よあけのばんに

「七不思議。それは、ある地域や場所において起こる不思議な七つの事柄を指す語。日本では古くから説明のつかない現象を七つ一まとめにして七不思議と称する文化があり、現代においては非科学的で眉唾物の話も多いが、実際に確認されているものもあります。江戸時代に怪談として広がり、現代では都市伝説として知られていることが多いですね。有名なもので言えば――」

「はいはい、もうわかりました」


 暗い廊下を、手に持つ懐中電灯の光と窓から差す月明かりを頼りにしながら歩く少年と少女。

 止め処なく知識を吐き出す少年は、適当そうに話を遮った少女の反応を見てやや不満そうな顔をする。


「なんですか、こういう知識は知っておいて損はありませんよ」

「いつ使うのよ、そんなの。それより普通に勉強したほうが遥かに実用的でしょ?」

「ふん」


 おもむろに、少年は胸ポケットから小さな手帳を取り出した。少女は手に持った懐中電灯を手帳に向けて、ページに書いてある達筆な字を目で追う。


「あと、三つくらい?」

「『理科室の毒ガス装置』、『デキソコナイ様』、『パンデモニウムの絵画』と『開いてはいけない辞書』は回りましたからね。後は『赤い視聴覚室』と『音楽室の四重奏カルテット』、『職員室の神隠し』です」

「じゃあ次は視聴覚室だね」

「そうですね、ここから近いのですぐに辿り着くでしょう」


 二人はまた歩き出した。少女は懐中電灯を前方へと向け、少年は胸ポケットに手帳を仕舞う。

 二人が向かうは視聴覚室。七不思議『赤い視聴覚室』とは、常設されているパソコンのうち特定のものを使いプロジェクターを投映させると、画面が赤く染まりフリーズし、やがて電源が落ちるという奇怪な現象である。使うべきパソコンもプロジェクターの使い方も理解できている少年は、その怪奇現象を起こすことが出来るのだった。


「でも、いくら夜の学校って言ってもさ。少しは誰かと会ってもいい頃じゃない?私たち、結構いろんな場所回ってるよね」

「不思議なほどに、誰とも遭遇しませんね。確率論的には偶然で収まる程度の現象ですが」

「まーたそういう哲学がどうのこうの」

「科学は無限大ですよ」


 軽い口喧嘩を交わしながらも、二人は仲良さそうに閑静な廊下を進み、視聴覚室の前まで無事に辿り着いた。


「ここですね」


 ガラガラと戸をスライドさせる。部屋の中には大きなホワイトボードに、陳列された机と椅子。そしてコードに繋いである何台ものパソコン。

 一見何の変哲もない視聴覚室ではあるが――真っ暗故に、何処か不気味さが増す。


 少年は真っ直ぐに目的のパソコンへと近づいていく。少女もその後ろを慌ててついて行き、不気味さに怯えながらも行く末を見守っていた。

 ――そして、彼がキーボードに触れようとしたその時だった。


「あれ、どうしたの?二人とも」


 視聴覚室の外からそんな声が聞こえてきた。とても聞き慣れた、男性の声。二人は恐る恐る入り口の方を振り向く。

 そこにいたのは、手ぶらでドアから顔を出す松田だった。

 彼は部屋の中に入ってきて立ち止まり、諭すように語りかける。


「こんな遅い時間に視聴覚室に。もしかして、忘れ物?先生も一緒に探そうか?」

「いえ、結構です」


 一見優しく暖かい申し出に、少年は鋭い目つきで松田のことを睨み即答した。その反応に、松田の顔に浮かんでいた笑みが消える。


「おかしいですね」

「おかしいって、何が?」

「何もかもですよ。まず、この真っ暗な視聴覚室で光源も無しに外から僕たちを見つけられるはずがない。いくら廊下側にも窓があるとは言え、パソコンの電源も付けていないのに誰かいるなんて、察せるものなんですかね」

「物音がしたからね」


 冷たい言い方で語り始める少年。それに対し松田は、飄々とした態度でのらりくらりと追及をかわす。


「それに、県の条例でこの時間帯の教職員の残業は禁止されているはずです。理由が何にしろ、先生がここにいていいはずがありません」

「巡回だよ、巡回。今日はいつもの警備のおじさんが休んでてね、先生が代わりをすることになったんだ」


 少年は、松田を睨みつけながら小さな声で背後にいる少女に声をかけた。


(合図をしたら反対側のドアから出て、全速力で校門まで走ってください)

(え、でもそれじゃ――)

(僕は大丈夫です。何とか振り切ってみせます)

(うん、わかった。頑張って)


 蚊の鳴くような小声と目線で会話を成立させる。少年は再び松田に向き合って、話を続けた。


「最後です。先生、そのシャツに付いた赤いモノはなんですか。暗い中でもよく分かりますよ、まさかケチャップだなんて言わないでしょうね」

「――やっぱり見えちゃってたか。これでも洗って落として、隠せるところは隠してたんだけどな」

「僕たちが人と出会わなかったのも、それですか。やはり飛沫血痕。先生、一体何したんですか」

「…………」


 少年の指摘に言い逃れは出来ず、松田はやや俯いて沈黙し始めた。

 ここで少年はこっそりと右手を後ろへと回し、少女の腕を軽く叩いた。と同時に少女は駆け出し、背後にあったドアを開け廊下へと逃げ出した。


「あっ――」

「先生、相手はこっちですよ」


 少年は松田を翻弄するかのようにその小柄な体躯で机の間を縫い、上手く誘導して松田が入ってきた出口から脱出。その後、少女とは反対側の方向へと全速力で駆け出した。

 松田はその様子を見て鼻で笑うと、袖口からハサミを取り出して両手に携え、少年を追いかけ始めた。



 ✻ ✻ ✻



 少女は走る。後ろを振り向かずただ本能が突き動かすままにひた走り、何事もなく児童玄関へと辿り着いたが、鍵が閉まっていた。

 焦燥に駆られるが、一同足を止め冷静になって物事を考える。深呼吸によって脳に酸素が行き渡り、恐怖もやや希釈され正常な判断が出来るようになってきた。


「落ち着け、私。ここから出るには――」


 !マークが頭に浮かぶ。少女は踵を返し、近くの窓によじ登った。鍵を開け、窓を開ける。

 夏の夜の涼しい風が頬を撫でた。少女は地面へと飛び降りて、砂を踏みしめ走り出した。

 もう既に、校門は目の前だ。だが、彼女はだんだん減速していく。


「閉まってる……」


 いや、今度も登ればいいじゃないか。そう思った彼女はまた走りだし、校門へとしがみついた。

 だが、何故か足をかけられない。ガラスを踏んでいるかのように、ツルツルとつま先が滑る。目の前に透明な壁があるかのように、自分が登るのを拒んでくる。


 途方に暮れた彼女は、校門の横にしゃがみこんだ。何らかの力によって、この学校から出られない。そう理解した彼女の心は絶望に支配された。


 と、そんな時。彼女の口を、誰かが後ろから塞ぐ。突然の出来事に恐怖がぶり返し、暴れる少女。だが、すぐに耳に届いた声で抵抗を止めた。


「宇佐木ちゃん、落ち着いて」


 彼女――宇佐木の口を塞ぎ引き寄せたのは、彼女の親友である薬師寺だった。

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