AIと青春と、始まりの春

Algo Lighter アルゴライター

プロローグ:未来は、検索できない

 風が止んだ瞬間、ひとひらの桜が悠希の肩に舞い落ちた。

 それはまるで、「今、このときだけが、やり直せる」と告げてくれるようだった。


 都立青蘭高校の校庭には、春の光が満ちていた。体育館から吐き出されるように出てきた卒業生たちは、緊張から解き放たれた笑顔で、仲間と写真を撮り合い、冗談を飛ばしながら未来の話をしていた。制服の第二ボタンを差し出す者、スマホで「#卒業式2025」の投稿に夢中な者。泣く者と、笑う者。まるで今が“未来”のスタート地点だと信じきっているように、誰もが前を向いていた。


 けれど、渡瀬悠希の足は、そこから少しだけ離れたベンチに止まっていた。

 ひとりで、誰とも話さず、スマートフォンの画面を見つめている。


 スクリーンには、AI専門学校からの「合格通知メール」と、地元のロボット工場からの「採用内定通知」。二つの通知が、まるで選択肢AとBのように並んで、彼の未来を静かに迫っていた。


 どちらも、間違いじゃない。

 でも、どちらも、自分の未来かどうかはわからない。


 「進学してAIを学ぶ」──憧れていた道だ。高校3年の夏、生成AIのAPIを独学で叩いて、機械学習モデルを友達と競い合った。答えのない世界が面白かった。どれだけ学んでも、まだ知らないものがあるという感覚が好きだった。


 でも、だからこそ、不安だった。

 日進月歩の世界。今日覚えた技術が、明日には古びる世界。そんな場所で、何かを“積み上げる”ことが、本当にできるのか?


 「働きながら学ぶ」──実利的な選択肢だ。生活費も出るし、現場で学べば肌感覚でAIが“どう使われるか”を体感できるだろう。でも、それが“夢を先延ばしにしている”ような気もした。追いかける側から、追われる側になるような……どこか悔しい選択肢にも思えた。


 どちらを選んでも、後悔する気がした。

 どちらも、正解の顔をした不正解に見えた。


 ふと、画面から目を離し、顔を上げたその瞬間だった。


 校門の外。人気の少ない石畳の上に、ひとりの男が立っていた。

 白髪が交じる髪に、濃いグレーのジャケット。ワイシャツの袖口は少し擦り切れているのに、全身からただよう雰囲気は、どこか異質だった。


 まるで、自分だけ時間の流れが違う場所にいたかのように。


 男は手に分厚い手帳を持ち、指先でページをめくっていた。だが、顔は本ではなく、悠希の方を真っ直ぐに見ていた。その目は、誰にも気づかれないような微細な迷いを見逃さないような、研ぎ澄まされた眼差しだった。


 「……迷っている顔だな。機械じゃなくて、人間の顔だ」


 初めて聞く声なのに、どこか懐かしさを感じる声音だった。


 悠希は一瞬、返す言葉を失った。誰だ、この人は。何を知っている? なぜ、こんなタイミングで、こんな言葉を投げかけてくる?


 その瞬間、頭の中のノイズが消えた。スマホの通知音も、クラスメイトの笑い声も、遠ざかっていく。まるでこの男のひと言が、世界の解像度を変えたようだった。


 「……誰ですか?」


 ようやく絞り出した声に、男は口角を上げた。


 「橋本。橋本昭三。昔は工場をいくつか持っていたが、今は、君たちの未来に興味があってね」


 その名を、悠希は聞いたことがあった。10年ほど前まで家電メーカーの再建に関わり、「最後の昭和型経営者」と呼ばれた実業家。新聞で読んだはずだ。けれど今目の前にいる彼は、そんな肩書きでは収まらない、もっと強い“現実感”をまとっていた。


 「君に、ちょっと話がある。未来の話をしようか。……AIじゃなく、人間が語る未来だ」


 桜がまた、ひとひら、悠希の足元に落ちた。


 この日、この瞬間、この出会いが、渡瀬悠希の人生を静かに“再起動”させた。


 未来は、検索できない。

 だからこそ、自分の足で、選ばなければならないのだ。


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