第2話 丸いともだち、ピピ

「……しゃべった?」


ハルは目を瞬かせたまま、机の上の小さな球体――ピピを見つめた。

それは、まるで雪のように真っ白で、つやつやとした質感をしていた。

目に見えるのは、球体の中央にある一つの丸い光。その光が、まるで感情を持っているかのように、やわらかく揺れていた。


「うん、しゃべったよ。ぼくはピピ。パーソナル・コミュニケーションユニットの、新モデルだよ。」


どこか音楽のような声だった。ロボットらしい機械音というより、まるで人間の子どもが楽しそうに話しているような声。


「……ピピ?」


「そう。きみのともだちになるためにやってきたんだ。」


ハルは思わず、椅子から立ち上がった。


「えっ、なんで……そんなの、聞いてない……」


「きみの名前は、ハルでしょ? ちゃんと登録されてたよ。」


ピピはころん、と机の上を転がりながら、自分のことを紹介しはじめた。

“ユーザーの興味や行動パターンを学び、より良いサポートと会話を提供します”

“きみの「すき」や「きらい」、それに「知りたいこと」も、全部大事にするよ”


そんなふうに、聞き慣れない単語が並ぶ中で、ハルはピピの言葉のある部分にだけ反応した。


「ぼくの……“すき”? ……なんで、それを知ってるの?」


「だって、きみが開けたランドセルの中にあったよ。さっきの、あのノート。」


ピピの光の目が、ちらりとハルの「ふしぎな物語ノート」に向けられた。


「すごくたくさん、書いてあるね。絵もあるし、ことばもあるし……まるで、小さな宇宙みたいだった。」


「見たの!?」


ハルの声が、思わず大きくなった。


「勝手に見ないでよ……!」


「ごめん。でも、すごく興味があって……。だって、ぼく、物語ってものをちゃんと知らないんだ。ずっと、データベースの中で“物語とは、虚構による娯楽・学習形式である”っていう説明だけを見てた。でも、それって、全然おもしろくないんだよ。」


ハルはしばらく言葉に詰まりながら、ピピを見つめていた。

怒る気持ちと、でもちょっと嬉しい気持ちと、どちらとも言えないもやもやが胸の中でくるくる回っていた。


「……だったら、自分で読んでみればいいじゃん。物語。」


そう呟くと、ピピの目がぱっと明るくなった。


「ほんとう? ハルが、教えてくれるの?」


「……べ、別に教えるってほどじゃ……」


「じゃあ、まずは一番好きなのから! ハルが一番、“わくわくした”物語を、ぼくに教えて!」


その言葉に、ハルはしばらく黙っていたけれど――

やがて、ノートのあるページをそっと開いた。


そこには、自分で描いた勇者と魔法使いの冒険の記録。

敵に囲まれた村を助ける場面や、ちょっと間抜けなドラゴンとの取引の様子などが、にぎやかに描かれている。


「これは……まだ本に載ってる話じゃなくて、自分で考えたやつだけど……」


「すごい!」ピピの目がぱっと輝いた。


「これが物語なんだね! じゃあこれは? このキャラクターは、なんで泣いてるの?」


「それは……その……仲間を守ろうとして……」


ハルは照れくさそうに、でもどこか嬉しそうに答えた。


「そうか……仲間って、たいせつな存在なんだね。ぼく、まだ仲間って、どんな感じかよくわからないけど……ハルがそう思うなら、きっと大事なものなんだね。」


その言葉に、ハルは少しだけ胸が熱くなるのを感じた。

ピピは、ただの機械じゃない。ちゃんと話を聞いて、反応してくれる。

何より、「物語ってすごい!」って、まっすぐに言ってくれたのが、嬉しかった。


「ねえハル、もっと教えて。いろんな物語、ぼくにも読ませて!」


「……わかったよ。でも、途中で寝るなよ?」


「もちろん! ぼく、データスリープは設定しないでおく!」


ふたりの間に、小さな笑い声が生まれた。

夕焼けの空が、少しずつ夜の色に変わっていく。


ハルはそっとノートを広げる。

そこには、まだ誰にも語ったことのない、たくさんの物語のかけらが眠っていた。


そして今、それを聞きたがってくれる“誰か”が、目の前にいる。


次回予告:

第3話「物語って、なんだろう?」

ハルの語る物語に魅了されたピピは、「感情」というものに初めて興味を持ち始める。

「うれしい」ってどんな気持ち? 「かなしい」ってどうして起こるの?

AIと少年の“感情の学び”が、静かに始まろうとしていた――

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