狂気猫

OROCHI@PLEC

某は猫である

 某は猫である。

 **という名の猫である。

 某は今日も忙しい。


 もしかすると、お天道様から見たら某は遊んでいる様に見えるのかもしれない。

 だが、猫は猫でも苦労はしているのだ。


 高い壁を登ろうとして、滑り落ちて尻餅をついたり、真っ直ぐな道を走っていたら落とし穴に落ちたりする。

 楽そうに見えて意外と辛い生活なのだ。


 ご飯も、働かざる者食うべからず。

 しっかりとアピールしなければ飯も食べられないのだ。

 与えられるものを受け取ると言うのも案外難しいものなのである。


 ある日のことだった。

 某は坂を登っていた。

 その先には、某のお気に入りの水場があるのだ。

 気分良く坂を登っていると、坂の上に某と同じ猫がいるのが見えた。


 彼奴も水を飲みに来たのだろうか。

 そんなことを考えながら横を通り過ぎようとする。

 その時である。


 彼奴は某の足を掬い上げ、そのまま転ばせたのだ。

 思い出して欲しい。

 ここは坂の上だ。

 ここで転んだら、どうなるかは明らかだ。


 某は坂を転げ落ちた。

 この下は深い谷になっていて、落ちたら二度と上がることはできない。


 某は必死に地に爪を突き立てようとする。

 だが、その努力は虚しく、爪は空を切るだけだった。


 某は谷に落ちる。

 坂の上で、彼奴が蔑む様な笑みを浮かべているのだけが見えた。


 何とか身を捻り、地へと着地する。

 谷の下は真っ暗だった。

 だがそこにもかなりの数の猫がいた。


 某の様に他の猫に突き落とされた者、誤って落ちた者、自ら落ちた者。

 様々な猫がいた。


 そこは端的に言えば地獄であった。

 食べ物も少なく、飲み水ですら限られている。

 噂で聞いた所によると、ある猫の集団がそれらを独占している所為で、更に不足しているらしい。

 どんな所にもその様な輩はいるものだ。


 そのためだろうか、この世界では全てが力によって決まる。


 力を持つものは何だって出来る。

 殺しをしたとしても揉み消せる。


 力を持たざるものは何も出来ない。

 ただ、全てを奪われ、ボロ雑巾のように投げ捨てられるだけである。


 そして、この地獄の様な世界には皮肉にも、元の世界に戻る手段がある。

 時折、上から猫が糸を垂らしてくれることがあるのだ。


 ただ、猫というものは気まぐれである。

 途中まで引き上げてそのまま放置したり、助かると思わせて、途中で糸を切ったりする輩もいる。

 結局、救いというのは幻想であり、この世界から逃避することは殆ど出来ないのである。


 某には幸いにも、多少はその様な世界で生き抜く術を持っていた。


 生きるだけの力はあった。


 死に物狂いで働き、何とか食い物を手に入れるそれが出来た。

 それは、文字通り死に物狂いであった。

 失敗すれば、すぐに消されるのだから。

 物理的にも社会的にも。


 それでも某はある程度恵まれていた。

 ある程度は生き延びられたのだから。

 だが、所詮はその程度だったのである。


 北風が身に染みるとある日のことだった。

 某は、荷物の運搬をしていた。

 これを相手のところまで運ぶのだ。

 それで飯が貰える。


 中身は知らないが、あらゆる猫が欲しがるものらしい。

 慣れたもので、裏道をスイスイ進んで行く。

 ふと出口に猫が居るのが見える。

 こんな所にいる猫は珍しい。

 横をサッと通り過ぎる。


 そういえば、ここに落とされた日も、こんな日だった。


 首に痛みを感じる。

 ふと見ると、血が出ていた。

 そのままその場に崩れ落ちる。

 喉を掻き切られていた。


 あの猫が某の喉笛を掻き切ったのだ。

 彼奴は、某が運搬していた荷物を盗り、そのまま走り去っていった。


 嫌なニヤけ笑いをしながら。


 某は考える。

 何が間違っていたのかと。

 この様な仕事を引き受けたのがだろうか?

 いや、仕事がある時に働かなくて、いつ働くというのだ。

 ただでさえ仕事が少ないというのに。


 元はといえば、あの猫に落とされた所為だ。

 あの日にあの場所に行ったのが悪かったのだろうか。

 いや、あの猫の動作は手慣れていた。

 いつかは絶対に鉢合わせになっただろう。


 では何を間違ったのだろうか。

 ぼんやりとした頭で考える。


 おそらく、何も私は間違っていなかったのだろう。

 こうなったのは運命、そして世界というものが狂っていた所為である。

 それが全ての元凶なのだ。


 運命という名の道が捻れ曲がり、世界という心理が歪んで、狂っていたからこそこうなった。

 そうに違いない。


 だが、同時にこうも思うのだ。

 運命や世界が狂っているのではなく、我々が狂っているのではないかとも思うのだ。


 つまらぬことに一喜一憂し、理想ばかりを追いかけ、現実を見ない。

 効率よりも非効率を大事にし、矛盾をそのまま受け入れる。


 こんな合理的ではない行動ばかりをしていて、狂っていないとは言えないだろう。


 結局のところ、狂っていたのは我々なのだ。


 目が霞んできた。

 自分の命の終わりというものを感じる。

 最後に誰にというわけでもなく、呟く。


「某は、狂気猫であった。」


 目を閉じる。

 願わくば、次の生は狂気に満ちていないように。







 某は、猫である。


 某は、というものに生を狂わされた猫である。


 某は、狂っている、という名の猫である。

 この話は全て、人間の話である。


 所詮、お天道様の様な絶対的な存在から見た我々など、猫の様なものなのである。


 






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