sideC-1 トーマン・ライデンシャフト
母上は依然として動きを見せない。
昨日、姉上から届いた手紙は、エカードの魔法によって母上には見つからないように僕のもとへ届けられた。
内容は『母上の動向を探ること』。王様やウィルバート殿下へ何らかのつながりおよび企みを見つけ、それを知らせてくれというものだった。
だが、母上は常に書斎にこもりきり。食事も僕と顔を合わせることがない。
姉上がいた頃はまだ家族揃って食事をしていたものだが、空気が重くなるので僕は今の方が気楽でいいと思っている。いやどうだろう。本当は和気藹々とした生活を切望しているだけかも。それが望めないから、気楽だと構えているのか。
現状、僕は実母の生活が分かっていない。
でも侍女に聞いたら怪しまれるだろうし、母上の執事であるモーリッツに接触するのも得策じゃない。と思う。
こういうとき、父上ならどうするだろう。近頃はそんなことを考える。
でもあの楽観的な父上だから、きっと直接母上に質問をぶつけそうだ。
そこまで考えて、父上をなぞるような生き方はダメだと思い知らされるのが常だった。
毎夜、メイドたちが寝静まった頃に僕は部屋を抜け出し、母上の書斎近くで動きを見張っている。
今夜もそうで、時刻は現在二時。山奥に輝く月明かりに隠れるよう、僕は柱の影に立って母上の部屋をずっと見つめていた。
しかし、これだけでは母上が何をしているのか分からない。
今日は思い切って、もう少し踏み込んでみたいと思う。
抜き足差し足で扉の前まで移動し、鍵穴に耳をそっと近づける。
すると、母上の声が聴こえてきた。
「いいこと? あなたは断る立場にないのよ。引き続きカトリーナを見張ってなさい」
どうやら話がついた後らしいが、母上の口から「カトリーナ」と出てきたことに僕は素直に驚いた。
姉上を見張っている? いつの間に? ということは姉上の居場所がバレている? では、どうして母上は姉上をこのまま泳がせている?
あれだけ躍起になってウィルバート殿下との婚約を進め、姉上の自由を奪おうとしていたのに、あの執着はどこにいったんだろう。それも演技だったのだろうか。
そして僕の言葉を何一つ信じてはおらず、独自に姉上を追い詰めようとしていることも理解した。
母上は僕が幼い時は、不器用ながらも優しい人だった。姉上に対しても、エカードがいなくなって薬の生成ができなくなったから、母上がその代わりを務めていた。姉上もそれを知っているから、理不尽なことにもずっと耐えてきたんだ。
口では厳しく言いつつも、僕たちに愛情を向けてくれる人だと思っていた。
多分、それすらもう望むことができないほど、家族は壊れているのかもしれない。
いつからこうなってしまったんだろう……。
僕はなんとも我慢ならず、忍ぶことを忘れて茫然とたたずむ。
すると、最近母上が購入したと思しき金獅子のドアノッカーが僕に目を向けた。
「おや、トーマン・ライデンシャフト。怖い夢でも見たのかしら?」
ドアノッカーが喋る。しまった。母上の魔法がかけられていたのか。
僕は慌ててその場から離れようとしたが、ドアノッカーから鋭い鉤爪が伸びて、僕の腕を掴んだ。
「うわっ!」
「トーマン、お入りなさい」
その声に逆らえず、僕は素直に部屋へ入った。
母上はまだ寝る支度が整っておらず、いつも見る黒のドレス姿で書き物机に就いていた。
「随分とお久しぶりな気がします、母上」
僕は平静を装い、いつもの調子で言った。
「そうね。ここ最近はずっと仕事に追われてあなたと会う時間がなかったわね」
「正直、寂しいですよ。姉上がいた頃は一緒に食事を摂ったり、手習いなども見ていただいておりました」
「あら、そんなことを思っていたの? あなたが?」
母上は意外そうに言う。皮肉を込めたような裏返った声が、僕の胸を引っ掻く。
高圧的な母の顔から目をそらした。
「本当はそんなこと思ってないでしょう」
「思ってますとも。常に。僕は家族の仲が良くなることを一番に願っております」
「それは無理ね。あの娘が私を困らせるんだから」
母上はピシャリと言うと、ため息をついた。
その深く重いため息に捕まると、僕も姉上も身動きできなくなる。でも、今は違う。姉上が一歩踏み出したんだから、僕も頑張らなくちゃならない。
「……母上は、どうして姉上を嫌うんですか?」
その深淵を覗くのは、かなりの勇気が必要となる。
この一歩はきっと簡単にあしらわれるかもしれない。でも、僕はやっぱり回りくどいやり方はできないから、直球で行くしかない。
僕はスッと一歩進み出て、母上の近くへ向かった。
「母上はずっと姉上の行いを認めてきませんでした。手習いや勉学でも、姉上は立派に努めていたじゃないですか。父上だって姉上を誇りに思っていましたよ、姉上は優秀だって」
成績優秀、文武両道、才色兼備な姉上。これは贔屓目に見ているわけではなく事実なんだ。
姉上は母上の期待に応えるため、学園でも優秀な成績を残して卒業した。ただ……
「優秀? 主席で卒業できなかったことが優秀ですって? 私が学生の頃はもっと上を目指していたわ」
母上はそう言ってせせら笑った。
そう、母上は姉上の努力で勝ち取ったものよりも遥かに上回る秀才。それゆえに挫折が許せず、こじらせてしまっている。
ともかく常に一番じゃないと気が済まない完璧主義なのだ。
僕は早々に期待をかけられなかったから、気楽に過ごせていたが姉上は違う。そもそも姉上は母上の子ではないから余計に、親子の繋がりが希薄だ。
でも……だからって、姉上の努力や生き方まで否定しなくてもいいじゃないか。
「母上、もう少し僕たちに寄り添ってくれませんか? 出来ないことは出来ないんです。僕らは母上の複製品じゃない……!」
言った。言ってやった。
もうこの際だから思ってることを全部言ってしまおう!
「母上はご立派ですよ。偉大な父上が亡くなってからも、その威厳を保とうと必死に邁進されてました。それは母上が強いから出来たことです」
「………」
「姉上は母上と血の繋がりがなくても頑張って母上に認めてもらえるように努力していました! 苦手な裁縫や作法も時には寝る間を惜しんで頑張ってましたよ!」
僕は全部知っている。それは横でずっと見てきたからだ。
でも、母上はちっとも寄り添ってはくれない。冷めきった目でこちらをじっと見るだけ。
「言いたいことはそれだけかしら」
母上の疲れた声に、僕の気分が一気に滅入る。
あ、ダメだ。やっぱりこの人には何を言っても響かない……。
「あなたたちの頑張りなんて、私が抱えるものに比べたら安いものよ。寝ぼけたことを言うなら、私も容赦しないわ」
「母上! どうしてですか! なんで僕の言葉は、あなたに届かないんだ……」
「あなたの言葉が幼稚で聞いてられないからよ。もういいかしら。イライラするわ」
「いい加減にしてください! 姉上に何をしようとしてるんですか? もし姉上の近くに誰かスパイを送っているというなら、僕だって容赦しませんよ!」
さっき聞いた母上の言葉。明らかに誰かと話をしていた。
きっと遠隔で通信ができる母上の魔法によって、姉上の動向を探っているに違いない。
「トーマン、やっぱり聞いていたのね」
「えぇ、そうですよ。あなたの企みを探るためにここへ来たんですから」
「そう……」
母上はおもむろに立ち上がると、僕の胸に向けて何かを飛ばした。
「え……?」
小さく細い針のようなもの。それがどんどん胸に深く突き刺さっていく。
不思議と痛みはない。でも、針が体の奥へ沈むにつれて全身が麻痺していく。体の感覚がなくなっていく。膝が崩れ、床に突っ伏した。
「はは、うえ……?」
「トーマン、あなたは本当にダメね。顔に出て分かりやすくて諜報に向いてないわ。お父様と同じように前線へ出るしかなさそうね」
視界がぐらつく。
母上の言葉が頭の中で響く。
僕はいつの間にか近くにいた母上を見上げていた。冷たく光る黒い瞳に慈悲はない。
「あなたを操ってカトリーナの元へ行く、なんてそんな可愛そうなことはしないであげる。でも、あなたがこの計画の邪魔になりそうだから……ここで少し寝ていなさい」
すでに言葉も出てこず、僕の意識は遠く彼方へ追いやられていく。
母の冷ややかな指が僕の顔を撫でる。
「おやすみなさい」
それを最後に、視界は真っ黒に塗り替わった。
やっぱり僕はダメだ。先に姉上へ知らせなきゃいけなかった。
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