運命の赤い糸

墨猫

第1話

 皆さんは【運命の赤い糸】の存在を知っていますか? 目には見えませんが、やがて添い遂げる運命の男女が赤い糸で結ばれているというものです。

 なんてロマンティックなんでしょう!自分の運命の人と小指と小指で結ばれた赤い糸で繋がっているなんて。

 どんな人が運命の相手なのかとても気になりますよね。その目には見えない赤い糸がもし見えるとしたら・・・あなたはどう思いますか?



✦ ✦ ✦ ✦



「おい、急がないと遅刻するぞ!」


「待って待って、ねえ髪型変じゃない?」


 隣に住む幼馴染の悠斗ゆうとに急かされ、私は玄関先で慌てて靴を引っ掛けながら前髪を整えた。


理奈りな、お前なー、毎朝呼びに来る俺の苦労を考えろよな」


 悠斗はすかさず私の髪の毛をワシャワシャッと両手でかき乱した。


「もう、ひどいよ!せっかく時間かけて頑張ったのにー」


 ぷーと膨らませた私のほっぺを、悠斗は人差し指でつつきながら


「理奈はそのままでいーの。さあ、行くぞ。まじで遅刻しちまう」


 悠斗は私の手を優しく握ると、学校に向かって走り出した。


 毎朝悠斗は私の家に迎えに来てくれる。私はいつも玄関先で悠斗が門扉を開ける音をドキドキしながら待っている。

 悠斗が隣の家に引っ越して来たのは小学5年生の時。両親と一緒に引越しの挨拶に来た彼を見て、私は悠斗に心を奪われてしまった。

 同い年の悠斗は勉強も出来るしスポーツも得意、そして誰にでも優しい。明るい悠斗の周りにはいつも友達が絶えない。中学生になると、可愛い男の子からかっこいい男子に成長した悠斗の人気は更に拍車がかかり、同級生や上級生からも告白されていた。高校生になった今では悠斗目当ての他校の女子が校門前で出待ち状態になっている。

 そんな中、幼馴染の私はいつも嫉妬の対象で何度も嫌がらせを受けてきた。幼馴染というだけの平凡な私が、悠斗の隣にいる事が腹立たしいって事は私にだってよく分かる。それにそういう子達って、私が悠斗に抱いている気持ちにも気付いてるだろうし。

 でもね、ごめんなさい。私はあなたたちとは違うの。私にとって悠斗は特別な存在であると同時に、悠斗にとっても私は特別な存在だから。





 私は幼い頃から赤い糸が見える。

 【運命の赤い糸】が。


 最初に見たのはお母さんの小指に結ばれた赤い糸。幼い私は鮮やかな赤い糸が欲しくてたまらなかった。何度手で触れようとしても掴むことが出来なかった。思い通りにならない事で突然泣き出した私を前に、訳の分からないお母さんの困った顔は今でも鮮明に覚えている。

 小学2年生になった頃、【運命の赤い糸】の存在を知った。でも、赤い糸が見えるって事は両親にも内緒にした。お母さんの小指に結ばれた赤い糸の先は、私の担任の小出こいで先生の指に結ばれていたから。


 学年が上がる度、クラスの女子は好きな男の子の話で盛り上がった。私はその輪にいてもどこか冷めた感覚で話を聞いていた。だってあなた達とその男子達は赤い糸で結ばれてないんだもの。

 そしてお母さんは担任の先生が代わってからも事あるごとに小出先生と連絡を取っているようだった。

 私はザワザワする気持ちに気付かないふりをして、自分を騙し続ける事しか出来なかった。

 しかし、5年生になった最初の全校集会で


「突然の事で驚くかもしれませんが、小出先生は教師を辞める事になりました。小出先生のクラスは副担任の先生がそのまま引き継ぎますので…」


と校長先生からの話があった。ざわつく生徒達を先生方は「静かに!」と制したが、私の心臓の音が静まることは無かった。


 その後の授業の記憶は何もない。とにかく早く家に帰らなければ、その思いだけだった。

 息を切らしながら走って家に帰り着いた私を待っていたのは、テーブルの上に残された離婚届と結婚指輪だけだった。



 それから1カ月ほど経った頃だった、私が悠斗に初めて会ったのは。私が悠斗に惹かれた一番の理由、それは赤い糸。悠斗の小指に結ばれた赤い糸が繋がっていたのは私の小指だった。

 身震いするほどの衝撃と共に今まで味わった事のないほどの高揚感。やっと私の運命の人が見つかったという安堵感。色々な感情が混ざり合い、きっとこの時の私の顔は百面相だったに違いない。


 お母さんが出て行ってから、同級生や近所の人からの心無い言葉に何度も涙した。以前よりも帰りが遅くなった父には何も相談出来なかった。

 そんな時はいつも隣に悠斗がいてくれた。何も聞かず、ただ隣にいてくれる。それだけで悲しく不安な気持ちもすっと消えていき、心地良い温かさに包まれた。

 そんな悠斗が一度だけ私に言ってくれた事がある。休み時間にクラスの男子からしつこく母親の悪口を言われ、泣いて教室を飛び出した私を追いかけて来てくれた悠斗。


「俺はずっと理奈と一緒にいてやるから」




 悠人が迎えに来てくれるまでの時間が好き。悠人に可愛いって思ってもらえるように、毎朝鏡と睨めっこする時間も愛おしい。悠人の大きな手で髪の毛に触れられると、ついにやけてしまう。悠人に見つめられると頭の中が真っ白になって何も考えられなくなるのに、身体は勝手に熱を帯び悠人に触れてしまいそうになる。

 きっと悠人も私と同じ気持ちのはず。それが分かっているから尚更幸せを実感できる。

 悠人からはまだ何も言われてないけど、赤い糸がその証拠だものね。





✦ ✦ ✦ ✦

 




「もう、今日も悠斗と一緒に帰りたかったのに急に委員会があるなんて先生ひどいよ」


 私は少し日が傾きかけた道を歩きながら独り言を呟いた。


 最近父さんは残業だと言って帰りも遅いし、休みの日も休日出勤だと言って出掛けて行く。でも、私は知ってるんだ。以前一度だけ忘年会で酔い潰れた父さんを家まで送って来てくれた会社の女の人ひと。その女の人ひとと父さんの指は赤い糸で結ばれていた。私はざわつく心に苛立ちながら、悠斗に会いたくて仕方なかった。


「あれ?公園にいるのって悠斗だ!」


 道路を挟んだ向かい側の小さな公園のベンチに悠斗の姿を発見した私は、さっきまでの沈んだ心が一気に晴れていくのを感じた。私を待っててくれたんだ。顔が自然とにやけてしまうのを必死に抑えながら


「ゆうとー」


 横断歩道の手前から悠斗に大きく手を振ると、悠斗も大きく手を振りながら走って公園から出てきた。





✦ ✦ ✦ ✦





「理奈さん、僕と結婚を前提にお付き合いしてもらえませんか?」


 目の前には、会社でも一番人気の田中さんが少し照れたような笑顔で私を見つめている。


「ごめんなさい。とても嬉しいけど、田中さんには私なんかでは不釣り合いだと思います。田中さんには私よりもっと素敵な女性が似合ってます」


 田中さんは少し何か言いかけたが、そのまま私に背を向けて行ってしまった。


「あーあ、田中さん可哀想。あんなに肩を落としちゃって。もう何人目?理奈、あんな人気者の田中さんでもあんたのハートを射抜けないわけ?」


 どこで見ていたのか同僚の友紀が首を傾げながらやってきた。


「田中さんは素敵な人だと思うよ。私も良いなってずっと思ってた。でも、駄目なの」


「また理奈の『素敵な人だと思うけど、駄目』が始まった。一体何が気に入らないのよ。理奈、あんた幸せになる気本当にあるの?ずっと彼氏いないんでしょ。誰でも良いからとりあえず軽い気持ちで付き合ってみればいいじゃない。でなきゃ一生独りぼっちになっちゃうよ」


 友紀はいつも、少し茶化した話し方をしながらも真剣に私の心配をしてくれる。それは本当にありがたい。私だっていつまでも独りは嫌だし、いつかは結婚だってしたいと思ってる。でも・・・





 悠斗が亡くなって今年で10年になる。あの日、悠斗が私の帰りを公園で待ってくれていた日、悠斗は目の前で車にひかれた。

 公園から出た悠斗が横断歩道を渡って私の所まであと一歩というところで、わき見運転の車にひかれたのだ。

 その時の光景は10年経った今でも目に焼き付いてて離れない。悠斗が走る振動に合わせて小指に光る赤い糸は大きく揺れ、それが私の小指から心臓へと伝わったかのように鼓動が高鳴った。その激しくも温かい鼓動が目の前の光景で一瞬にして凍ってしまった。

 手を伸ばせば届く距離に悠斗は血を流して倒れていた。赤い糸と血は混ざりあい、光り輝いていた赤い糸は毒々しくねっとりとした血に覆われた。

 そして私は金縛りにあったかのように立ち尽くす事しか出来なかった。




 数年経っても悠斗の死から立ち直れずにいた私を心配し、友人は事あるごとに男の子を紹介してくれた。私も時の経過と共に少しずつ紹介してもらった中の一人の男の子に惹かれていった。

 大学2年になった時


「理奈ちゃん、僕と付き合ってくれないかな?」


 とても嬉しかった。優しく穏やかなその人の性格に何度助けられたことか。でも、駄目だった。私の小指が強く引っ張られるのだ。私が男の子と会話する時、笑顔を見せる時も。 

 そして、告白された今は更に激しく指が引っ張られ痛みが走る。



 

 悠斗が亡くなって10年、私は誰とも付き合えなかった。誰かと少しでも仲良くなる度、小指に激痛が走る。

 私の小指にはしっかりと赤い糸が結ばれ、その先は長く長くどこまでも伸びている。伸びた糸の先を見る勇気が私には無かった。でも、その先に、いや、いる者の存在は分かっている。



 

 最近視界の片隅に赤い糸が結ばれた小指が見える時がある。

 

 見覚えのある小指。

 

 そして小指が見える回数は日に日に多くなっている。


 

 先日信号待ちをしていた時もそうだった。

 誰かに背中を押されもう少しで車にひかれそうになった。道路に倒れかけた瞬間、小指が視界をかすめた。

 

 そしてホームで電車を待っている今もまた…





 かつて【運命の赤い糸】はキラキラと眩い光に包まれ鮮やかに輝き、私にとって幸せの象徴でもあった。




 そして今、私の小指に絡まっているのは、

 

 ねっとりと鈍い輝きを放つ赤黒い糸。








 きっと私は逃げられない。









 【運命の赤い糸】







 それは







 死ぬまで私を縛って離さない








 永遠に切れることの無い

 







 呪いの鎖なのかもしれない。

















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