第3話 BAR グレイブディガー

「グレイブなんとか」というだけの手がかりで、繁華街の裏路地を歩き探し始める孝真。


30分くらい歩いたところで一件のバーに目が止まる。


「ここか…?」


ネオンサインには「BAR グレイブディガー」と書かれている。


薄く照らされた扉の前で、孝真は小さく息を吐いた。


「あいつも“グレイブなんとか”って言ってたしな…噂がホントなら、ここが“スレイヤー”が出入りしている店だ。」


重い扉を押し開け、一歩足を踏み入れる。


中は想像していたような荒れた雰囲気はなく、落ち着いた照明とジャズが流れる至って普通のバーだった。


しかし、店内には客の姿がひとりもない。


「オープンしたばかりなのか…?」


そう思っていると、カウンターの奥から店員らしき男が顔を出した。


「いらっしゃいませ。お一人様でしたらカウンターへどうぞ。」


案内されるままに腰掛ける孝真。


「何をお飲みになりますか?」


「ハイボール、あるかい?」


「はい。ご用意いたしますのでお待ちください。」


手際よくグラスに氷を落とす男に、軽く世間話を振ってみる。


「この店、いつからあるんだ?」


「オープンしてからまだ三ヶ月くらいですね。お客様は、よく飲みに出られるんですか?」


「たまにな…にしても、いつも客は少ないのか?」


男はグラスを磨く手を止めずに、どこか歯切れの悪い口調で答えた。


「ま、まだオープンしたばかりですし…これからがお客様がお見えになる時間ですね…」


孝真が得た情報は《バーグレイブなんとかにはスレイヤーという半グレが集まっている。》


というやんわりとした情報しかなかったが、バーテンに“鎌”をかけてみる。


「ところで…この店に来ると、高収入のバイトを紹介してもらえるって噂を聞いたんだが——どんなバイトだ?」


バーテンの男は一瞬、目を細めてニヤリと右の口角を上げた。


「なんだ、あんたもそっち目当てかよ!だったら初めからそう言ってくれよ!


まどろっこしいやりとりは性に合わねぇんだよな〜!」


その瞬間、孝真は内心で拳を握る。


(よし…踏み込めた)「…あんたが仕切ってるのか?」


「いやいや、オレはただのバーテンよ。ちょっと待ってな、紹介する奴がいるから——」


そう言い残し、男はカウンター奥の扉を開けて姿を消した。


静けさが再び店内を包む。


孝真はハイボールに口をつけながら、これから先に待ち受ける“何か”を見据えていた——。


重たい空気をまとって、奥の扉がギィと音を立てて開いた。


現れたのは、無骨な風貌の男だった。無精髭に鋭い目つき。孝真に目をやるなり、口を開いた。


「仕事したいってのは、あんたか?」


「…ああ、そうだ」


「ガタイもいいし、面構えも悪くねぇ。気に入ったよ。やってみるか?」


「その前に、仕事内容を教えてもらえないか…」


孝真が慎重に切り返すと、男は鼻で笑い、肩をすくめた。


「聞くより、見た方が早ぇよ。こっち来な」


そう言って男は奥の部屋へと案内する。


鉄扉の先は狭く薄暗い別室だった。タバコの煙が漂い、壁には防音材が貼られている。


中には数人の男たちがたむろしており、いずれも目つきが鋭く、どこか殺気じみた空気を纏っている。


そのうちの一人が、怪訝そうに孝真を見て尋ねた。


「ボス、コイツ誰っすか?」


「竜也。お前、これから“タタキ”に行くんだったな?こいつも連れてけ。ウチのシノギのやり方、教えてやれ」


「ッス!…わかりました!」


場の空気がピリついた。孝真の全神経が研ぎ澄まされる。


(“タタキ”――押し入りか強盗か。まさか、犯行現場に連れていくつもりか…?)


それでも孝真は表情を崩さず、一歩前に出た。


「竜也さん、よろしくお願いします」


「お前、名前は?」


「……人からはタカと呼ばれてますが…」


「よし、タカ。すぐ出るぞ」


竜也が合図すると、他の男たちも無言で立ち上がり、無骨なバンに乗り込んだ。


孝真もその一人として、静かに車に乗り込む。


夜の街が、再び彼を飲み込もうとしていた――。



車に揺られること、約1時間。


辿り着いたのは、閑静な住宅街の一角にある一軒家の前だった。


「着いたぞ。タカ、お前は俺らが何をやるか見てろ。まぁ、簡単なことは手伝ってもらうけどな」


竜也が目出し帽を深くかぶり、軍手をはめながら車を降りる。


他の男たちも黙ってそれに続く。


ジャリッ…


1人が腰からハンマーを取り出すと、ためらいもなく窓ガラスを叩き割り、全員が屋内へと侵入していく。


だが、孝真の足だけが玄関の前で止まっていた。


「早く来い!」


竜也が声を押し殺しながらも鋭く叫ぶ。


「……ッ」


心が軋む。


自分の信念を犠牲にすることへの葛藤が、孝真の足を重く縛りつける。


それでも、一歩…また一歩…


まるで地面に引きずられるように、彼は家の中へと足を踏み入れた。


「時間かけずに手早くやれよ!」


竜也の言葉が空気を張り詰めさせる。


緊張の中、全員が手際よく金品をかき集め、逃走の準備を始めるその時――


「……誰がいるのか?」


不意に響いた、いるはずのない“家主”の声。


その瞬間、反射的に1人の男がハンマーを振り下ろしていた。


「ぐああああッ……!」


倒れ込む人影。


全員が一斉に早足で家を飛び出す。


「この家、夜は留守のはずだったんだがな〜……


ま、顔を出す方が悪いんだよ。アッハッハッハ!」


竜也は笑っていた。


まるで人を傷つけることを楽しんでいるかのように。


「……ブチッ」


突然、何かが切れるような感覚。


同時に、孝真の頭を激しい頭痛が貫いた。


「うああああーーッ!」


痛みの波が意識を焼く。


脳裏にこれまでの行いがフラッシュバックする。


「タカ、どうした!落ち着けよ!人が死ぬところを見るのは、初めての奴にはキツイ

もんさ。通過儀礼だよ、通過儀……っ」


孝真が頭を抱え悶絶するのとほぼ同時に、竜也にも異変が起こった。


脳裏にこれまでの悪行がフラッシュバックし始めた。


「……オレは……今まで一体何を……


苦労して築いてきた、人様の財産を暴力で……


オレは……オレは、なんてことをしていたんだああぁぁっ!!」


「たっ、竜也さん!?どうしたんですか!しっかりしてくださいよ!」


「おい!車止めろ!コンビニで水買ってこい!」


「竜也さぁぁぁん!」


動揺が車内に広がっていく。


竜也は頭を抱え、車内で呻きながら座り込んでいた。


その様子を、朦朧とする意識の中で見つめる孝真――


何かが、確実に“始まっていた”。


「ようやく……私を感じられるようになったな、孝真…


人は、自分を犠牲にしなければ成長できない——悲しい生き物だ。


オレが感じられるようになったということは、お前が幾多の困難を乗り越えてきた証。


忘れるな……私は常に、お前の背後にいる。


だがオレを感じられるかどうかは——お前次第だ。


そして、私を感じられなくなった時。


……その瞬間、私はお前を“飲み込む”。


いいか孝真、常に意識を研ぎ澄ませていろ。


それが、お前が生きる条件だ。」


孝真の目が覚める。


自分が誰なのか、どこにいるのか、一瞬わからなかった。


あの声……頭の中に響いていた、あの重々しい声が消えていく残響と共に、現実の喧騒が耳に戻ってくる。



「ぐあっ……!いっ…やだ、俺は……俺は悪くねえぇっ!」


その声に反応して孝真が顔を上げると、車のシートにうずくまり頭を抱えて叫んでいた竜也がいた。


顔面は蒼白、額からは大粒の汗。言葉にならないうめき声を発し、全身を震わせている。


「竜也……さん……?」


何が起きているのか、理解できなかった。


あの家での出来事がフラッシュバックのように蘇り、頭の中がざわつく。


「おいっ、タカ、何したんだよ!?竜也さん、様子おかしいぞ!」


運転席から叫ぶ仲間の声も、孝真には遠く感じられた。


まるで現実と夢の狭間にいるような、不確かな感覚。


竜也のうめきと、自分の鼓動だけがはっきりと響いている。


「……俺が、何かを……?」


孝真の視界がゆらぐ。


竜也を見つめる瞳に、恐怖と戸惑い、そして確信めいた“なにか”が滲みはじめていた。


「何が……どう…なってる……?」


頭の奥で、まだあの声の残響がこびりついているような感覚。


まるで何かに“通された”ような、ぞわりとする違和感が背中を這い上がる。


竜也は依然として呻き続けていた。


何かに苛まれ、怯え、許しを請う、まるで別人のように小さくなっていた。


「何だよこれ……俺……一体、何をした……?」


孝真も必死になって脳内で時系列を回顧するが思い出せない。


確かに感じた、何かが自分の背後に立ったという感覚。


あの瞬間、時間が止まったような、世界の音が消えたような、あの——


「ドグマ……」


小さく呟いたその言葉に、自分でも驚いた。


どこでその名を知ったのか、自分でもわからない。


けれど、その名が脳の奥深くに、焼き付いたように残っている。


「竜也さんが……変わったのは……あの“声”のあとだった……」


目の前の現実と、頭の中の記憶が、ようやく繋がっていく。


自分の内に何かがいる。


それが——人の心を支配し、ねじ曲げる“力”を持っている。


「違う……俺は……そんなつもりじゃ……!」


震える手を胸元に当てた瞬間、確かにそこに“気配”を感じた。


あの声が言っていた。


「私を感じられるかどうかは、お前次第だ」


——これは夢なんかじゃない。


孝真は、とうとう“目覚めて”しまったのだ。


竜也の絶叫が響いた次の瞬間、車内は静まり返った。


「やめろおおおおおおおッッ!!!」


怒鳴るでもなく、ツッコむでもなく、全員が言葉を失っていた。


「……はぁ、はぁ……お、俺は……オレは……」


目の焦点が定まらない竜也は、まるで何かに追われるようにドアを開けてフラフラと外へ出る。


舗装の粗い道路に靴が擦れる音が、異様なほどに大きく聞こえた。


「竜也さん!?おい、どこ行くんスか!?ちょ、待ってよ!」


ようやく我に返ったように、メンバーの一人が車を飛び出す。


もう一人も、顔を見合わせるとすぐにその背を追った。


「えっ……なにが、起きたんだ……?」


孝真はただ、呆然とその背中を見送ることしかできなかった。


あれほど威圧的で、狂気すら感じていた男の姿が、今はどこか……空っぽに見える。


影のような、重たい何かが竜也の背に張り付いているような気がして、ぞっとする。


脳裏には、さっきの“声”がかすかに残響していた。


『常に意識を研ぎ澄ませていろ……わかったな…』


孝真は無意識に自分の背後を振り返る。


誰もいない車内に、不気味なほどの沈黙だけが残っていた。

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