いついつでやる

「全く、もう下校時間過ぎてるぞ?」


 松田は一人の少年の手を引いて、暗い廊下を歩いていた。


「深夜に学校探索かぁ……先生も子供の頃憧れたんだよねぇ。もしかして、七不思議を確かめに来た?」


 少年は青ざめた顔で首を横に振る。その目線は頭上にある松田の顔ではなく、奥から手前へと流れていく床を見ていた。頬を冷や汗が伝い、心臓の鼓動は五月蝿い程に高鳴る。


「じゃあ、忘れ物でもしたのか?いつも言ってるだろ、宿題は連絡ノートに書いておけって。先生が今日残業だから良かったけどな、深夜の学校ってのは意外と危ないもんなんだよ」


 呑気な声も、少年の耳には届かない。ただ彼の脳内は生存本能が支配して、どう逃げるかしか考えられない状況にあった。


「実はな、先生残業の時には息抜きに巡回してて。七不思議の起こるところは全て見たけど、何もなかったよ。だから、友だちにも言っておいてくれ」


 松田はポケットに手を突っ込んで、銀色に光る物体を取り出した。立ち止まり、少年の手を強く握りしめる。

 憐れむような目で、少年を見下ろした。


「殺してごめんなって」


 万力のように外れない手から逃れようと必死に藻掻く少年。暴れる彼を落ち着かせるために、松田はやや強く腕を振る。だが少年は抵抗を止めない。

 少年は腕に噛みついた。「痛っ」と松田は手を離してしまい、振り解いた少年は近くにあった消火器を投げつけて逃げた。


「ゲホッ、ゲホッ」


 消火器の中から出てきた白い粉が煙幕の役割を果たし、松田の視界を塞ぐ。


「……もー」


 煙が晴れる頃には、少年は彼の視界から居なくなっていた。



 ✻ ✻ ✻



 少年はひた走る。ただ現実から目をそらすため、死から逃げるため、皆に伝えるため、日常へと戻るため。

 どれが理由かは定かではない。だが、彼はただひたすらに、無我夢中に、がむしゃらに、廊下を走った。

 目指す先が何処かは最早分からない。自分が助かるために、喘ぐように酸素を貪る。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ―――あぁっ!?」


 何かが足に引っかかり、少年は顔面から床に倒れた。

 泣きたくなる気持ちを必死に堪え、歯を食いしばりながら立ち上がる。


 背後を振り向いて、躓いたものに目線を向けた。

 

「――っ!?」


 少年は絶句する。

 彼の視界に映っていたのは――二人の女子の死体だった。胸元から血を流し、突っ伏すように倒れている。辺りには血溜まりができて、醜悪な鉄の臭いが漂っていた。


 彼は絶望する。途端に生への渇望も消え失せて、魂が抜けたようにその場に立ち尽くした。

 紺野と朝霧。女子トイレの前で松田に殺害された二人だった。


 彼が呆然としていたその時――


「ぁ゛」


 カエルが潰されたような声が、血で満たされた喉から絞り出される。

 首には後方から飛来したハサミの刃が深々と刺さり、大量の鮮血が溢れ出していた。

 彼の肢体は脱力し、ドサッと音を立て彼女たちの遺体の上に倒れた。頸動脈から流れ出た血が全てを紅く染め上げる。


「やれやれ、若い子の体力にはついていけないよ」


 遥か遠くに立ち、ため息混じりに呟いたのは、圧倒的投擲力でハサミを投げ彼を殺した、松田の姿だった。



 ✻ ✻ ✻



一人死亡


女子トイレ前――木ノ下

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