第2話 蠢ク闇

街をさまよい、あてもなく歩き続ける孝真(たかまさ)。


今日は日雇い仕事にありつけなかった、手持ちの小銭で買った安いコンビニパンをかじったあと、ボロアパートへ帰る気にもなれず、ただ夜の空気をさまよっていた。


頭の奥では、数日前のあの出来事——「幻影のような声」と「身体を貫いた何か」の感覚が、今もなお鈍く疼いていた。


(あれは…なんだったんだ?)


胸の奥に、小さなざわめきが残っている。あの日からずっと。


ふと、視界の端にひとりの高齢女性が映った。


質素な身なりながらも、どこか品と清潔感を漂わせていた。


その静かな光景を破るように、背後から猛スピードのバイクが迫る。


「……っ!」


女性のすぐ脇をすり抜ける瞬間、男は鋭く伸ばした腕でハンドバッグをひったくった。


「ドサッッ! バタッッ!」


その勢いで、女性は路面に激しく倒れ込んだ。


「え…?」


あまりに突然の出来事に、孝真の身体は一瞬、動けなかった。


過ぎ去るエンジン音、地面に横たわる老婆。


我に返った孝真は、慌てて彼女へ駆け寄った。


頭部から血を流し、意識を失っている。


衝撃と焦りが重なり、思考よりも先に身体が動いた。


孝真は彼女を背負い、近くの病院へと駆け込んだ。


——診察の結果、命に別状はなかったが、頭部打撲のため数日間の入院が必要となった。


彼女の名は、由香。


孝真はその間、彼女の介助に付き添い続けた。


見返りを求めたわけではない。ただ、あの瞬間、自分が「追わなかった者」として何を選んだのかを、確かめたかった。


食事を運び、話し相手になり、そして何よりも——


日を追うごとに回復していく彼女の笑顔が、


「助ける」という選択が間違いではなかったことを教えてくれていた。


由香の話によれば、あの日は年金の支給日だったという。


2か月分の生活費13万円を引き出した直後で、バッグには現金と預金通帳


そして——


最も大切にしていたのは財布に入れていた一枚の写真だった。


それは、若くして亡くなった息子の写真だった。


「お金は、どうでもいいの。……お願いだから、あの子の写真だけでも……返してほしいの……」


震える声と、滲む涙。


孝真の胸の奥に、なにか熱いものが込み上げてきた。


奪われたのは、金だけじゃない。


記憶と想い出、生きる支えそのもの——。


孝真は、再び立ち上がる。


「お金なんか、どうでもいい……か」


由香の言葉が、病室を出たあとも孝真の頭の中で反響していた。


夜の冷気が肌に染みる。


「貯金があるのか? ……いや、違う。


どうでもいいわけねぇ。これから先、どうやって生きていくつもりなんだよ……」


唇を噛みしめながら、拳を握る。

(奪う側の理屈に、希望も未来も潰されてたまるか……)


「犯人を見つけて、取り返してやる……!」


“誰かを守る”ために。

“奪われたもの”を取り戻すために。


——そして、あの時感じた力の意味を、この手で確かめるために。



孝真は、夜の街へ足を向ける。


灯りの少ない路地を歩き、情報のかけらを拾い集めていく。


やがて、ひとつの噂にたどり着いた。


「最近、街が物騒になってきたよな。聞いた話だけど、窃盗や強盗で金を稼いでる半グレ集団がいるらしいぜ。


どこかのバーを拠点にしてるって噂を聞いたことがある。」


「その集団の名前、知ってるか?」


「えーっとな……たしか、“スレイヤー”とか言ったかな…」


「スレイヤー……バーの名前は?」


「何だったかな~…グレイブなんとか…って言ったような…」


「場所はどの辺りだ?」


「確か向こう側の繁華街の裏手にあるビルにあるって聞いたことがあるよ。」


「そうか、ありがとう」


孝真は軽く礼を言い、背を向ける。


だがその背に、不安そうな声が追いかけた。


「おい……あんた、“スレイヤー”に会って何かすんのか?


野暮なことはやめとけよ、あいつら、マジでヤバい連中なんだぜ……!オラァ忠告したからなー」


一度、足を止めた孝真はわずかに振り返り、静かにこう言い残した。


「飲みに行くだけだよ。ありがとう」


その声を最後に、彼の姿は夜の闇に溶けていった——。

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