やあ、悪意

例えばここで、私が誰かに話しかけていたとしたら。そんな事を今でも考える。他のクラスに顔を出したりなんかして、少しだけ悪いことでもしていたら、と。

「HRを始める前だけどな、先生が一時間目だろ? だからテストを返却しようと思う」

 担任がそう言うとクラスの一部からブーイングが上がった。お茶らけてるやつがやーめーろーよー。なんて言ったりしていた。ざわめきが広がる。私はというと、この教師はいつもこうだったので、教室の阿鼻叫喚具合をのんきそうに眺めていた。私は少しほっとした。教室に入った時のあの違和感は、ただの違和感に過ぎなかったんだと。

「おーい、そこ静かにしろ。じゃ、いつも通り名前順で配っていくからなー。今回の平均点は四十点。もう少し頑張って欲しかった。けど、そんな中でも百点取ったやつもいるから、しっかり復習するように。問題が難しすぎる、は言い訳にはならんからな。と、前置きもそこそこに、じゃあまず青野」

答案が返却されていく。ざわめきは止まらない。ざわざわクスクス、クスクスクスクス。

「次は月宮! すごいぞ、百点だ!」

月宮楓は百点を取ったらしかった。数学の成績が良いという話は聞いたことがなかったが、勉強を頑張ったのかもしれない。時にはああいう人種もやる気を出すんだろう。

「?」

 月宮楓と目が合った。反対側の席に座るはずの私の方を、一瞬ではあったがしっかり見つめ、私たちはお互いを認識した。彼女はニコリ、とほほ笑んでいた。普段であれば可愛らしいそれは、しかし私には獲物をなぶろうとするネコ科の動物のように見えた。結論から言って、それは間違いではなかった。私の答案には丸がひとつもなかった。得意な数学が、零点だった。

「どうしたんだ、いつもの六分儀なら……」

 教師が何かを言っているらしかった。私はその場に立ち尽くしてしまった。なんで、どうして、おかしい、絶対おかしい。これは私の答案じゃない。けど、字は私のものに間違いない。呼吸が乱れる、自分の吐く息を感じる。動悸が、足の震えが、五感が極端に鋭くなる。

「クスクス」

 聴覚が研ぎ澄まされた。囁くような笑い声が、喧噪の中から聞こえた。私はゆっくりとその方向に体を向けた。

「クスクス」

 その時の月宮楓の顔は、愉悦にまみれていた。醜悪で、下世話で、してやったりのしたり顔。私の何が、そんなに憎いんだ。私の何がそんなに妬ましい。私の何が、私の。私の

「お……ま……え、を……なにが」

 そんなにも歪ませたのか。

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