私も一緒に語り継ぎたい

 百年と少し前、木原きはらはるみと小野田おのだともかの物語は、偶然のようで必然のように世界へと残された。そして、あの日、「先人たちをしのぶ館」で二人を見つめていた少女・中屋なかや英万えまは、今では嶺北学院大学で「生物考古学」を専門とする研究者となっていた。


 彼女の研究室の壁には、一枚の古びた写真が飾られている。ガラスケースの前で手を合わせている、幼い自分の後ろ姿が写っていた。


 デスクには、論文の草稿。仮のタイトルはこうだった。

『存在の保存と記憶の倫理――木原はるみ・小野田ともか二体の文化的意味』


 英万は静かに深呼吸し、文章を読み返す。かつて、誰もが一瞬の「命の終わり」として通り過ぎてきた死の瞬間。けれど、誰かが「忘れなかった」からこそ、その物語は未来の命を灯すことができた。


 彼女はこう書いた。

「保存された肉体が示すのは奇跡ではなく、『想いの連鎖』である。科学技術や防腐処理の結果に加えて、人が誰かを忘れたくなかったという祈りの集積が、形を保つ理由なのかもしれない」


 英万は執筆の手を止め、窓の外を眺める。研究棟の外には、桜の若木が風に揺れていた。この木は、はるみとともかがかつて眠っていた土地から移植された桜だ。その枝に、小さな花が咲いていた。彼女は、机の引き出しから一冊の本を取り出した。『木原はるみの物語』。そのページの端には、子どもの頃に鉛筆で書いた跡が残っている。

「この人たちは、死んでも友達でした。」


 あの日の作文の一節。まだ拙い文字が、涙の跡で少しにじんでいる。彼女は微笑んでつぶやいた。

「私も、あの二人に出会って、ここまで来たんだね」

そのとき、ふと、研究室の空気がやわらかく揺れた気がした。まるで、誰かがすぐそばで見守っているような。


 その瞬間、彼女の耳に、淡い声が響いた。

『ねえ、ともかちゃん。見て、あの子、大きくなったね』

『うん。はるみちゃん。あの子はもう『私たちの続きを生きてる』んだよ』

優しい、透明な声。木原はるみと小野田ともか。今は『存在の向こう側』で、穏やかに微笑んでいる。


 英万は涙ぐみながら、研究ノートを閉じた。そして静かに立ち上がり、博物館に行って展示室へと足を運んだ。展示ケースの中、二人の優しい寝顔は相変わらずそこにあった。柔らかな照明が、二人の頬をやさしく照らしていた。そして、はるみの胸の上のリボンが今なお誇らしげに見えた。


 彼女はそっと手を合わせてささやいた。

「はるみさん、ともかさん。あなたたちのこと、これからも語り継ぎます。『命』という言葉が、生きる人の形を超えることを証明したいから」


 一陣の風が吹いた。光が、ガラスの内側でふっと揺らめいた。それはまるで、二人がうなずいたように見えた。


 その日、英万は新しい研究計画書を書き上げた。そのタイトルは、彼女らしく、静かで真っすぐだった。

『百年後の春に――記憶を生きる人々へ』

未来の誰かがまたこの物語を見つけ、次の百年に受け渡す日を信じて。


 はるみ、ともか、陽向ひなた葉音はのん、そして英万。五人が生きて過ごしたいくつもの時代を超えて紡がれた『想い』は、死でも時間でも断ち切れない、人の連なりを描き出し続けた。


「存在とは何か」、「記憶とは生の続きなのか」、その問いは、きっとこれからも静かに読み継がれていく。


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行けなかった卒業式 数金都夢(Hugo)Kirara3500 @kirara3500

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