第37話《反転する読者》――読んでいるのは誰か、読まれているのは誰か

《前書き》


あなたが本を読んでいるとき、

本もまた――あなたを読んでいる。


本章では、読者と登場人物、語り手と被語り手、

その境界が“読み崩される”。



《本文》


白紙の本は、いつの間にかページで満たされていた。

インクではなく、“黒い光”で綴られた文字列。

あなたが読もうとすると、それはまるで意思を持つように、順序を変え始める。


読み始めたのは第1章のはずだった。

だが、気がつくと、ページにはあなた自身の記憶が記されている。


――8歳のとき、母が夜中に泣いていた。

――16歳のとき、嘘をついて人を傷つけた。

――あの人を、心のどこかで恨んでいた。


あなたはページを閉じようとする。

だが本は閉じない。

まるであなたが“最後まで読む”ことを、強制しているかのように。


そのとき、背後で音がした。

振り返ると、一人の老婆が立っている。

深い緑のローブに身を包み、瞳の奥がまるで“木の年輪”のようだった。


「読みなさい。これはあなたの人生ではない。

あなたが無意識に読んできた、“他人の断片”の集積よ」


老婆は本を開き直し、あるページを指差した。


『彼女は、あなたの読者だった』


「え?」とあなたが問いかけた瞬間、記憶が反転する。


かつて出会ったあの女性。

名前も知らない。けれどどこか懐かしい。

彼女は、あなたが語ったすべての物語を“黙って読み続けていた”存在だった。


あなたは語っていたのではない。

読まれていたのだ――ずっと、誰かに。


「物語とは、“書くこと”ではなく、“誰かが読むこと”で完成する。


だが読者が“登場人物になったとき”、物語は自己を超えて進化する」


老婆が消える。

あなたは“あの白紙の本”をもう一度見つめる。


するとページの端に、こう記されていた。


『読者は今、この本を閉じようとしている。だが――それを許すかは、森が決める』


天井のない空間に、木々が生え始める。

文字が枝となり、記憶が葉となる。


漆黒の森は、あなたを読む。

そして、あなたが読んできた“すべての物語”を――再構成し始める。



《後書き》


漆黒の森とは、あなたの心ではない。


それは――あらゆる読者の記憶の交差点であり、


あなたの人生を読み直そうとする無数の眼差しの集合体。

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