2話 ハリケーン
放課後。
帰り道でイチローは、
スマホを忘れていることに気付いた。
「はーまじかー」
ありえない失態にため息をつきながら、
来た道を戻ることにする。
スマホばかり見ていた視線をうえにやる。
そこには、
1万トンはありそうな雲の塊が浮かんでいた。
「わぁ」
大きいなぁ。
思わず立ち止まっていたイチローの後ろから、
どんっとぶつかってきた人がいた。
「ちっ!」
するどい舌打ちの音が聞こえてきたので、
急いで振り向いたら、近くに背の低いじいさんが立っていた。
「すみませんっ」
イチローはあわてて道のはしっこに寄り、
頭を下げた。
何か言われるかと思ったが、
じいさんは片手を上げると歩いて行ってしまった。
「・・・」
気マズいなぁ。
イチローはボウゼンとしたまま立ち尽くす。
ふと、
光を乱反射させる川面が眼差しに触れてきた。
「・・・あ」
ここって、
川があったんだ。
かれこれ1年以上も通っているのに、
道の横に川があるなんて知らなかった。
きっと、
いつもスマホばかり見ていたせいだろう。
ゆるやかな上り坂を終えると、
校門が見えきた。
放課後の陽明高校には、
いろんな音があった。
サッカー部のかけ声。
野球部がバッドで白球を打つ音。
テニス部のボールが跳ねる音。
ダムダムとバスケ部がボールを床につく音。
音はどれも、必死でなにかにぶつかり、
なんど倒れても立ち上がろうとする音だった。
校舎に落ちるイチローの影は
いつもより黒くて長い。
何だか落ち着かなくて、
足早に歩いていく。
きっと、
スマホが手元に無いせいだ。
きっとそう。
イチローはうつむいたまま教室に入り、
はたと足を止める。
自分の席の前に、
ひとりの女子が立っていた。
ホオズキみたいに
顔を赤くさせた頼子だった。
交わった視線が
カランコロンと左右に揺れる。
「ごめんなさい」
大粒の涙が教室におちた。
カバンを持ち上げた頼子が
イチローの脇をすり抜けていく。
フワリと浮かんだスカートから、
ちょっとした気流が生まれた。
だがその気流は、イチローにとって、
トツゼン目の前に現れたハリケーンのようだった。
フゴゴゴォォと暴風が吹きすさぶ。
スカートハリケーンが
イチローの『わかめスープ』をぶちまけた。
「・・・わっ!」
目の前に広がった景色は輝いていて、
イチローは太陽でものぞき込むように目を細めた。
見て、感じて、考えていた。
どれだけの時間、
そこに突っ立っていただろう。
「なんだよ・・・なんだよぉ・・・」
他の誰もいなくなった教室で、
イチローはつぶやいていた。
別に、誰かに予言されるような素晴らしい
人生を歩みたいわけじゃない。
誰かに尊敬されたり、羨ましいと思われたり、
そんな大それたことを望んでいるわけじゃない。
だけど。
これまでのイチローはただ生きているだけで、
何の物語も抱いていなかったかもしれない。
怒りでも、悲しみでも、悔しさでもない。
ひなたに浮かんだカゲのような感情が胸をつきさす。
やがてイチローは、
あの舌打ちがじいさんのものではなかったと気がついた。
つまりこの瞬間、
「・・・ちくしょう」
イチローはひとりの男になっていた。
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