誰が為に刃は研がれる
私は、反射的に教卓のカッターナイフを片手に取った。そして、悪意の鳴るほうへ一直線に向かっていった。私が感情的になる事は滅多になかった。けれども、それを自覚している人間ほど、感情のラインを超えたとき、とんでもない行動を起こすのだろう。この時の私はそうであった。カッターを片手に机を避けながらも全速力で、私は月宮楓の方へ向かった。そして、殺意を彼女に向けた。しかし幸い彼女に刃がかかることはなかった。その机の一歩手前で、ポタポタと水滴がしたたり落ちたからである。私は失禁したのである。興奮と緊張と混濁した感情に耐え切れなくなった体が、私自身を制止した。教室の状況はよく覚えていない。どこかで悲鳴が起きていたような気もしていたし、担任教師がいるのにも関わらず先生を呼びに行くものもいた気がする。月宮楓は、ただ恐怖していた。私の顔を見て、まるで化け物をみるかのように両手で口を隠すようにして、席から立ち上がることもできなくなっていた。私は下半身に感じる不快な感情に意識を向けた。血の気が引くように、一切の感情が自身への不甲斐なさに変換された。湿気た感触が顔面を覆った。私は涙を流しているようだった。恥からくる涙なのか、人間の悪意に触れた事による絶望なのか。私は手に持ったその獲物を、自身の頬に振り下ろした。鮮血と涙と体液と。身体から溢れ出るすべてが教室の床を濡らした。その後の事はよく覚えていない。私はその数十秒後にゆっくりと意識を失ったからである。ただ、私は見届けた。月宮楓が数回の嗚咽して、その後におそろしくゆったりとした動きの中で、胃の中身を床に落としたのを。ざまあみろ。そんな感情。カッターで切った頬が痛い。そんな感想。そして。すーっと何か悪いものが頬から抜けていく感覚。そんな感傷。私の自傷癖の始まりであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます