名が、こっそりとテントを出ていくところだった。

 深夜にこんな所を出歩くなんて不用心だ。悠斗は静かに後をつけた。

 二人は結界の外側へと向かっていく。月明かりの下、小さな影が見えてきた。

 チワワに似た小型の生物が、棒に繋がれていた。しおりが震える手で、何かを差し出している。餌だろうか。

「しおり、椎名」

 悠斗が声をかけると、しおりが振り返った。その瞳には涙が溜まっていた。

「悠斗先輩……」

 声が震えている。

「この子、昨日の昼間……親が」

 しおりは言葉を詰まらせた。椎名が代わりに説明する。

「中型の鳥類に襲われたんです。親も巣も、全部さらわれて。この子だけが残されていて」

 小さな生物が、怯えたように身を縮めた。震えているのが月明かりでも分かる。

「基地に連れて行って、育てさせてください」

 椎名が頭を下げた。

「お願いします」

 悠斗は小さな生物を見つめた。確かにチワワに似ているが、耳の形が違う。体毛も、よく見ると虹色の光沢を帯びている。

「生態も、餌も、病原体の有無も確認できていない」

 悠斗の声は厳しかった。

「結界の中には置けない」

 しおりの肩が震えた。涙がこぼれそうになる。

「でも」

 悠斗は続けた。

「結界の外で、専門家チームに見てもらおう。問題がなければ、飼育を許可する」

 しおりの顔がぱっと明るくなった。

「本当ですか?」

「ああ。これは重要な研究対象だ。アルカディアの動物相の家畜化、その最初の資料になるはずだ」

不思議そうにしているしおりにそういう事にしておけと視線で知らせる。しおりも気が付いたのか飛び上がって喜んだ。

 小さな生物が、不思議そうに悠斗を見上げた。その瞳は、機械生命体とは違う、確かな生命の光を宿していた。

 朝日が地平線から昇り始める。赤い大地が、徐々に明るくなっていく。

 新しい命との出会い、そして別れ。

 アルカディアでの最初の本格調査は、謎と希望を同時に残して、終わろうとしていた。

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