第10章 崩れた部屋②


(どのくらい、こうしてたんだろう)


ふとスマホを見やると、もう夜中の12時をまわっていた。


──そのとき。


ぽん、と控えめな音がして、LINEの通知が届く。

画面には湊の名前。


(え……?)

驚きながら開く。


《今日はやっぱり泊まりになりそうだよ(汗)ごめん(泣)ご飯は食べた?っつってもカップしかないか(謝)》

《俺は今日は力つける為に熊の肉を食ったよ!》

《明日仕事だよね?俺帰れないかもだから、気にせず仕事行ってきてね!》


(……熊の肉?)


思わず眉をひそめる。明らかにおかしな内容だ。

けれど、愛子はもう、いちいち驚くこともしなくなっていた。


(湊が元気そうなら、それでいい……)


心のどこかで、そんな風に思ってしまっている自分に、うすく苦笑する。


(返信……してみようかな)

(馬鹿みたい?いや……いいよね)


迷いながらも、スマホを握り直して、愛子はキーボードを打ち始めた。


【わかったよー。うん!カップ麺しかなかった!ダメだよ、こんなものばっかり食べてちゃ!あ、でも今日は熊?食べたんだっけ?スゴ!】


自分でも、なんてちぐはぐな文章を書いているのかと少し呆れる。


でも──。

(それでも、繋がっていたい)


送信ボタンを、そっと押した。

本当に返信が来るのか少し不安だったが、愛子はベッドに横たわる湊に、また小さく笑いかけた。


すぐにまた、ポン、と通知が鳴った。

《そう!俺が仕留めた熊!体力はめっちゃ回復するし、パワーゲージも上がるんだ!》

《あ、ごめん!また狩りに行かなくちゃだから行ってくる!先寝ててね!》


(ふふ……)


思わず愛子は笑ってしまう。


(湊、あっちでの仕事は……狩人?)


想像する。弓を背負い、森を駆ける湊の姿。現実では想像もできないような、たくましい姿を。


(……すごいじゃん)


胸の奥に、あたたかくも、かすかな寂しさがにじんだ。


愛子はスマホを握り、そっと返信する。

【わかったよーお仕事頑張ってね!先に寝るね!おやすみ】


一呼吸、間を置き──

【大好きだよ】

──送信。


静かな部屋の中、画面の光だけが、そっと愛子を照らしていた。


湊は、返事をくれるだろうか。

それとも、もう──。


そんな不安と、それでも信じたい気持ちを胸に、愛子はそっとベッドに潜り込んだ。

湊の匂いの残る、あたたかいベッドに。


朝6時。

愛子はふっと目を覚ました。

──習慣だ。

まだ薄暗い部屋の中、となりにいる湊を見つめる。


(……まだ起きないか)


と、鳴り出すスマホ。慌てて手を伸ばし、画面を確認する。


「湊……?」

思わず呼びかけるが、返事はない。アラームだった。


小さくため息をつき、ベッドに腰をかけた。

仕事に行かなくちゃ──。

ちらりと湊を見る。


(……大丈夫かな)


──実際には、何も食べていない。せめて、水分だけでも摂らせたい。


そう思い立ち、愛子はキッチンへ向かった。

ペットボトルを取り出し、念入りに洗う。そこに新しい水を汲み、静かに戻る。


恐る恐る、湊の上半身を抱き起こす。ごく軽く、ペットボトルの口を彼の唇にあてた。


最初は、反応がなかった。慎重に、少しずつ口の中へ水を流し込む。


……むせないように。

……苦しくないように。


すると──

湊が、かすかに反応した。

わずかに喉が動き、水を吸い込むように飲み始める。 


(……もしかして)


「湊?」

小さな声で呼びかけるが、やはり返事はない。

それでも──


湊は、あっという間にペットボトル1本分の水を飲み干した。


愛子はその様子を見守りながら、胸の奥に、かすかな安堵を感じていた。


しばらく、愛子は湊の顔をじっと見つめていた。その表情は、どこか幼く、穏やかだった。


(……大丈夫。きっと、大丈夫)


そう自分に言い聞かせるように、愛子は小さく息を吐いた。そして、意を決したように立ち上がる。


「仕事、行かなきゃ……!」


慌ただしく身支度を整えた。

バッグを肩にかけ、玄関へ向かう前に、もう一度ベッドの脇にしゃがみこむ。


「行ってくるね!」

湊に明るく声をかける。

「終わったらすぐ帰ってくるからね!」

ほんの一瞬、ためらう。けれど、きっぱりと笑顔を作り、


「バイバイ! 行ってきまーす!」

小さく手を振り、愛子は部屋をあとにした。


心配な気持ちをぐっと押し込み、責任感の強い彼女は、足早に職場へと向かっていった。


* * * *


『ミナト』は、熊の巨体を打ち倒し、その皮を剥いでいた。剥がれた毛皮の下には、真っ白な脂肪と、真っ赤な筋肉が露わになる。


――旅人を襲う凶悪な熊がいる。しかも三兄弟らしい。


村人たちに頼まれ、討伐を引き受けた。


頼られている。俺は頼りになる漢(おとこ)なんだ。


軽く炙った熊の肉にかぶりつくと、不思議と体中に力が満ち、胸の奥から自信が湧き上がる。

熱い血が全身を巡り、気分が高揚する。


そのとき――

ふと、頭の奥にかすかな違和感がよぎった。


(ん?そういえば、愛子がいたような……?)


周囲を見渡す。木々のざわめき、風の音、遠くに鳴く鳥の声。だが、この世界に愛子はいない。


(ああ、そうか。現実でうちに来てたんだっけ)


ようやく記憶の断片がつながった。


思い出すと、不意に連絡を取りたくなった。ミナトはバングルフォンを操作し、指先でメッセージを打ち込む。


《今日はやっぱり泊まりになりそうだよ(汗)ごめん(泣)ご飯は食べた?っつってもカップしかないか(謝)》


《俺は今日は力つける為に熊の肉を食ったよ!》


《明日仕事だよね?俺帰れないかもだから、気にせず仕事行ってきてね!》


送信を終えたその瞬間、バングルフォンがLINEの受信を知らせた。


《わかったよー。うん!カップ麺しかなかった!ダメだよ、こんなものばっかり食べてちゃ!あ、でも今日は熊?食べたんだっけ?スゴ!》

思わず口元がほころぶ。ミナトはすぐに返した。


《そう!俺が仕留めた熊!体力はめっちゃ回復するし、パワーゲージも上がるんだ!》


《あ、ごめん!また狩りに行かなくちゃだから行ってくる!先寝ててね!》


返送した直後、繁みの向こうに揺れる黒い影を捉えた。


ミナトは戦斧(せんぷ)を握りなおし、ひとつ深く息を吐く。


あと二頭――

三兄弟と呼ばれる熊の残り。今目の前にいるのは、おそらく一番下の個体。

上の二頭は、きっとそれ以上に手強い。


(でも、やってやる)


胸の奥に静かに燃える決意。頼れる漢だから。皆だって、愛子だって、俺が守らなきゃいけないんだ。 


   *   *   *


激闘の末、ミナトは残り二頭の熊も討ち果たした。戦いが終わった頃には、夜がすっかり明けていた。


さすがに、疲労と喉の渇きが限界に達している。しかし、負った傷も、肉を食えばすぐに癒える。


問題は水だった。


腰につけた水筒を振る――空っぽだ。

(……仕方ない。水、買うか)


ゲーム内ショップで課金して水を買おうと、手を伸ばしかけたその瞬間。


――不思議と、喉の渇きがスッと引いていった。

(……なんだ?)


違和感を覚えながらも、深く考えずに拠点へ向かう。


村に着くと、討ち取った三頭分の熊の毛皮を、どさりと村人たちの前に放り投げた。


「全部、仕留めた。」


そう一言だけ告げると、村人や仲間たちはは歓声を上げ、口々に感謝の言葉を叫び始める。


報酬として、金貨と食糧、そして温かい手作りのマントが渡された。


(……大丈夫だ。俺は、ちゃんとやれてる)


そう、どこか深い場所で自分に言い聞かせるように。

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