棚森重雄(1)
そんな、ドルフィンズの救世主的存在、
「わぁ……ここに立てるなんて」
若くはつらつとした太川刑事は、ドームのグラウンドに感動の面持ちだ。警部はそんな青い後輩を諭し、第一通報者である彼の専属運転手に警察手帳をかざした。
「棚森さんの当時の様子についてお聞かせください」
「は、はい……」
初老の彼は目を泳がせつつ、口を開いた。
プロ野球もシーズンを終了し、悲喜こもごもの中、現在秋季キャンプがおこなわれている。場所はあたたかい九州へ移動したり、球団によってさまざまだが、ドルフィンズではドームであるのをいいことにホームで練習している。今日も選手やコーチ陣が駆り出され、来季に向けて練習に励んでいる。
「今日の旦那様の日程は午前一発目のバッティング練習からでしたが、旦那様は熱心なお方で、選手の走り込みに自ら付き合うんです。その最中に……」
「倒れた、と。どれぐらい走ってから?」
「一周もしていません」
「なるほど」
となると、突発性の不運である可能性が高い。脳梗塞、不整脈、ストレス、いやあるいは――角谷警部はいつぞや、雑誌で見た棚森のインタビューを思い出していた。と、そこへ、
「警部!」
ある刑事が駆け寄ってきて、警部に耳打ちした。警部はうなずいて、運転手のほうを見た。先ほどの想像が当たっていたようだった。
「病院の検査結果が送られてきましてね。どうやら、原因は、カニだそうです」
「カニ……?」
「ええ。棚森さんが甲殻類アレルギーを有していたことは知られていない話ではありません。なんらかの原因でカニを口にし、アナフィラキシーショックを発症した――」
「そ、そ、そんなこと……」
運転手は目をパチパチさせて、全身打ち震えている。警部は敏感に悟り、一歩詰めた。
「何か、おっしゃりたいことでも」
「わ、私のような一介の運転手が、差し出がましいようですが……」
彼は中指と中指を絡ませながら、しばし口をもごもごしていたが、警部に押されて、口を開いた。
「旦那様は自身のアレルギー症状を誰よりも理解していました。どれぐらい食べたら症状が出て、どれぐらいなら大丈夫なのかを計算の上で食事を楽しんでいました。そんな御仁が、倒れるほどに間違えるものでしょうか。しかも練習の前に」
「ふむ」
角谷警部は棚森重雄という男について、メディアでしか知らない。選手としてはレジェンド級で、通算二五〇〇本超えの安打製造機、ホームランも二百本以上打っている。五年間メジャーを経験していたこともあり、ドルフィンズ以外の球団も知っているなど経験豊富。コーチとしても極めて優秀で、人望もある。ストイックで真面目な性格。年齢は角谷とさほど変わらない――
彼は棚森家に引き上げるらしく、支度に戻った。角谷警部は太川に言った。
「あの男の言うことは真実だろう。ちとややこしいな」
「というと……?」
「棚森重雄が発症したアナフィラキシーショックは、正確には食物依存性運動誘発アナフィラキシーといってな。特定のものを食べた数時間以内に運動をすることで発症するらしい。一般には二時間前……その時間、彼は家で嫁さんが用意した料理を食べていたそうだ」
「――奥様とお話する必要がありそうですね」
警部はうなずいた。
疑うのが、刑事の仕事だ。
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