第5話 記録されなかった人生たち

【前書き】


世界には、“存在しなかったことにされた人々”がいる。

彼らの物語は歴史の頁から漏れ、誰の記憶にも残らなかった。


だが、彼らは今も、森を彷徨っている。

誰にも見られぬまま、名も持たず、ただ……“記録”を待っている。



【本文】


■ 静寂を裂いた、少女の声


「あなた、名前がないの?」


エイレンは振り返る。

そこにはまた、少女がいた。


……いや、“同じ姿”の少女。

だが、前とは違う。目の色が違う。話し方も違う。


「わたしは“記録者”。あの子は“忘却者”だったの」


そう言って、少女は朽ちかけた紙束を取り出した。

そこには、人間の名前がびっしりと書き連ねてあった。


 ──記録されなかった名

 ──抹消された誕生日

 ──誰にも語られなかった声


「ねえ、エイレン。

この森にいる人たちって、何かに**“ならなかった”**人たちばかりなんだよ」



■ “記録されなかった者”の劇場


少女が指を鳴らすと、森の奥に一軒の“演劇小屋”が現れた。


中に入ると、時代も文化も異なる人々が、それぞれの舞台に立ち始めた。

• 昭和初期、出征の朝に名乗らぬまま消えた青年

• 江戸末期、女医になる夢を禁じられた少女

• 戦火のヨーロッパ、恋人の名を日記に書くことすら許されなかった兵士

• 近未来、記憶改竄装置のバグで家族の記録から除外された少年


彼らは、舞台の上で語る。だが、観客はエイレンひとりしかいない。


「なぜ……?」


「これはね、あなたの記憶と“リンク”してるの」


少女は淡々と語る。


「あなたが“見ようとしなかった人々”が、こうして再構成されてるの」



■ “君が見ているもの”は本当に外の世界か?


エイレンは座り込む。

彼の目の前に映るのは、次第に舞台の光景ではなくなっていく。


それは過去の断片。

彼が学校で無視した子供。

通勤途中、倒れていた老婆に声をかけなかった日の朝。

過去に切った誰かとの電話。


「これ……は……」


少女は静かに言う。


「あなたは何度も“漆黒の森”に来てるの。

毎回、違う名前で、違う顔で。でも、“逃げてきた”ってことだけは、いつも同じ」



■ 新たな登場人物:「訪問者:黎(くろ)」


舞台にもうひとりの観客が現れる。

黒いスーツ。笑顔だが目は笑っていない。


「君、面白いね。まだ“自分自身を知らない”。

でもそれが、正しいのかもしれない」


彼は“この森で生まれ、この森で死に続けている”という。


「ここには終わりなんかないよ。

だって“誰かの心”だっていうのは、あくまで比喩にすぎない。

この森そのものが、“記憶を宿す場”なんだから」


そして彼は、ひとつの質問を投げかける。


「君が今まで見てきた“誰か”──本当に“他人”だと思ってるのかい?」



【後書き】


舞台は終わらない。

なぜなら、それは“まだ演じられていない記憶”だから。


人は、自分の人生だけでは生きていけない。

見ないふりをしたすべての他者と、自分の選ばなかったすべての道を背負って、生きていく。


次章では、記録された者とされなかった者が逆転する。

エイレンが“他人の過去に記された存在”として、語りの舞台に立つ。

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