第4話 記憶の裂け目に棲むもの

【前書き】


ある記憶があった。けれど、それは“記録されていない”ものだった。

記憶と記録の境界が曖昧になった時、人格は形を失う。


ここは、そうして現れた森。

そう思い込んでいたことすら、もう“誰かの植え付けたもの”かもしれない。



【本文】


ノアが、いなくなった。


エイレンは気づかなかった。ただ、森の湿気が急に乾いたように感じただけだった。


「……また誰か、来る」


風が“音”を連れてきた。

それは歯車の軋む音、蒸気の噴き出す音、あるいはタイプライターの打鍵音。


現れたのは、高い襟の軍服を着た青年だった。

目元には古びたゴーグル。右手には、スケッチブックがぶら下がっている。


「この森の構造を解明しに来た」

彼は一言だけそう言って、地面に定規を当て始めた。



■ 時空と心象が混ざる


「ここは三次元空間ではない。“角度”が合わない」


青年が描いた円は、紙の中では閉じていたが、地面に写すと「永遠に閉じない弧」だった。


「あなたは誰?」とエイレンが問うと、青年は、


「……忘れていたのか。

君にその質問をされたのは、これで二度目だ」



■ 名前を持たぬ者たちの連鎖


ふいに、森に小さな劇場が現れる。カーテンが風で揺れ、古い木製の椅子に誰かが座っていた。


座っていたのは、和服の女だった。

時代劇のような恰好。うつむいたまま、彼女はこう言った。


「この森では、名前を名乗る者は消える。

記憶されることで、私たちは森から消されるのよ」


——だから、誰も覚えてはいけない。


「けれど……あなたは、違うのね?」



【後書き】


人は、忘れることで生き延びてきた。


けれど、忘れられた側は、どこに行くのか?


次章『忘却の地図、または記録されなかった人生たち』では、

これまで一度も語られなかった“森の外”の人々の声が届き始める。

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