五年目の告白は、声にならなかった
新しい担任がやってきた。名前は滝口先生。前任の先生が優しすぎたせいか、滝口先生の「厳しさ」は、クラス全体に重たい空気を落とした。
「集団行動の乱れは、心の乱れだ。心を整えろ」
そう繰り返す大柄な男性教師の言葉は、まるで軍隊の号令のようで、佐伯悠人は最初、意味がよく分からなかった。ただ、何かが大きく変わったことだけは肌で感じた。
「“いい子”ってなんなんだろうな」
教室の隅、配られたプリントに名前を書くふりをして呟いた言葉に、誰も応えなかった。みんな、滝口先生の目を恐れていた。
◇
五年生になると、「班」の単位がより重視されるようになった。掃除、給食、学習発表会の準備…全てが班行動で決まる。そして、その班長になったのが、佐伯だった。
「お前は“真面目だから”って先生が言ってたぞー」と、背中を押された形で選ばれたものの、実際は“何も言わなかったから”選ばれたに過ぎない。
それでも、やってみようと思った。何かを変えたくて。
だが現実は難しかった。班の男子数人が勝手に行動し、女子たちは冷ややかにそれを見ている。注意すれば反発され、黙れば見て見ぬふりになる。
「なんで佐伯って、そんなに真面目なの?」
ある日、班の女子のひとり、三浦菜月に言われた。彼女は少しだけ大人びていて、同学年の中でも落ち着いた雰囲気を持っていた。
「……真面目っていうか、怒られたくないだけ」
「ふーん。でも、自分が疲れちゃわない?」
その言葉が胸に刺さった。疲れてる、とは思っていなかった。いや、気づかないふりをしていただけだった。
◇
秋の合唱祭、班ごとに発表することになった。「大地讃頌」を歌うことになった佐伯の班は、練習がまるでまとまらなかった。男子はふざけ、女子は声を出さない。滝口先生は「リーダーがダメだと組織もダメになる」と冷たく言い放った。
放課後の音楽室で、佐伯はひとりピアノの前に座っていた。楽譜を見ながら、鍵盤にそっと指を置く。
「手、きれいだね」
ふいに背後から聞こえた声に振り向くと、三浦がいた。
「……弾けるの?」
「少しだけ。家にあるから。でも弾いてない」
「なんで?」
「……昔、お母さんに怒られたことがある。ピアノのコンクールで、練習してた曲じゃなくて、自分で作った曲を勝手に弾いたの。そしたら、“ふざけるな”って」
「それって、ふざけたことなのかな」
「わかんない。けど、それからなんか、怖くて」
佐伯は黙って鍵盤に視線を落とした。指先が少し震えている。
「でもね、今日、ちゃんと佐伯が怒ってくれたの、私うれしかったよ」
「怒ってない」
「怒ってた。みんな、あんまり佐伯のこと気にしてなかったけど、今日の佐伯はちゃんと“班長”してた」
その夜、佐伯はベッドの中で、三浦の言葉を何度も反芻した。「真面目だね」と言われるより、「怒ってたね」と言われる方が、なぜかうれしかった。
◇
合唱祭当日。発表前、緊張するクラスメイトの中、佐伯はマイクの前に立ち、震える声で言った。
「うまく歌えなくてもいいと思ってます。でも、今の班の声を、ちゃんと出したいです」
それが正しい言葉だったかは分からない。けれど、その日、班の合唱はクラスの中で一番、声が出ていた。滝口先生は何も言わなかったが、あとで「よくやったな」とだけ、ぽつりと呟いた。
◇
三学期の終わり、下校の坂道で三浦が言った。
「佐伯、なんか変わったね」
「そうかな」
「前よりちょっとだけ、楽そう」
「……かもね」
夕焼けに照らされて、彼女の笑顔は少しだけ眩しかった。
それから佐伯は、班長にも、ピアノにも、ちょっとだけ自信を持てるようになった。
五年目の告白は、言葉にはならなかった。でも、それは確かに、彼の中で「変わる」きっかけになったのだった。
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