棚森重雄(2)
棚森家は本拠地から車で通えるところに広がる高級住宅街にあった。芸能人やスポーツ選手、政界の大物、会社幹部の豪邸がこれでもかと並んでいる。そんなところにパトカーが停まるのは世間体を考えると憚られるだろうが、そんなことを気にしてやれる度量はない。
「すでにニュースでは大騒ぎだそうです」
太川はハンドルを回しながら言った。助手席の角谷警部はライターをもてあそびながら、
「そうだろうな」
「ツブヤイターでもトレンドから『棚森重雄』の文字が消えませんよ。いつもと違う形で阿鼻叫喚の嵐です」
「いつもと?」
投げやりな言い方に警部は太川の横顔を見る。
「そういえばおまえはドルフィンズのファンだったな」
「僕はタートルズのファンです。一緒にせんといてください」
「悪かった」
太川刑事は兵庫出身だ。高ぶると故郷の言葉が出ることがある。そういうときは例え上司であっても触らぬ神に祟りなしだ。今はいちおう語尾に敬語がついているのでまだ大丈夫だ。
「ところで、いつものというのは?」
「ええ。ご存知のとおり棚森重雄は現役時代の成績もさることながらコーチとして極めて優秀です。今年のドルフィンズの台頭の立役者といっていい。しかしコーチや監督というのは難儀な職業で、どれだけ頑張っても、負けが混むとSNSで批判されるものです。これはドルフィンズだろうがタートルズだろうが、どこでも一緒です。ときには誹謗中傷的なメッセージも来るとか」
「なるほどな。――おまえはそんなことはしないよな」
「僕は不満があるなら球場で叫びますよ。それに、結局のところ、やるのは選手ですから」
そんな話をしているうちに、彼の住処に到着した。
棚森家の外観は白を基調とした、洗練されたシンプルなモダンテイストだった。道路側にはバーベキューができるような広いテラスがあり、ハンモックが揺れていた。都内とは思えない、数台分の個人駐車場にはベンツやポルシェといった高級車がずらりだ。太川は手に汗握りながら車を停めた。
展示会のような一画にパトカーが身を縮こまらせている図は、なんとも奇妙だった。
「君が山田くんか」
玄関に行くと、若い警官が待っていた。彼は綺麗な敬礼をして、
「ご苦労様です」
「いや、悪かったね」
「いえ、重雄さんがあんな目に遭ったとなれば、詰めている気分でもありません」
山田という男は警官ではなくここいらを取り仕切る交番の勤務だが、たっての希望で来てもらったのだ。彼は憚るように声を潜めて、
「しかしなぜ刑事さんが出てくるのでしょう。重雄さんは残念ですが病気か何かで、事件性はないように思われますが」
「俺もそう思う。だが通報者の棚森重雄の運転手が救急車でなく警察に電話をかけているんだよ。パトカーが出動すれば救急車も手配してくれるとの判断だったのだろう。相手が棚森重雄となれば、そう無下にするわけにもいかんだろ」
「運転手というと
「今年の秋季キャンプはドームでやっていて、客席を無料開放していてな。運転手も見ていたそうだ」
「彼もドルフィンズの大ファンですからね。重雄さんと同い年で……試合はもちろんのこと、キャンプも朝から晩まで見学しているようです」
ある意味、執事的な存在を兼ねている運転手の鑑だ。
「でも、彼の通報は正解だったようですよ」
太川刑事が話に割り込んだ。詳しい話を聞かせる前に、かわいらしい白のフォルクスワーゲンが戻ってきた。
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