母に捨てられた日と母を捨てた日

広川朔二

母に捨てられた日と母を捨てた日

雲ひとつない青空だった。冬の終わり、冷たい風のなかにもかすかな春の匂いが混じりはじめていた。


私は父の葬儀の帰り道、実家の鍵を鞄の奥から探しながら、うっすら濡れたドアノブを見つめていた。出棺の時にだけ降ったにわか雨、まるでドラマみたいだと参列者の誰かが呟いていた。


父の死は突然のものではなかった。長く病院通いをしていたし、医師からも「覚悟を」と告げられていた。


けれど、心のどこかでまだあの人は台所でコーヒーを淹れていて、私が玄関を開ければ「おかえり」と顔を上げてくれる気がしていた。


鍵を回すと、わずかに重たい音がしてドアが開いた。たまに父の着替えをとりに帰っていたが、もうここに父がいることはないと思うと、いつもとは違う部屋の匂いに感じてしまう。埃と、乾いた木の香り。少しだけ懐かしいのに、どこか遠く感じる。

 

リビングのカーテンを開けると、日差しが差し込んできて、部屋の中に舞う埃が金色に光った。私はため息をついて、上着を脱ぎ、手帳を取り出す。


“実家の整理:一週間”——そう自分に言い聞かせるようにメモしていた。


私の名前は綾乃、三十歳。夫と、二歳になる息子と三人で暮らしている。この家には、私と父のふたりで暮らした記憶しかない。


母の記憶は、正直ほとんど残っていない。けれど、ひとつだけ強烈に覚えている日のことがある。


あれは、私が八歳の春先だった。

その日は、父と母と遊園地に行く約束をしていた。ピンクのリュックを背負って、お気に入りのスニーカーも履いて、前日の夜からわくわくしていた。


けれど翌朝、母は突然姿を消した。

代わりに、泣きはらした目の父が、無理に笑おうとして「今日は行けなくなっちゃったんだ、ごめんな」と言った。


その晩、父は私を膝に乗せてこう言った。


「母さんは出ていったんだよ。お父さんがダメだから、嫌になっちゃったのかもしれないな」


悲しい顔で、それでも私に泣かせまいとするように微笑んでいた父の顔が、妙に頭に残っている。何かを飲み込んだような、静かな諦めの顔だった。


それからは、ずっと父と二人だった。不器用で、家事も下手で、口下手な父だったけど、いつもまっすぐに私を見てくれた。運動会の弁当は冷凍食品ばかりだったけど、毎年欠かさず応援に来てくれた。誕生日には、少し焦げたスポンジのケーキにいちごを乗せて二人で「世界一だ」と言って笑った。


私は、あの人に育てられた。

そして今、母になって、やっとわかることがある。


子どもを捨てていくなんて、どうしてできるの?


私はふと、仏壇に手を合わせると、居間の棚の中を開け始めた。写真、手紙、電気料金の古い領収書……。父が残したものを、一つずつ整理していく。そして、ふと奥から出てきた小さな鍵付きの箱に気がついた。


箱の横にはメモ用紙が一枚——“綾乃へ”と、父の癖のある字で書かれていた。


心臓が、少し早くなる。


鍵はすぐに見つかった。引き出しの中、細い紐にくくられた小さな銀の鍵。私は静かに箱を開けた。


そこには、一冊の日記帳と、二つの封筒が入っていた。

日記帳の表紙には、こう書かれていた。


——記録として、残しておく。綾乃が大きくなったとき、真実を知るべきだと思うから。


私は、その場に膝をついたまま、日記を開いた。日記を開いた瞬間、紙のにおいと一緒に、父の声が聞こえた気がした。


日記の一ページ目から私にとってとても衝撃的な内容だった。


【美沙子の様子がおかしいと思ったのは、綾乃が小学校に入学してすぐのことだった。頻繁に外出するようになった。理由を聞いても“ママ友と”としか言わない。違和感はずっとあった。だが、疑いたくなくて、気づかないふりをしていた。】


なんだか嫌な予感がして日記を横において封筒の中身を確認した。数枚の資料と、紙で綴じられた調査報告書があった。


表紙に書かれた名前——「明誠探偵事務所」。

報告書の表題は、あまりにもはっきりしていた。


《対象:加賀美美沙子 行動調査報告》


手が震えそうになるのを押さえて、私は書類をめくった。ページには写真が添えられ、時系列で詳細な行動記録がまとめられていた。


——昼間、既婚男性・岩井俊哉(当時37歳)と密会。

——喫茶店での会話内容:「子どもがいなければもっと自由になれる」

——複数回、岩井氏の自宅に宿泊。

——夫に無断で、岩井氏と不動産会社を訪問し、新居の下見を実施。


目を疑った。けれど、写真は嘘をつかない。少し粗い画質とはいえ、母の笑顔ははっきりと写っていた。その横で、スーツ姿の男が肩に手を置き、親しげに寄り添っている。


【最初は怒りよりも、悲しみだった。俺のどこが足りなかったのか、何がいけなかったのか。でも探偵の報告を読み終えたとき、思った。これはもう、人として間違ってる。綾乃を裏切った。“子どもがいなければ”そんなことを言う人だとは思っていなかった。】


【冷静に思い返せば、赤ん坊の綾乃が転んだ時も美沙子は一拍置いてから駆け寄らなかったか?どんな時も俺よりも後に行動していた】


私は次に、もう一つの封筒を手に取った。「桜川法律事務所」のロゴ。中には、A4用紙数枚のコピーが丁寧に綴じられていた。


内容は、父が母に対して正式に離婚調停を申し入れた記録だった。父が母と離婚調停を始めたのは母がいなくなってしばらく経ってのことだった。


弁護士とのやりとりの記録には、こう書かれていた。


——「娘には一切会いたくない。養育権も親権もいらない。」

——「子どもを連れていかなくていいなら支払う慰謝料は増額してもいい」

——「養育費は払うつもりはない」

——「結婚生活はすでに冷めており、夫との生活には何の愛情もない」

——「子どもよりも、今の生活を守りたい」


綾乃という名前は、書類上ではただの“子”という記号に置き換えられていた。まるで家具か荷物のように、要・不要を選り分けられているようだった。


私は、日記を再び開いた。父の筆跡は次第に乱れ、感情を抑えきれなくなっているのが見て取れた。



「何度も聞いた。“本当に、綾乃と二度と会いたくないのか?まだ小学生だぞ。お前の娘だぞ”でも、美沙子は“もういらないのよ。あんたの面影がある子なんて嫌なの”と言った。それで、決まった。俺が綾乃を育てる。この子をあんな母親の元に行かせるわけにはいかない」


手が止まった。冷たい鉄のような感情が、胸の奥からせり上がってくる。怒りでも、悲しみでもない。それは、“吐き気”に近い嫌悪だった。


私は息子——蓮の顔を思い浮かべた。


まだ言葉もうまく喋れないけれど、毎朝ぎゅっと抱きついてくるあの小さな手。おかあさん、と泣きながらすがってくる声。昨日は「ちがう、れんの!」とバナナを独り占めして泣いていた。


あんな風に、笑ったり泣いたり、目の前で息づいてるあの子を。


置いていく? 捨てる? 何の痛みもなく?


ありえない。そんな女が、母だったなんて。


私は、報告書と日記帳を並べたまま、長い時間、動けなかった。父は、たった一人で私を育ててくれた。母、美沙子は、自分の欲望のために私を切り捨てた。


あの日の「遊園地」は、ただのすっぽかしじゃなかった。母は、もうその時点で“私を捨てる決断”をしていた。そう、あの日は、約束を破られた日じゃない。母に捨てられた日だった。


行き場のない怒りと悲しみ、失望。初めて抱く感情を押し込めるように、私は静かにすべての書類を元の箱に戻した。





父の四十九日が終わった頃、一通の電話が入った。


「ご無沙汰しています。……葬儀でお会いした、父上の旧友の西田です」


静かな、年配の男性の声だった。葬儀のとき、名刺を受け取った覚えがあった。父の学生時代の友人で、ずっと年賀状のやりとりをしていたという。


「突然で申し訳ないのですが……ある方が、綾乃さんに“会いたい”と」


少し間があった。私の脳内で、嫌な予感が広がっていく。次の言葉を聞くまでもなかった。けれど、聞いてしまった。


「……美沙子さん、あなたのお母さんです」


胸の奥が、ぐっと冷たくなった。


「会いたいと? 今さら?」


「はい……彼女、最近病を患って入院する予定でして。その前に……一目でいいからと」


「……」


しばらく沈黙した後、「ご迷惑をおかけしました」と言って電話を切った。スマートフォンを置いた手が、しばらく動かなかった。


都合がよすぎる。どの面下げて、私に“会いたい”などと言えるのだろう。何が“病気だから”だ。自分が不安になったから、今さら捨てた娘にすがるの?


滑稽だった。でも、それでも、私はメールアドレスだけを伝えることにした。一言、言ってやりたかった。


——私は幸せなんだと、あなたがいなくても幸せに暮らしてきたと。


数日後、メールが届いた。




差出人:加賀美美沙子

件名:ごめんなさい


綾乃へ


このメールを読んでくれてありがとう。

突然こんな連絡をして、ごめんなさい。

あなたのことを、ずっと気にしていました。

でも、どうしてもあの頃は心がいっぱいで、正しい判断ができなかった。

弁解しても許されないと思う。


今、私には何もありません。

岩井さん、お父さんと別れた後に再婚した人とは数年前に別れました。子どももいません。


もし許されるなら、あなたに会いたい。

できれば、孫にも……一目でいいから、会いたい。


母より




……母?


虫唾が走るという表現が、これほど当てはまる瞬間があるだろうか。このメールは、まるで同級生に謝っているような軽さだった。「許されるなら」「一目で」——自分が何をしたのかを、ちゃんと理解しているとは到底思えなかった。


私はしばらく返信せず、ただそのメールを見つめていた。


それから数日後。息子の蓮が、私の頬を引っ張って「おかあしゃん、えがお!」と笑ってきた。小さな手。小さな声。小さな命。


この子を——捨てる?


改めて思った。あの女は母なんかじゃない。ふざけるな。


私はスマホを開き、返信した。




会いましょう。

日時:三月十八日(日)午前十時

場所:夢が丘遊園地 正面ゲート前




そう、あの日——私が八歳だったあの春の日——母と一緒に行くはずだった遊園地。ピンクのリュックを背負って、朝から準備していたあの場所。


私はスマホを置いた。心の奥で、少しだけ波が引いたように感じた。


そして、当日——


私は、行かなかった。息子と夫と三人で動物園に出掛けた。空は、あの日と同じように、雲ひとつない青空だった。


私はスマホを開き、短い一文を作成した。




あなたがやったことです。




そして、送信。すぐにメールアドレスを削除した。元々あの女に教えるためだけに作成した捨てアドだ。まるで何もなかったように戻った瞬間——私は、少しだけ息がしやすくなった。


これでいい。


あんな女は、私の人生に、必要ない。


私の復讐は、怒鳴ることでも、泣くことでも、許すことでもなかった。


ただ一言、事実を突きつけるだけだった。


「あなたの選んだ結果で、こうなったのだ」と。


何かを期待していたわけではない。ただ、ずっと心の奥にこびりついていた“わたしは捨てられた”という感情に、名前をつけてあげたかった。


それを「他人の選択の結果」として、私はようやく切り離すことができた。


春の終わり、私は蓮と一緒に公園へ出かけた。

手をつないで、桜の花びらが舞う中を歩く。


「ねぇおかあさん」


「なに?」


「僕のおばあちゃんって、一人しかいないの?」


一瞬、足が止まりそうになった。けれど、笑って答えた。


「うん。……会えないの。遠いところに行ったからね」


蓮は「ふーん」とだけ言って、タンポポを見つけて走り出した。彼には、私の過去も、私の怒りも、なにも関係ない。だからこそ、この子にはもう、何も背負わせたくなかった。


私はしっかりと手を握って、育てていく。


母のことを思い出すことは、これからもあるだろう。でもそのたびに、私は思う。


あんな女は、私の人生に必要ない

私は、ちゃんと幸せになった。

母がいなくても、私はちゃんと生きてこられた。


いや——


あの人がいなかったからこそ、私はこうして幸せになれたのかもしれない蓮が笑う。小さな靴音が芝の上で跳ねる。春の空に、風が通り抜けていった。

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