第22話 夏の探査準備と顔合わせ

 終業式の三日前。校門を出た瞬間、黒い車体が目に飛び込んできた。政府の公用車だ。ボンネットが太陽光を反射している。ギラギラと眩しい光が網膜を刺す。反射的に目を細める。瞼を半分閉じる。梅雨明けの太陽がジリジリと肌を焼く。額の生え際から汗が滲み出てくる。じわり、じわりと。塩辛い汗が眉毛に向かって流れ始める。

 運転席の窓がスーッと下がる。モーター音が小さく響く。ウィーンという機械音。政府の運転手が顔を出す。見覚えのある顔。いつもの人だ。

「お迎えに上がりました」

 ドアハンドルに手をかける。金属が熱い。太陽に熱せられている。指先がビリッとする。熱さなのか静電気なのか。引く。重い。ガチャリと音を立てて開く。蝶番が軋む音。車内から冷気が溢れ出してくる。エアコンの冷たい空気が顔を打った。温度差で一瞬めまいがする。額の汗が急速に冷える。蒸発していく。鳥肌が腕に立つ。産毛が逆立つ。

 シートに腰を下ろす。革張りのシート。身体を受け止める。お尻が沈み込む。背中も沈む。高級車特有の包み込まれるような感触。理沙が隣に滑り込んでくる。ドアを閉める音。バタン。シャンプーの香りがふわりと漂う。花のような、果実のような、甘い香り。車内の冷気に乗って鼻腔に届く。

「なんか、毎度このパターンだな」

 声に出してみる。軽い調子を装って。でも、喉の奥で何かが引っかかる。胸の奥で鉛の塊みたいなものが沈んでいる。ズシリと重い。呼吸をするたびに、その重さを感じる。

「普通の高校生は、夏休み直前に自衛隊基地へ顔合わせに行ったりしないよね」

 理沙の声が小さい。掠れている。窓の外を見ている。横顔しか見えない。教室から聞こえてくる笑い声が窓越しに届く。クラスメートたちの声。夏祭りの話をしているんだろう。花火大会の日程を決めているのかもしれない。浴衣を着て、屋台を回って、普通の夏を過ごすんだろう。

 車が動き出す。エンジンの振動がシートを通して伝わってくる。ブルル、ブルル。規則正しい震動。尻から背骨に伝わって、全身に広がる。アスファルトから陽炎が立ち上る。ゆらゆらと空気が歪む。景色が揺れて見える。蜃気楼みたいに。千葉へ向かう高速道路に入る。加速する。背中がシートに押し付けられる。窓の外を流れる景色。ビル、住宅、緑、また住宅。同じような風景の繰り返し。単調な景色。でも、胸の鼓動は速くなっていく。ドクドク、ドクドク。肋骨の内側で心臓が暴れている。血流が速くなる。耳の奥で自分の脈拍が聞こえる。

 習志野駐屯地の看板が見えてきた。白地に黒い文字。「陸上自衛隊習志野駐屯地」。正門で車が止まる。ブレーキの音。キィィッ。タイヤとアスファルトが擦れる音。窓を開ける。ボタンを押す。ウィーンとモーター音。生温い空気が入ってくる。湿気を含んだ重い空気。

「身分証を」

 衛兵の声。硬い。機械的。感情が読めない。制服がパリッとしている。帽子の庇が顔に影を作っている。学生証を差し出す。手が少し震える。なぜだろう。緊張?それとも興奮?指先が小刻みに動く。

 ゲートが開く。ガラガラと金属音。重い音だ。鉄の扉が横にスライドしていく。車がゆっくり進む。基地内に入った瞬間、空気が変わった。ピンと張り詰めている。緊張感がある。整列した建物。コンクリートの箱が規則正しく並んでいる。直線の道路。定規で引いたみたいにまっすぐ。刈り込まれた芝生。一本の雑草もない。全てが規則正しい。秩序立っている。ここは遊びの場所じゃない。肌でそれを感じる。毛穴が締まる。背筋が伸びる。

 車が止まる。エンジンが切れる。プスンという音。静寂が訪れる。ドアを開ける。外に出る。靴底がコンクリートを踏む。カツン。硬い音。反響する。立っている人影が見える。大きい。背が高い。肩幅が広い。近づいてくる。足音が規則正しい。軍人の歩き方だ。

「上月悠斗殿、綾瀬理沙殿ですね」

 太い声。腹から出ている。横隔膜を使った発声。響く。振動が空気を伝わってくる。見上げる。日焼けした顔。褐色の肌。額に深い皺が刻まれている。横に三本。目尻にも皺。笑い皺だ。何度も笑ってきた証拠。

「ようこそ、習志野駐屯地へ!」

 強面だけど、口元が緩んでいる。口角が上がっている。愛嬌のある笑顔。親しみやすさを感じる。

「柏木です。護衛とサポートを担当します」

 手を差し出される。大きな手だ。指が太い。節くれだっている。握手する。掌と掌が触れ合う。握り返される。力強い。骨が軋むほど。温かい。体温が高い。でも、掌が湿っている。汗だ。べたつく感触。……いや、待て。この感触、知っている。記憶の奥底で何かが反応する。異世界で出会った歴戦の戦士たちと同じだ。長年武器を握り続けた手。戦いを知る者の手。この人は信頼できる。直感がそう告げる。本能が安心している。

「よろしくお願いします」

 建物の中へ案内される。廊下を歩く。リノリウムの床。革靴の音が響く。カツカツカツ。規則正しいリズム。自分の足音、理沙の足音、柏木一尉の足音。三つの音が重なって、独特のリズムを作る。壁は白い。何も飾られていない。無機質。機能性だけを追求した空間。

 会議室のドアが開く。ガチャ。中に人がいる。数える。10名。いや、もっと多い。15名はいる。全員が立ち上がる。椅子が一斉に鳴る。ガタガタガタ。床が振動する。

「護衛班、10名です」

 柏木一尉が紹介する。声に誇りがある。部下を信頼している声。見渡す。男性が7名。女性が3名いる。意外だ。

「女性隊員がいるとは」

 驚きが声に出る。思わず口から漏れる。

「惑星開拓部には女性も多いと聞きましたので」

 柏木一尉の頬が緩む。目尻に皺が寄る。深い皺。優しい表情。

「当然の配慮ですよ」

 その時だった。空気が急に重くなる。まるで気圧が下がったみたいに。息苦しくなる。柏木一尉の表情が変わる。笑顔が消える。目が細くなる。鋭い眼光。顎が引き締まる。

「──気を引き締めてもらうために、一つだけ昔話をしよう」

 声のトーンが下がる。低い。重い。地の底から響いてくるような声。隊員たちの肩がピクリと動く。反射的に。背筋が伸びる。ピンと。呼吸が止まる。空気が凍る。

「数年前、海外派遣訓練で台地の奥へ支援物資を届けた際──」

 言葉を切る。息を吸う音が聞こえる。スーッと。深く、ゆっくりと。肺を膨らませている。

「予報に無かったスコールで谷が鉄砲水になった」

 肩が小さく震える。筋肉が痙攣している。拳を握る。ギュッと。指の関節が白くなっている。血が通っていないみたいに。爪が掌に食い込んでいる。

「車両三台が流され、我々は夜通し土砂と格闘しながら仲間を救出した」

 声が掠れた。喉の奥で何かが詰まっているような音。感情を押し殺している。ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。喉仏が上下する。

「装備も計画も完璧に思えても、自然は一瞬でひっくり返す」

 一拍置く。沈黙。部屋が静まり返る。誰も動かない。息をするのも忘れているみたいに。時計の秒針の音だけが聞こえる。カチ、カチ、カチ。

「あの夜、救えなかった装備と笑顔がある」

 胸の奥で何かが締め付けられる。ギュッと絞られるような痛み。理沙の手が震えているのが見える。小刻みに。止められない震え。……失った仲間がいるのか。死んだのか。助けられなかったのか。

「だからこそ、今回は万全に備える」

 柏木一尉が顔を上げる。目が赤い。充血している。血走っている。涙を堪えているのか。それとも怒りか。悔しさか。

「未踏の惑星は地球のジャングルよりよほど癖が強いかもしれん」

 拳でテーブルを叩く。ドン!鈍い音。振動が床を伝わってくる。足の裏から膝まで震動が上ってくる。

「気を抜くな」

 誰かの喉が鳴った。ゴクリ。乾いた音。唾を飲み込む音。理沙の肩に手を置く。小さく震えている。服越しに震動が伝わってくる。ブルブルと。探査は遊びじゃない。分かっていたはずだ。頭では理解していた。でも、柏木一尉の話で、身体が理解した。細胞レベルで理解した。人が死ぬかもしれない。俺の判断ミスで。俺の力不足で。俺の油断で。誰かが命を落とすかもしれない。異世界では勇者だった。最強だった。無敵だった。10年間、負けなしだった……いや、嘘だ。最初は普通の兵士にすら勝てなかった。何度も死にかけた。仲間に助けられて、ようやく生き延びた。でも、ここでは──また最初からだ。……いや、考えるな。過去は過去だ。今は今だ。守る。俺が必ず守る。理沙も、仲間も、全員を。それが俺の役目だ。それが俺の責任だ。逃げられない。

***

 重い空気を破るように、別の隊員が前に出る。一歩、二歩。床を踏む音。

「炊事班、3名です!」

 明るい声。わざと明るくしているのかもしれない。場の空気を変えようとしている。班長らしき人物が胸を張る。制服がピンと伸びる。ボタンが光る。

「食事に関しては任せてください!」

 手を叩く。パン、と乾いた音。空気を切る音。

「限られた環境でも美味しい料理を提供しますよ!」

「楽しみです」

 理沙が微笑む。頬の筋肉が少し緩む。口角が上がる。さっきまでの緊張が和らいでいく。肩の力が抜ける。

 次は記録員の紹介。カメラを首から下げている。黒い一眼レフ。重そうだ。ストラップが首に食い込んでいる。最後に、学術調査班が入ってくる。ドアが開く。ギィと音がする。二人の男性が入ってくる。白髪混じり。一人は穏やかな顔。もう一人は険しい顔。対照的だ。

「地質学の半田です」

 穏やかな方が頭を下げる。ゆっくりと。腰を曲げる。丁寧に。90度の礼。

「よろしくお願いします」

 声も穏やか。でも、目は鋭い。瞳孔が小さい。観察している。研究者の目だ。全てを見逃さない目。

「地質と地震活動を詳細に調査したいと思っています」

 もう一人が前に出る。田所教授だ。顔を覚えている。資料を胸に抱いている。ギュッと。大事そうに。紙が皺になりそうなくらい強く。

「先日の会議でも申したが──」

 声が険しい。低く、重い。眉間に深い皺。縦に三本。鞄を開ける。ファスナーの音。ジジジジ。歯が噛み合う音。中から何かを取り出す。手が震えている。興奮?緊張?掌サイズの機器。地磁気計だ。金属の箱。表面に針がある。

「北部山岳地帯は地下マグマ溜まりの脈動が強い」

 機器を見せる。掲げる。針がある。揺れている。右に振れる。左に戻る。また右に。規則的じゃない。不規則に動く。生きているみたいだ。脈打っている。心臓の鼓動みたいに。

「浅い火道があれば、わずかな振動で噴気が吹き出す恐れがある」

 針を見つめる。目が離せない。吸い込まれそう。針の動きに魅入られる。催眠術にかかったみたいに。

「油断は禁物ですぞ」

「この針が振り切れたら?」

 理沙の声が小さい。か細い。震えている。怯えているような。不安が滲んでいる。

「即時退避だ」

 田所教授が断言する。迷いがない。きっぱりと。

「地球とは磁束のパターンが違うが、危険値はすでに仮定測定してある」

「振り切れたら、すぐ戻れる距離なのかな……」

 理沙の呟きが空気を凍らせる。誰も答えない。答えられない。沈黙が支配する。地磁気計に手を伸ばす。指先が触れる。冷たい。金属の冷たさ。でも、針は熱を持っているように震えている。生命を宿しているみたいに。

「守るよ」

 静かに言った。でも、はっきりと。迷いなく。本心だった。心の底からの。嘘偽りない決意。柏木一尉が頷く。深い頷きだった。ゆっくりと。重く。顎が大きく動く。その頷きに、何か込められている気がした。信頼?期待?それとも心配?

***

 外に出る。建物から出ると、また暑さが襲ってくる。装備の確認だ。駐車場に向かう。アスファルトが熱い。靴底越しに熱が伝わってくる。並んでいる。高機動車が5台。大きい。威圧感がある。緑色の塊。タイヤが太い。オフロードタイヤ。溝が深い。車高が高い。地上から1メートルはある。装甲が厚い。防弾仕様。その隣に、見慣れない車両。トラックみたいだが、荷台に何か載っている。

「野外炊具2号(改)です」

 炊事班長が説明する。誇らしげに。胸を張って。

「どんな場所でも温かい食事を作れます」

「すごい規模……」

 声が漏れる。思わず。想像以上だ。

「もう小さな冒険じゃないんだな」

 理沙が呟く。感慨深そうに。……いや、違う。最初から小さくなかった。世界を巻き込んでいる。国家プロジェクトだ。国の威信がかかっている。責任の重さが、肩にのしかかってくる。ズシリと。物理的に重く感じる。

「それでは、最終確認をしましょう」

 柏木一尉が資料を広げる。テーブルの上に。バサッと音がする。地図だ。等高線が細かく引かれている。茶色い線が幾重にも。風が吹く。紙の端がパタパタと揺れる。めくれ上がりそうになる。手で押さえる。

「まず、ルートですが──」

 指で線をなぞる。赤いマーカーで引かれた線。曲がりくねっている。

「この谷沿いに進むんですか?」

 理沙が地図に顔を近づける。髪が垂れる。地図に触れそうだ。シャンプーの香りがまた漂う。

「そうです。車で行けるところまで進みます」

「そこでキャンプ設営ですね」

「はい。そこから本格的な探査です」

 質疑が始まる。次々と質問が飛ぶ。

「水源は?」

「ここと、ここに確認済みです」

 地図を指差す。青い印がついている。水のマーク。

「退避ルートは?」

「3つ用意してあります」

 赤い線が3本。それぞれ別方向に伸びている。蜘蛛の巣みたいに。

「医療体制は?」

「衛生兵が2名同行します」

「通信は?」

「通信機を3台用意しました」

「基地との連絡は?」

「中継器を設置しながら進みます」

 質問が続く。理沙の目が真剣だ。瞬きが少ない。集中している。瞳孔が開いている。メモを取る。ペンが紙を走る。カリカリカリ。速い。文字が踊る。準備は万全に見える。でも、本当にそうだろうか。見落としはないか。想定外はないか。自然は人間の想定を軽く超えてくる。

「しっかりと準備を整えて、安全第一で行きましょう!」

 柏木一尉の締めの言葉。全員が頷く。深く。真剣に。決意を込めて。西の空が赤くなり始めた。太陽が傾いている。夕陽が沈んでいく。ゆっくりと。地平線に向かって。オレンジ色の光が基地を染める。建物が、車両が、人が、全てオレンジ色に。まるで炎に包まれているみたいに。影が長く伸びる。俺の影。理沙の影。隊員たちの影。全ての影が、西へ西へと伸びていく。地面を這うように。

***

 帰りの車の中。エンジンの音だけが響いている。ブーンという低い振動音。単調なリズム。

「いよいよだね」

 理沙が窓の外を見ながら呟く。街灯が流れていく。オレンジ色の光が線になって。

「ああ」

 短く答える。それ以上の言葉が出ない。喉が詰まっている。胸の中で、期待と不安が渦巻いている。グルグルと回転している。熱いような、冷たいような。嬉しいような、怖いような。複雑な感情が混ざり合っている。手を見る。膝の上に置いた手。震えている。小刻みに。止めようとしても止まらない。興奮か。恐怖か。……たぶん、両方だ。

「大丈夫?」

 理沙が心配そうに覗き込んでくる。顔が近い。息がかかりそうな距離。瞳に俺の顔が映っている。

「大丈夫さ」

 強がってみせる。笑顔を作る。口角を上げる。頬の筋肉に力を入れる。

「異世界でも何度も危険な目に遭ったし」

「でも、今回は一人じゃないよ」

 その言葉に、胸の奥が熱くなる。ジワッと。温かい何かが広がっていく。血管を通って全身に。

「そうだな」

 窓の外を見る。空が暗くなり始めている。紺色から黒へのグラデーション。最初の星が瞬き始めた。一つ。小さな光。また一つ。少しずつ増えていく。

「一人じゃない」

 呟く。自分に言い聞かせるように。噛みしめるように。アルカディアの赤い大地が、俺たちを待っている。未知が待っている。危険が待っている。発見が待っている。全てが待っている。期待と恐怖が同居している。深呼吸する。鼻から息を吸う。冷たい空気が肺に入る。肺が膨らむ。胸郭が広がる。止める。一秒、二秒、三秒。吐く。口から。ゆっくりと。全部出し切るように。肺が縮む。よし。やってやる。絶対に、全員を無事に連れて帰る。そして、新しい発見をする。それが俺の使命だ。俺にしかできないことだ。

 車は高速道路を走り続ける。東京へ向かって。家へ向かって。見慣れた景色が流れていく。でも、心はもうアルカディアにある。あの赤い大地に。未踏の山岳地帯に。火山の熱気に。明後日、出発だ。準備は整った。覚悟も決まった。あとは、実行するだけだ。

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