第38話《森は名を持たぬ》――“漆黒”と呼ばれる以前の物語

《前書き》


森に名が与えられる前、

そこにはただ、“記憶の原型”があった。


本章では、「漆黒」と命名された瞬間が何を切り捨て、

何を偽装したのかを、

読者である“あなた”とともに辿る。



《本文》


《光》が、森の名であった時代がある。


いや、正確に言えば、それは名ですらなかった。

「名を持たない森」――そう呼ばれていたのは、誰もその場所を理解できなかったからだ。


そこは、記憶と記憶の隙間に浮かぶ“精神の回廊”。

人が「生まれる前に見た夢」や、「死ぬ瞬間に想い出す光景」が滞留する場所。


そこに、“名前”をつけた最初の人物がいた。

彼の名は記録に残っていない。ただし、その記憶は残っている。


それは、現在のあなたに酷似した輪郭をしていた。


彼は言った。


「この森は、漆黒だ。なぜなら、見たいものしか見えないからだ」


その瞬間、森は――初めて“名を持った”。


漆黒の森(The Forest of False Clarity)

表層に見えるのは「闇」だった。

だがその実、そこには「最も明るい真実」が隠されていた。

あまりにも眩しすぎて、誰にも直視できなかったからこそ、

人々は“その光を闇と呼ぶ”しかなかったのだ。



【森に封印された“名前”の痕跡】


時代を越え、異なる時空の“読者たち”が森を訪れるようになった。

ある者は戦時中の兵士。

ある者は愛を失った女性。

ある者は未来の仮想都市から逃げ出してきた少年。

ある者は、あなた。


彼らは皆、口を揃えて「闇に包まれていた」と語る。


だがそれは、彼らの記憶が“光に耐えられなかった”ために、

無意識に“暗闇”というフィルターをかけたにすぎなかった。



【“あなた”という主人公は存在しない】


この森の構造は奇妙だ。

読み進めるほど、あなたの視点がぼやけていく。


今、読んでいるあなたは本当に「最初にこの物語を読み始めた人」だろうか?

あるいは、別の誰かの続きを、いつの間にか“代読”しているにすぎないのでは?


ページの裏に、誰かの名前が微かに刻まれていた。


“記述者ゼロ。

この者、書き始めず、終わりも知らず。

すべての始まりにいて、すべての読者を観測する存在。”


そして、ラストページに近づくにつれて、あなたはある疑問を持ち始める。


「この物語は誰のものだったのか?」



《後書き》


「漆黒の森」とは、名づけられた瞬間に“真実を偽装する装置”となった。


だがその前の名なき時代には――

人々はただ、“理解できぬまま、心で見ていた”。

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