第4話 運命ノ絲

車のエンジン音だけが、静まり返った夜の街に低く鳴り響いていた。


何も言わずにハンドルを握る男、無言で隣に座る孝真。


後部座席も静まりかえり、竜也の姿はもうそこにはなかった。


「……あの人、どこに行ったんだろうな…」


ぽつりと誰かが呟いたが、誰も返さなかった。


車は孝真の自宅近くまで来ると、徐々にスピードを落とし、角を曲がる。


街灯の明かりがフロントガラスに淡く滲み、孝真の瞳に反射する。


「……じゃあな。今日はゆっくり休めよ…」


乾いた声とともにドアが開き、孝真は夜の路上に降り立つ。


ドアが閉まり、車が走り去っていくと、辺りには風の音しか残っていなかった。



------


玄関の鍵を開け、靴を脱ぎ、部屋に入る。


灯りをつけたが、どこか色のない世界に感じられる。


床に腰を下ろし壁を背にもたれかかる孝真。


目を閉じると、あの“声”が再び微かに耳の奥でこだました。


『……意識を研ぎ澄ませていろ……』


「オレは、なんであんな場所にいたんだ……?」


目の前に浮かんだのは、血塗られた床と、震える手。


そして、その向こうでゆらゆらと歩き去っていく竜也の背中。



――自分は何を見ていた?


――何を、していた?


――そして……あの声は、誰だった?



額に汗が滲む。心臓が、鼓膜の奥で重く響く。


「……ドグマ……」


その言葉を口にした瞬間、背筋に微かな冷気が走る。


部屋の空気が、わずかに歪んだように感じた。


孝真はもう、自分の中に「何か」が目を覚まし始めていることを、否応なく感じていた。


気持ちを切り替える為に風呂に入るが、しばらくの間さっきまで起きていたことがリフレインして、頭の中は静まらない。


竜也のこと、あの出来事…そして、あの“感覚”。


「……何かがおかしい……」


風呂から上がり体を拭きながら洗面所の鏡が視界に入った時、、鏡の奥にもう一つの影が揺れた感じがした――自分ではない、別の“何か”が。


すぐに振り返るが、そこには誰もいない。


見間違いかと首を振るが、胸の奥に刺さるようなザワつきだけが消えなかった。


無言でスマホを手に取り、SNSをスクロールする。知人たちの楽しそうな投稿、誰かの愚痴、広告。


「俺は……何してんだろな」


呟いたその時、スマホの画面が一瞬、ノイズ混じりに乱れた。


画面が真っ黒になり、そこに浮かび上がる“白い糸”のようなライン――


次の瞬間、画面が元に戻る。


孝真は息を呑んだ。


(……やっぱり、何かがおかしい)


部屋の灯りが、不意にチカチカと点滅しはじめた。


スマホの画面も再び真っ黒になり、さっきの“白い糸”がゆっくりと編まれるように動き出す。


それはやがて、何かの“形”を成していく。


「……え?」


スマホの画面の中から、白い人影がこちらを見ていた。顔は無機質で、目元だけが異様に鋭く光る。


その姿が画面越しに…いや、“画面から這い出すように”――


ズズズ……ギィィ……


部屋の空気が歪み、天井の蛍光灯が破裂音と共に消えた。


「ッ……!?」


闇の中、孝真はベッドの上で凍りつく。


だが、その目の前に、ぼんやりと浮かび上がる“あの姿”があった。


背後に無数の白い糸をたなびかせた、異形の存在――


顔は無機質な仮面、身体は金属と繊維が混ざり合ったような質感。


糸の先は部屋のあちこち――電気、スマホ、壁の時計、さっきまで見ていたSNS――全てに絡みついている。


「……お前は……俺……の……?」


その瞬間、孝真の胸の奥にズシンと響く声が、直接頭に届いた。


《私はお前の影。意志を映す“ドグマ”……》


《名は――“マスター・オブ・パペッツ”》


息を呑んだ。


心臓が、狂ったように、194BPMくらいで脈打つ。


目の前の存在は、明らかに“現実ではない”――


だが、これが自分に宿っているという感覚だけは、否定できなかった。


部屋に沈む静寂の中で、孝真の鼓動だけがやけに大きく響いていた。


目の前の“ドグマ”は、言葉を発さず、ただじっと彼を見つめている。


いや、違う――


言葉ではなく、意志で語りかけてくる。


《リンクは一方通行ではない》


《お前の意志が定まり、私の存在を受け入れたとき、力は顕現する》


孝真は、目の前の“存在”から放たれる圧に思わずよろめいた。


心の奥に“何か”が流れ込んでくる。断片的な記憶。怒り。後悔。恐怖。


それらが混ざり合い、自分の心と共鳴していく――


「……飲まれるって、こういうことか」


声が震えた。ドグマの目が、わずかに光を灯す。


《意志を曖昧にするな》


《さもなくば私がお前を支配する》


《心を定めろ。それが“リンク”の第一歩》


孝真の頭の中に、かつての光景がよぎる。


……錆びた鉄工所……両親の疲れた背中………


信じていた人間に裏切られ、すべてを失ったあの日…


「俺は……」


    拳を握る。


「俺は、お前に操られたりはしない……!」


「お前を“従える”!俺の意志で、俺のルールで!」


すると、部屋の空気がビリッと震え、パペッツの背後から放たれていた糸が一斉に張り詰めた。


そのうちの一本が、静かに孝真の心臓に触れる――


《承認》


《リンク開始》


次の瞬間、孝真の脳裏に、今まで見たことのない情報が怒涛のように流れ込んだ。


糸の動き、対象との接続、操作のルール……そして、ドグマが内包する“代償”。


だが不思議と、恐怖はなかった。


胸の奥に“しっくりくる”感覚があった。


これは――自分の力だ。


自分が選び、手にした武器だ。

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