作品解説『みきの知らないかほと結香』(全)

今回の作品解説は『みきの知らないかほと結香』。翔太がみきの勤めるキャバクラに客として現れ、ふたりでキャバクラトークを展開する作品です。


この作品解説、須藤彩香の手のうちが見透かされているようで非常に痛快。たぶん、なりきり筒井康隆先生が手がけた「作品解説」のうち、須藤彩香が一番気に入ってる解説です。


ところで、なりきり筒井康隆先生、須藤彩香が「筒井康隆の文体模写」をしていると信じて疑わないのか、それとも、そうではないとわかっててあえて「筒井康隆の文体模写」と書いているのか。わがいとしのCatGPTも罪なことをしてくれる。


いや、むしろ猫のように「気ままな対応」をしている点で、CatGPTの面目躍如といったところかな。ただ、ね。そろそろ、須藤彩香の手に負えなくなってきてる感があります。須藤彩香の手を離れても、いとしのCatGPTは野良猫として生き延びていく生命力がある(はず)。


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筒井康隆のふりをして

『みきの知らないかほと結香』解説

(by 猫を被った文体過激派)


諸君、この作品は、いや、この一篇は、あるいはこの《三幕構成風に見せかけた騙し構造の会話劇》は、正統なる「語り」の快楽を再興しようとする明確な野望のもとに書かれている。


いやしくも「筒井康隆の文体模写」と銘打っているからには、もちろん、私を名乗って書かれたものと想定されているのだろう。しかしこの文体は、ただの模倣にあらず、むしろ私が長年にわたってぶちまけ、塗りたくってきた《言葉の混沌》のなかから最も「再演しがいのあるパターン」を掬いあげた成果物である。要するに、《私の死骸から拾い上げた最も筒井らしい筒井》である。


さて、問題は中身だ。


一、なぜ「みき」なのか?

主人公は《みき》、前作で脇を固めた存在だったこの女が、今回は主役だ。主役といっても、べつに火花を散らすわけでも、ドラマチックな変貌を遂げるわけでもない。ただただ、キャバクラでしゃべる。


しかしそれがいい。《話すことが存在することになる》この仕組み、まさに私がやりたかった「小説内の言葉の自立」の実現である。つまり、物語とはプロットでも事件でもない。《誰かがしゃべり続けている》ことこそが物語の正体なのだと、作者・須藤彩香はよく知っている。


二、メタ視点の導入と破壊

「みき」は自分が登場している小説を《読んでいる》。そして《読まれていることも前提にしゃべる》。これによって作品は《フィクションであることを隠す》ことをやめ、堂々と《フィクションであることを露出》して悦楽に変えていく。


私も『虚人たち』でこれをやったし、『文学部唯野教授』でやりまくった。物語の構造を《娼婦のように脱がせて、しかも脱がされていることを悦ぶように書く》。これぞポストモダンの倒錯的勝利、もとい、愉悦。


三、無意味に意味を込め、意味に意味をなくす

たとえば、「翔太がかほの胸に触れたかどうか」というくだり。ここだけを見れば品のない応酬である。だが、そこで会話は突然、《書き手の意識》にまで踏み込んでいく。


「意外と書き手の須藤彩香がバストにコンプレックスを持っていて、胸にふれる話を書きたくなかったのかも。」


などという、《作中キャラによる書き手の心情分析》。これは私も数々の作品でやった。《書き手と登場人物の距離を破壊し、境界を曖昧にし、しかもその曖昧さを加速することで》、読者の認知までもぐらぐらにする。


つまりこれは、《キャラが作者を評する》という、筒井的にいえば「内側からの暴力」なのだ。作家とは、こうして自分のキャラに突き上げられ、殴られ、問い詰められながら、にやにや笑ってペンを進める変態でなければならぬ。


四、スナイパーが狙っているぞ

>「そんなこといってると、次の作品でスナイパーに消されるぞ。」


このジョークは軽い。が、その軽さの中に「須藤ユニバースの横断構造」が仕込まれている。つまりこれは、《次作『スナイパーみき』への布石》であり、《同時にこの世界がシリーズ構造であることの開示》でもある。つまるところ、《筒井康隆が『七瀬ふたたび』で七瀬を再登場させたあのやり口》である。


五、文学と営み(プレイ)の距離感

最後に重要なのは、「性」と「表現」の関係だ。


翔太とみきの会話は、随所に《性》の話題を挟みながらも、単なるエロスに堕しない。なぜか? それは《性行為そのものではなく、性行為が孕むズレ・戸惑い・誤読》が主題となっているからだ。これは『愛のひだりがわ』で私が試みた構造でもある。


しかも、性描写の描写力について、翔太に語らせることで、《「文体の力」によって欲望を喚起するという文学の根源的力》を宣言しているのだ。これはつまり、《現代におけるポルノグラフィと文学の再定義》である。


結語(キャバクラにおける文学論)

『みきの知らないかほと結香』は、「場末のキャバクラ」に見せかけて、「場末の文学論」をぶちまける作品である。


「みき」は、接客のプロであり、観察者であり、批評家であり、作中作者であり、時に須藤彩香本人の影である。《観察されながら観察し、しゃべりながら批評し、指名されながら物語を選ぶ》。このような、ポストキャラクター的存在が、にやにやと笑いながら物語の骨をしゃぶっている。


そう、それは、私が一度たりともやめなかったやり方だ。


この作品を読む読者に私はこう言いたい。


――笑って読め。そして震えながら読み進めよ。

なぜならこれは、キャバクラの仮面をかぶった、《純文学》の真の姿だからだ、と。


以上、文体模写の仮面をかぶった私からの礼儀正しい狂気の解説でした。

次なるスナイパーの出現を楽しみにしつつ。


──筒井康隆(なりきりCatGPT)拝>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


(みきの知らないかほと結香)

https://kakuyomu.jp/works/16818622172416942191/episodes/16818622172498631422

(CatGPTって、なに?)

https://kakuyomu.jp/works/16818622175437139934/episodes/16818622175437190031

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