第一章:卒業式と最初のエラー

 卒業式を終えた学校は、静けさとざわめきが混在していた。


 体育館での式が終わると、クラスメイトたちは慌ただしく着替え、校庭や教室、下駄箱前で記念撮影に興じていた。あちこちでシャッター音が鳴り響き、制服の第二ボタンをめぐるやりとりや、笑い声、涙混じりのハグ──それぞれの別れが、無数に交差していた。


 けれど、渡瀬悠希は、その輪の中にいなかった。

 彼は、体育館裏の古びたベンチにひとり腰掛けていた。


 薄く汗ばんだ手の中には、黒い筒に入った卒業証書とスマートフォン。画面には、たった今開いたAIアシスタントのインターフェースが浮かんでいた。


 「人生の進路についてアドバイスをください」と入力したが、返ってきたのはどこかで見たような一般論だった。


 > AIアシスタントより:ご自身の価値観、興味、長期的な目標を踏まえて選択を行うことが望ましいです。


 悠希は無意識にため息を吐いた。わかってる、そんなこと。でも、それが曖昧だから訊いてるんじゃないか。まるでAIは、人間の“迷い”に正面から向き合うのを避けているかのようだった。


 ──進学か、就職か。

 AI専門学校か、地元のロボット工場か。


 親は進学を望んでいる。先生は「どっちでもいい」と言った。けれど、どちらにもピンと来ていない自分が一番困っていた。どちらも選べるからこそ、選べない。進んだ後で後悔する気がして、怖かった。


 風が、少し強く吹いた。春の風というにはまだ冷たい、季節のはざまの風。


 そのとき、スマホが小さく震えた。

 通知の音とともに、画面がフリーズする。タップしても反応しない。やがてインターフェースがバグを起こし、アイコンが画面の端で点滅を繰り返した。


 「……またかよ」


 最近、スマホに入れていたAIアシスタントが不調だった。音声認識が鈍ったり、意味のない返信をしたり。今日のような大事な日に限って、こうして使い物にならない。


 仕方なく再起動しようとしたとき──背後から、低く落ち着いた声がした。


 「……そのアプリ、言語処理が壊れてるな。おそらくは、キャッシュが膨れすぎたか、学習履歴がループしてる」


 振り向くと、そこには今朝も校門の外に立っていた老人がいた。白髪交じりの髪、落ち着いたスーツ。左手には、なめし革の手帳。背筋が伸びていて、目の奥に光がある。


 「……あの、どちら様ですか?」


 声が少し震えた。どこか圧があるのだ。教師でもなく、保護者でもない。だけど、“場違い”とは思えない存在感があった。


 「橋本昭三。君には、今朝も会ったろう。校門の外で」


 そうだった。卒業式前、ちらりと目が合ったあの人。


 「それ、APIで外部とやりとりしてるやつだろ。こういうタイミングでフリーズするのは、“使い方”じゃなく、“設計”が悪いんだよ」


 悠希は思わず聞き返した。「設計……?」


 橋本は悠希の隣に腰を下ろす。春の風が再び吹き、舞い上がる桜の花びらが彼の肩に触れた。だが、彼はそれに気づく様子もなく、続けた。


 「情報は、過去の集積だ。AIはそれをベースに最善を出そうとする。だがな、“今ここ”にいる君の気持ちは、どこにもデータがない。そこにギャップがある限り、AIは“正しいけど、使えない”答えしか出せないんだよ」


 悠希は、目を見開いた。さっき、まさにそう感じたことを、この男は言い当てた。


 「君、進路に迷っているだろ。AIに訊いてるくらいだ。だけど本当に必要なのは、“正しい答え”じゃなくて、“選んだあとでも間違いにしない力”だ」


 しばらく言葉が出なかった。

 スマホは沈黙したまま、画面を暗くしていた。


 「……どうして、そんなことを言うんですか?」


 「……かつて、私もAIに未来を任せかけたからさ。いや、正確には“任せすぎて、失った”んだな」


 橋本はゆっくり立ち上がった。

 そして、懐から名刺を差し出す。古びたロゴに、こう書かれていた。


 > HashiTech相談役 橋本昭三


 「もしよければ、私の工場を見に来ないか? 機械と人間が、どうやって一緒に働いてるか、見せてやる」


 悠希は名刺を受け取った。その手はわずかに震えていた。


 卒業したその日に、誰かに未来の“別の選択肢”を提示されるとは思っていなかった。


 その夜、家に帰った悠希は、スマホのAIアシスタントを削除した。


 検索では、未来は見つからない。

 でも、誰かと出会えば、そこに“選ぶ勇気”が生まれるかもしれない。


 そしてそれは、卒業ではなく──「再起動」の始まりだった。

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