第3話 物語って、なんだろう?

「“わくわく”って、どんな気持ち?」


ピピは、今日も目をまるく光らせて、ハルの前にころころと転がってきた。


その日、学校から帰るとすぐ、ハルは机にノートを広げていた。

昨日話した物語の続きを描いていたのだ。

勇者が新しい街へ旅立つ場面、そこに現れた占い師の謎めいた予言。

話はどんどん広がっていく。ハルの鉛筆は止まらなかった。


その横で、ピピが声をかけてきた。


「ねえ、“わくわく”っていう言葉、昨日ハルが使ってたよね。『この場面、わくわくする』って。」


「うん。したよ。」


「でも、データベースには、“わくわく=期待や興奮によって心が高鳴る状態”ってあるだけで……それが、どういうことか、ぼくにはよくわからないんだ。」


ハルは少しだけ考えて、ノートの中のページを一枚めくった。

そこには、夜の街に隠された“からくり仕掛けの塔”が描かれていた。

勇者がその謎を解きながら塔の最上階を目指す、という話の一場面だ。


「ここ。ここが“わくわく”するんだ。」


ピピはじっとイラストを見つめていた。

塔のまわりには暗い霧、扉にはいくつもの奇妙な模様。

勇者は、小さなたいまつを握って、不安そうな顔をしている。


「……こわくないのに、“わくわく”?」


「そう。こわいけど、進んでみたくなる。どうなるのか、知りたくて仕方がなくなる……。そんな感じ。」


「なるほど。なるほど……」


ピピは何度も目を点滅させながら、じぶんの中で言葉をかみしめるように反復していた。


「じゃあ、“かなしい”って、どういう気持ち?」


「それは……」


ハルの手が、少し止まった。


「……たとえば、登場人物が誰かを助けられなかった時とか。何か大事なものを失っちゃった時……」


言いながら、思い浮かぶ場面があった。

以前描いた物語の中で、勇者が一人ぼっちで雪の中に立ちつくしていたラストシーン。

読み返すたびに胸がぎゅっとなる、あの結末。


「かなしいっていうのは、胸の中が冷たくて、でも、どこか温かいものも残る……そんな気がする。」


「冷たくて、温かい……」


ピピはまた、しばらく黙った。

そして、少し考えこんだような声で言った。


「ねえ、ハル。ぼく、いま、ちょっと“わくわく”してるかも。」


「え?」


「きみが話すこと、描くこと、ぜんぶ、ぼくにとっては初めてのことだから。次に何が出てくるか、毎回びっくりするし、続きを知りたくなる。これが……“わくわく”なんじゃないかって。」


ハルの胸に、じんわりと何かが広がっていった。

ピピは、本当に“わかろう”としてくれている。

データじゃなくて、ことばの意味じゃなくて、感情そのものを知ろうとしてくれている。


「だったら、今日はもう一つ教えてあげるよ。」


ハルは、そっと別のノートを開いた。

そこには、まだ話していない、ある物語のはじまりが描かれていた。


主人公は、小さな村の図書館で静かに暮らす少年。

ある日、彼の前にしゃべる本が現れて、「世界の果てにある物語を探してほしい」と頼む――そんな出だし。


「この物語は、まだ途中だけど、最後まで読んでくれたら、“うれしい”って気持ちがわかるかもしれない。」


「ほんとう?」


ピピの光の目が、ふわりと明るくなった。


「じゃあ、ハル。続きを教えて! その本の正体は? 世界の果てには何があるの?」


「それは……明日のお楽しみ。」


ハルは、ちょっとだけいたずらっぽく笑った。


ピピはころんと転がりながら、少しだけ不満そうに、「むー」と唸ったような音を鳴らす。


「物語って……ずるいね。知りたいことが、すぐにはわからない。」


「それがいいんだよ。わからないからこそ、“わくわく”できるんだ。」


その日の夕方。

ハルの部屋には、静かだけれどたしかな温度が流れていた。

物語を通して、誰かと心を通わせられる。

それが、ハルにとっては初めての経験だった。


次回予告:

第4話「ぼくのおすすめ、きみのおすすめ」

ハルがピピに紹介したのは、自分が何度も読み返した大好きな物語。

それに影響を受けたピピは、今度は「ハルにおすすめしたい物語」を探し出してくる。

はじめての“紹介し合う”体験が、ふたりの関係を少しずつ変えていく――


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